泉輪 平成24年9月



彼岸の心


暑い暑いと申しているうちに、お彼岸の時期となりました。朝晩の浅寒が秋の到来を告げております。

お彼岸になる今時分には、秋の味覚が店頭に並ぶ頃で、その味覚の一つに小豆(あずき)がございます。その小豆を炊いた餡で作るといえば、その代表が「おはぎ」と「ぼたもち」ではないでしょうか。共に餅を小豆餡で包んだものですが、「おはぎ」と「ぼたもち」では、どちらがどう違うのか、いささか疑問に思い、お菓子専門店様のご意見を頂戴しつつ、色々と調べてみますと意外に歴史の深いことがわかりました。

紐解いてみますと、古来縄文時代後期に稲作が伝来されましたが、その時代の米は赤米でした。またその頃の宗教と言えば、仏教が伝来される以前で、日本では太陽を神とする「太陽信仰」が盛んでした。その思想の中に「赤い色」は邪悪を祓う魔除けの力があると信じられておりまして、赤米を奉納することで、邪気を払拭しようと当時の人々は考えたようです。そこで、秋の赤米収穫の際に、炊いた赤米を丸く握り、それを供えるようになったのです。

しかし、赤米は病害虫に強く痩せた土地でも育つ等育て易い反面、丈が長く倒れやすく収穫量が少ない事や、味に粘りがなく、赤い色素に渋みがある等、そのままでは食べにくいものだったようです。

その後、白米が伝わってくると、自然と赤米の栽培から白米の栽培へと移行し、ごく一部の地域を除き、姿が見られなくなりました

それ故、赤米になり替わり、白米を利用し、小豆を用いることで奉納品の代用とするようになりました。それが「おはぎ・ぼた餅」の始まりです。処々他説はあるものの三月の牡丹の花に見たてたものが「牡丹餅→ぼた餅」で、秋の萩の花に見たてたものが「おはぎ」の様です。また小豆が秋の収穫の為に、柔らかく炊ける秋のおはぎは、小豆の皮ごとつかった粒あんで、冬を越し固くなった皮の小豆を使う為、皮を取り除いたこしあんを「ぼた餅」には使うというのが一番一般的な由来の様です。今現在の保存技術では、冬を越してもやわらかい小豆餡が出来るようで、昔とは状況が異なります。

そのほか、全国を調べてみますと、地域では赫々諸説があり小豆あんの物が「ぼた餅」黄粉が「おはぎ」または、大きいものが「ぼた餅」で小さいものが「おはぎ」、はたまた、餅をつきつぶしたものが「ぼたもち」もち米粒の残ったものが「おはぎ」と諸説は数えきれません。

されど昔は高価だった小豆を、薬とされるほど珍品だった砂糖で炊いたあんこは高価な品その物であったことには違いがありません。

やがて、仏教が生活に溶け込んでくると先祖崇拝教義が深まりますが、昔から精神に根付いている太陽信仰の、真東から昇り真西に沈む太陽の動きに仏教の中道教義が重なります。中道教義とは、二つの考えや見方があってもどちらにも偏らず、またどちらにも捉われない行動や考えをさします。これはお釈迦様が厳しい修行を六年間続けたにもかかわらず、悟りを得ることは出来ず、それ故、苦行や断食を止め、中道に基づく修行に励み、ついに悟りに目覚めたとされているお釈迦様の生き様から学んだものです。

一年に二度だけ訪れる真東から昇る太陽との出会いに感謝し、真西に沈む太陽に、西方極楽浄土のご先祖様に思いをはせ、高価であった「ぼた餅・おはぎ」を供えることでご供養とした御先祖様の風習は、我々にとって忘れてはならない習慣です。今はいつでもどこでも食べることの出来る食べ物になりましたが、お彼岸の心の表れとして、欠かすことの出来ない「ぼた餅・おはぎ」は、大切な日本人の心ではないでしょうか。

彼岸念仏
輝空談