失うということ
秋たけなわになり、収穫される食べ物に舌鼓をうつ時節となりました。秋の到来は、誠に嬉しいものです。食べ物だけでなく、今時分のよい気候でのスポーツは、本当に心地良さを感じます。
私は、スポーツでは学生時代に野球をしておりまして、セカンドの職人とあだ名され(厚かましい限りです)、球さばきと足に自信を持っておりましたが、長男の幼稚園の運動会にて、父親代表リレーに出場した結果、一位でバトンタッチされた後に、全走者に追い越されたものですから、以来家族の不評は現在に続き、今ではスポーツは観戦する事を主としております。
スポーツ観戦は特に野球(ソフトバンクの大ファンです)、とテニスをよく観ます。
先日もテレビのテニス放送を見ておりますと、杉山愛選手がその大会を最後に引退すると表明しておりました。その大会では、決勝トーナメントに勝ち進み、決勝試合前での記者会見で「失うものはもう無いので、全力で戦うのみです。」と言われておりました。
失うという言葉は、一般的に持っている物や知識などを手元から無くしてしまう事を申しますが、そうではないのです。持っているものを持ち続ける事や、守り続けること自体が必要無くなってしまう事を言うのです。