泉輪 平成23年5月



「末法」の時代


この度の東日本大震災の被災者の皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。未曾有の大惨事で多くの尊い御命が失われ、また被災者の皆様には、避難所生活の現状に、御心労極まりない事とお察し申し上げます。

皆、どの地に生きようとも、この苦境を共に悲しみ、励まし合い生きてゆかねばなりません。被災者の皆様に何が出来るかは、それぞれの御立場であらん限りの努力を尽して頂きたいと願います。
それでも、夜明けのこない日はありません。明日の夜明けを信じ強く生きて頂きたいと切に願います。


仏教をお開きになられたお釈迦様は、二五〇〇年前に仏教の行く末を三つに分けて考え、お釈迦様が仏教を開かれて以来千年の時代を正法(しょうぼう)、次の千年を像法(ぞうぼう)、その後一万年を末法(まっぽう)と悟られました。末法とは、お釈迦様の教えが人々に及ばなくなった時代を指し、仏法が正しく行われなくなるかもしれない、という意味です。

しかし、時折末法思想は誤解解釈され、世情不安や天変地異を例にあげる「この世の終わり」を意味するものと心理不安をあおるような話をされる方がおられますが、全くの誤解です。


ただ単に、仏教の精神を人々が必要としなくなるやもしれぬという暗示に過ぎません。

今まさにお釈迦様の悟りでいう「末法」の時代に入りました。人々は高度経済と共に自然を破壊し、物欲的に消費拡大を行い、奢った形でこの地球に暮らしておりました。

それが、この東日本の大震災を機に、今命があって生きているという意味や、有難さを感じ、経済に委ねた今までの生活の浅はかさを反省し、ありとあらゆる角度から自分たちを見直すことが出来ました。


すると、多くの人々が、例え九州の地から直接電力を送れなくても、節電し不自由を分かち合うことで、心を共に携えようとしました。また、被災地の皆様は、この上ない心労に耐えながらも、秩序を保って互いに助け合い避難所生活をされていることと聞き、誰もが頭(こうべ)を垂れ、日本人の素晴らしさを再確認致しました。

今まさに人々にとって「末法」の時代だからこそ、心に正しく信じる力が必要とされております。特に若い人々が、確かなる強い心をもって立ち上がり、復興の礎を築いてくれることと信じております。


信じる力こそ、即ちそれが「仏心」です。仏心は、今は亡きご先祖様が遥か彼方から送り届けて下さっておられるものです。こんな悲しい出来事があったからこそ、皆で厚い仏心を届けて下さるご先祖様に感謝下さればと存じます。

起きて欲しくはなかった震災ですが、人は生きている間、絶えず「苦」を伴うこととなります。誰でも「苦」は嫌で、出来ることなら出会いたくないものです。だから、いかにして「苦」から逃れられるかを考えます。しかし悲しいことに、生きている限り「苦」から逃れることは出来ません。むしろ逃れようとすればするほど、「苦」は付きまとうのです。


お釈迦様は「苦」は逃れるものではなく、受け入れ理解するものだとお教え下さいました。「苦」を受け入れること、即ちそれが「悟り」ということです。

「苦」を大いに受け入れられた東日本の被災者の皆様は、生きながらにして「悟り」を開いた菩薩様です。九州の地から菩薩様へ御心を送り、我々は震災で学んだ事をこれからの生活に生かさねばなりません。それが復興への力添えになる事は間違いありません。

  未来を信じ 十念合掌        輝空談