泉輪 平成25年10月



苦難の中に


夏の猛暑が終わり、残暑が影を潜めると、一気に錦秋の季節となりました。秋の到来は紅葉で目を潤し、食べ物で舌を心おきなく楽しませてくれます。

いつもそんな秋は、誰にとっても待ちに待った季節のはずですが、今年は少し様子が違っております。例年、異常気象と言われながらも、今年は百年に一度の大気の異常高温で、海水と大気の温度差が広がることで、勢力の強い大型の台風や竜巻が頻繁に発生しております。

詳しいメカニズムが私はわかりませんが、ただただ考えることは、いくら人間が知恵を絞っても、自然の力を前にすると、なんとちっぽけなものなのかと思い知らされます。二年前に東日本大震災が勃発し、何とか日本が一つになり、力を合わせ復興せねばと動きもがいて月日が経ち、政治の混迷か経済の不透明感か、世論の矛先が目新しいものに流れたようで、やや風化した出来事になってはいないかと危惧していた折の、伊豆大島の災害です。大型台風の猛威は風と雨を糧に山肌の木々をなぎ倒す土石流を引き起こしたのです。

その被害で多くの方がお亡くなりになり、今まだ行方不明の方が捜索されております。島の方々は、亡くなった方を憂い悲しみ、被災された方の御苦労を悼み、その地に生きて共に悲しみを分かち合う事でしょう。

まだ、一歩たりとて前進していない島の状況に追い打ちをかけるがごとく、台風が次々と発生し、また伊豆大島を襲おうとしております。これだけ情報収集が出来、予測が出来るのだから、なんとか被害がこれ以上でないように政府に策を講じて頂きたいと願うばかりです。

そして誰もが祈るのです。どうか神様、仏様、ご先祖様みんなを守って下さい。助けて下さいと天を仰ぐのです。

しかし、悲しいことにどんな宗教でも、学問でも天命を変えることは出来ません。努力を惜しまず、善を尽くし、何一つ悪い事はしていない善人にも、苦難が訪れるのです。それがこの世で生きるという事なのです。受け入れがたい矛盾に満ちた道理ではありますが、どうすることもなく「苦」はやってまいります。

でも、生きていれば苦難は必ず乗り越えられます。阿弥陀様は苦難に遭遇した方の傍で次の道へと歩みだし生きる力となるお智慧を授けて下さいます。その阿弥陀様の声なき声はお念仏の中でしか感じ取れないものです。お念仏の見えないお力を信じ、逃れられない苦難ならば、穏やかに逆らわずに受け止め、そして力まずに生きてみましょう。

そうすると、今まで大事と思っていたことが、不必要になり、何も気にしていなかったものが深い意味合いをかもし出す変化に気付かされます。それが真の成長です。 その生きる「苦」は人を大いに成長させる唯一の縁であることを学ばされます。そして「苦」の中にこそ仏教が必要であるのだと痛感致します。

オリンピックが七年後に東京に招致され、アベノミクス効果と華やいでいる分、また被災地が置き去りにされないかと心配しているのは、決して私一人ではないことでしょう。

被災地の叡智に十念合掌
輝空談