雪辱を果たす
すっかり春めいて、お彼岸の時分となりました。暮れのごあいさつからのご無沙汰でございます。
さて、本年が始まり、早くも三月で、一月は瞬きすると行ってしまい、二月はあっという間に逃げ、三月もご多聞にもれず去っていくようです。昔の人はよく言ったものです、と言う自分がすっかり昔の人になっております。また、特に今年は、二月にバンクーバーオリンピックが開催されたものですから、特に早く感じております。
毎日テレビの前でどれだけ歓声を上げたか分かりません。
四年に一度の大会の為に集中して、体力・精神力・技を極めていくことは超人でないと出来ないことでしょう。その努力たるや想像を超えるものでしょうが、観戦する我々凡人はメダルだけに結果を求め、勝手なため息をつくものです。
そのオリンピック会場に立つ人は、全世界約六十八億五千万人のたった数名で、既に最高頂点を極めた人であるにもかかわらず、それでもメダルを望むのは、人間のどの心がそうさせるのでしょうか。考えはひとしおです。
そんな中、新聞のオリンピック記事の見出しに、外国人選手のメダル獲得を賞讃し『トリノ(オリンピック)の雪辱を果たし金!』と言う見出しを見つけました。
冬のオリンピックと雪辱の雪という文字がやけにマッチし、凝視しておりますと、今度は、何度も繰り返されるその競技のテレビ中継中に解説者が「トリノの屈辱を晴らし金!」とコメントされておりました。
前者の「雪辱を果たす」、後者の「屈辱を晴らす」は、なんとなく似た言葉のようですが、よくよく考えて見ますと、どこがどう違うのか迷ってしまいます。案外、このようになんとなく分かっているものの、よくよく突き詰めて考えてみると、分かっていない理解不足な言葉が多くあるのではないでしょうか。
共に過去の相手によってもたらされた恥や負けを、勝ち取ることの意ですが、後者の「屈辱を晴らす」には、悔しさよりも恨み憎しみの思いが強く、前者の「雪辱を果たす」の方が負け得た経験をバネに、今回成し得た達成感の方が強く感じられます。
雪辱の雪の文字には「洗い清める」という意がございます。その「清める」の精神が我々の心に清々しさを与えてくれるのでしょう。 人は毎日二十四時間、それが三百六十五日続き、一年を過ごしますが、たった一日の中を見ても、洗っても洗い清めることの出来ない試練と共に我々は過ごしております。
そんな平凡な日々の生活の中での戦いを知っているからこそ、四年に一度のオリンピックであれば、尚更一層ワンランク上を目指す精神が働くのでしょうか。されど、相手を押し倒す醜さではなく、自らの力を己で試す潔さにやはり、「屈辱を晴らす」より「雪辱を果たす」の方が清く潔く感じます。皆様の心にはオリンピックはどのように感じるものだったでしょうか? このようにして、一、二、三月と過ぎていきますが、三月の大事な節目に、春のお彼岸もございます。このオリンピックへの感想も是非お彼岸参りの際に、ご先祖様とお語らい下さい。お待ち申し上げます。 合掌 輝空談