泉輪 平成24年5月



仏教の真髄


日より良く、春の喜びと夏の兆しの見えるこの頃です。世の中は連休になり、行楽地は大勢の人々で賑わい、活気に満ち溢れているようです。また、連休を利用し、帰省する方々のラッシュはこの時期の風物詩になっておりまして、新幹線から雪崩出るように疲れきった表情で下車する方や、長蛇の列の渋滞した高速道路のニュースは、他人事ながら、さぞやお疲れだろうとお慰めしたくなるものです。

人々がこの狭い日本を長距離移動するとなると、陸、海、空の限られた交通手段を利用するしかならず、その時期が限定されれば自ずと渋滞が発生することは必然です。


しかし、このところその交通手段で気になる報道がなされております。関東一円に大規模な首都直下型地震が近い将来に勃発するという予測情報です。その震災が起これば交通手段はおろか、ビルの倒壊から火災、洪水、ライフラインの停止と甚大な被害が推定されております。

だからと言って、今から関東一円在住の方は引っ越しをし、仕事を変えることが可能でしょうか。関東以外に在住の方は、金輪際その地には足を踏み入れないことが可能でしょうか。
どの方法も賢明な方法とは言えず、普段の生活を変える事が出来ないのだと改めて感じるものです。


それでも不安が消えるわけではないので、被害が起こるかもしれないと各自が冷静に受け止め、もしもの時に何かしら備えないといけないことが望まれます。

物質では、保存食や救命具を用意することや、家財の転倒を最小限に防ぐ為に固定するなどがあるでしょう。また避難経路や避難場所の確認も大切なことです。

そしてその結果、あらゆる可能な限りの手段をとっても、少しでも不安が拭えたでしょうか。むしろ益々耐え難いほどの不安が増すばかりではないでしょうか。


それもそのはず、まだ復興ままならない東日本大震災の痛手は消えず、行政が問題を解決しきれないまま、今なお悲しみに暮れている人々が、一層の苦しみに耐えている御姿を知っているからです。それが更に大規模な震災が大都市に引き起こされれば、日本という国自体が壊滅してしまうのではないかと案じてしまいます。

人間の力は、自然の猛威を前にすると何とちっぽけで、微力なのでしょう。それを知れば知るほど、なす術を無くして、行きつく先に、藁をも掴む思いで、誰もが仏様に手を合わせるのです。どうぞ愛する人々をお守り下さいと念仏し続けるのです。


今日の自由主義思想は、あらゆる個人主張を認めているので、先祖伝来受け継がれてきた既成宗教の継承を煩わしく思い、面倒な負担を軽減するために、司祀の放棄さえも個人の自由だと、あからさまに選択できる時代になりました。

それが、もう間もなく、自分の生きている間、もしくは自分の子供の世代で大規模震災が起こることが現実味を帯びてくると、己の限界から天を仰ぎ、仏様にそして会ったこともないご先祖様に願い、乞い、救いを求めるのが人間なのです。


誰にも止められない、誰も変える事が出来ない事実を知り、だからこそ真の心の支えに仏教が必要になるのだと、自然と学んでいるのです。

遥か彼方の昔、お釈迦様が仏教をお開きになり、今のこの時代を「末法の時代」と説かれました。
そして、震災を前に宗教とは何かを考えさせられるこの仏縁は、決して偶然ではないと思われます。

不安を抱える毎日だからこそ、仏様のお力にすがる意義を深め、救いを求めて、お念仏する正しい心が必要かと存じます。


今仏教の真髄を知り、仏心を込めて南無阿弥陀仏と皆様にお念仏申し上げます。

  合掌        輝空談