泉輪 平成22年10月



知足


残暑も過ぎ、秋たけなわになって参りました。猛暑の影響は今でも影を落とし、本来収穫出来る物が不作のようです。

特にきのこ類は壊滅的とのニュースに、楽しみにしていた秋の実りも今年もお預けか、と高値を理由に諦めておりましたところ、十月に入り大豊作と大逆転の報道がなされておりました。
ならば松茸の一つでも買えるかと価格を覗いて見るも、やはりそれでも私には高嶺の花で、今年も身の丈に合った品々で代用する事が賢明なようです

無いものは無い、有る物を人間の智慧で有るが如く豊かさを知ることを知足と申します。


知足とは、「ちそく」とは余り申さず、「たるをしる」と読みます。この知足の意味は誤解された解釈があり、不足を知るが如く「足りなくて、たったこれだけ」や「これだけで我慢する」、はたまた余足を嫌うが如く「倹約の上に倹約する」の意味にとられがちです。
しかし、本当の意味は、目の前の事実の中から、智慧により喜びを見出すことの意味なのです。
だからといって、現状に甘んじて努力を放棄し、だらだら流されていては、喜びは見出せず、やはり結果を望まずにやるだけやってみて、努力した者だけが感じる、後の微かな達成感こそが知足「たるをしる」智慧になるのです


今、上文にて結果を望まずと認めましたが、人間は財などの欲が付いてくる場合の努力は、明確に目的意識がはっきりとしていて結果が分かり易く、労を投じます。
しかし、心の修練での努力の中では、中々結果は出ず、むしろ今の現状に変化すら感じないものです。

特にご先祖様のご供養など仏心は生涯かけて学ぶものですから、今いくら心を費やしてもすぐには何も良い事は起こらず、ご利益なんて望めないと簡単に諦めてしまいがちです。

そうすれば、人生の知足を得ることなく終わってしまい、益々仏心は遠ざかってしまいます。


見えずとも、感じずとも、聞こえずとも、絶え間ないご縁が今の自分に導かれているからこそ、今日一日が無事に終えることができ、確実に明日という可能性が待っているのです。

それに気づけば、仏縁の有り難さはこの上ない喜びのはずです。しかし悲しいかな、ただひたすらにお浄土からお見守り下さるご先祖様に感謝念仏せずして、お金が欲しい、あれも欲しいこれも欲しいでは、欲で心が曇ってしまい、真の感謝の芽が育たないのです。
毎日の繰り返しの中で必死に生き、寿命尽きるまで前に進むひたむきな努力こそ知足を身に付ける一番のカギに思えてなりません。


寿命尽きるまでの道程は、誰とてご多聞にもれず平坦なものは無いでしょう。むしろ苦しみが多いというのが人生です。

人生のなかで知足を学ぶ為に努力するその「生き方」が、誰もがよけては通れぬ最後の大仕事の「逝き方」を教えて下さいます。だからこそ、生かされている今に念仏感謝でございます。

     合掌 輝空談