泉輪 平成20年度秋お十夜法要にむけて


洗 心

 早いもので、暑さを忘れ、秋たけなわになっております。
秋といえば食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、
そして芸術の秋でございます。


 そこで、秋になったからと言う訳ではございませんが、
先日映画鑑賞に行って参りました。
私にとりましては、十数年ぶりのことでございます。

 鑑賞致しました映画は「おくりびと」という映画で、
御覧になった方も居られましょうが、
納棺師の物語でございます。
映画館館内で、物語上、他宗派の御住職様や
葬祭業者様のお顔ぶれも並び、
いささか気恥ずかしい空気を覚えました。

 物語では、納棺師から見た、死への捉え方の心の動きや、
見ている自分たちもいつかは必ずやって来る、
自分の人生の最後、または家族の最後のあり方を
考えさせられるものです。

 また、住職という身からして、
故人様にお経を上げさせて頂く上で、今一歩踏み込み、
違う角度から、私と、故人様、
御遺族様との距離を近付けさせる事の出来る術が
まだまだ何か残されているのでは、
と自問自答させられました。

 故人様との今生の別れである葬儀は、
仏教では当然のことながら、
セレモニーショーではなく重要な儀式です。
しかし、その儀式の意味深さを檀家様に布教尽くさねば、
葬儀上のただの重苦しさをかもし出す
配役の一人にしか過ぎません。

 そうならないように、葬儀の際は、
故人様の生き様を、読経の中で受け止め、
故人様のこの世への思いのたけを読経により断ち切り、
自分の魂をもって、あの世に故人様の、
み霊を送り出しております。
まさに、毎回毎回の葬儀が、
二度とない故人様との全身全霊の一期一会です。

 だから逆に、見ず知らずの、
檀家様以外の方の雇われ導師は私には出来ません。
なぜなら、その故人様、
もしくは、御家族様の生き様を知らないからです。
日頃より身近に皆様と接し、
檀家様の幸せ、苦しみを共に味わい、
何かを分かち合えた上で
お渡しする引導(仏様にお引渡しする所作)
を授けた直後、自然と涙が溢れて参ります。

 皆様に背を向け、誰に見られるでもなく、
誰に見せるでもない涙は、私と故人様とだけで流す、
二人だけの涙でございます。
二度とこの世で会えない故人様と愚僧の、
み霊の繋がりといつも感じるものです。

 とは申しましても、まだまだ、生涯修行の身で、
更に貪欲に学び続けねばなりません。
そんな中、今回の映画は、
ついつい忘れがちになる初心を省み、
洗心する有意義な機会になりました。

                輝空談