故人を偲んで
皆様にはもうすでにご承知の方も居られるかと存じますが、泉福寺前住職の妻であり、伯母の高野タマヨが九十八歳で寿命全うし、往生致しました。
ここ数年は寝たきりで、介護が必要な状態でしたが、時折調子の良い時は片言の会話をするような時もあり、病状も安定しておりましたので、百歳のお祝いをみんなで迎える姿をいつも思い描いておりました。
そんないつもの生活の中、普段と変わることなく過ごし、そして眠るように往生致しました。八月二十九日午後十時八分の事でした。
私事ですが、京都を離れ、早や二十数年、人生の半分以上をここ鐘崎で過ごし、言葉では語る事の出来ない数々の出来事の中、結婚し、子供を儲け、人並みの道をやっと歩んでいた折の伯母の介護でした。
介護はどうしても家内が中心となり、私は家内の出来ない家事を手伝う事で家の中を回していく毎日でした。大変でなかったといえば、ありきたりに嘘になりますが、人ひとりが人生を終え、死に向かう過程を子供たちに見せる事が出来たのは、本当に何よりの良い経験でした。現在のほとんどの方がお亡くなりになる場所が病院や施設である中、伯母は生まれ育った自宅で臨終を迎えたことは伯母自身も幸せであったことだろうと思います。
臨終時には、子供たち全員が伯母の顔や頭を撫で、体を擦りながら「婆ちゃん!婆ちゃん!本当に死んだと!!」と語りかけ、悲しみよりも、有るものが急に無くなってしまった様な、事実を実感できない、戸惑いに似た感と共に、しばし時の流れが止まった不思議な時を家族だけで過ごしました。
そしてごくごく自然に、子供たち全員が袈裟を着け、数珠を手にし、伯母に念仏を捧げたのです。
そんな子供たちの姿を見ていると、自分の中で過去の大変だと思っていた出来事がちっぽけな事に思え、むしろこの瞬間を子供たち
に見せ、体感出来たご縁に感謝する程です。
子供たちの中でタマヨお婆ちゃんの事は忘れることはなく生き続けることでしょう。そしてその気持ちは真の供養として、御心に育つことでしょう。
そして、最後になりますがご参列頂きました皆様には、お通夜並びに、葬儀告別式に際しまして、霊前に過分なるご厚志を賜り、恐縮至極に存じます。
これから続く法要に、まだまだご迷惑をおかけするやもしれませんが、愚僧照弘にお付き合い頂き、ご指導頂ければ幸いです。
今後とも何卒宜しくお願い申しあげ、故人に成り代わり皆様のご厚情に伏して御礼申し上げます。
合掌
平成二十五年九月
西山浄土宗 上報山 泉福寺 住職 高野 照弘