泉輪 平成26年12月



努力賞授与


十二月に入り急に寒波が押し寄せ、凍てつく寒さに身をすくませる日が増えて参りました。今年は暖冬であると気象予報士の予測でしたが、やはり冬は冬!寒さあっての季節でございます。それ故、町中も冬を楽しむイルミネーションや暖かグッズが目白押しで、季節を十分味わえる様子が伺えます。

当山泉福寺でも、冬の十二月に恒例行事がございまして、新仏様の白木位牌お焚き上げ供養を致します。白木位牌は、初盆と初十夜を終えられた仏様のお位牌と、ご家庭のお仏壇内にお祀りされていたお位牌で、五十回忌が終った為お寺にお焚き上げの申し出があったお位牌等を、焼却ご供養致します。日和や風向きを吟味し、頃合いを見て読経しながらお位牌を手にしご回向していくのですが、お位牌を手にする度に、お一人おひとりの故人様の生前のお顔やご葬儀の様子、はたまた、喪家から頂戴したお言葉などが思い出されます。今年も多くの出会いと別れがあったものだと感慨深くなるものです。

人は生まれたその瞬間から死に向かって人生の時間を削ることはこの世の必然であることは承知の上ですが、もう一つ必然なことは、出会えば必ずいつかは別れが来るということです。別れに悲しみ苦しみが深く伴うほど、出会いさえしなければ、こんな思いはしなかったのにと、その出会い事態を嘆くこともしばしばです。しかし人との関わりが無ければ、人は人ではなくなります。人の出会いで学び喜び、嘆き悲しみ、交互に来る苦楽を繰り返さなければならないのです。そして悪い事に、人間は弱い動物ですから、苦しい出会いの時ほど人は過去の良い出来事に思いをはせ、その過去をなかなか忘れられずにしがみついているものです。

仏教をお開きになったお釈迦様は、たくさんのお智慧の言葉を残して下さいましたが、その一つに、

  • 過去を追ってはならない
  • 未来を待ってはならない
  • ただ現在の一瞬だけを強く生きねばならない
 と説かれました。 過去を追うという事は、あの時に戻りたいな、あの時が一番良かったな、あの時こうしていたら今の現実が違ったのに、と今の現実を否定し目を背けることです。一例を上げますと、初恋の人の事は、人は忘れないものです。人それぞれの場面展開で、片思いのまま終った人も居れば、告白したもののあっさりとフラれてしまい、あっけなく終わった人も居るでしょう。その思い出は何年経っても色褪せることはなく、いつまでも胸の内で輝いているものです。そんな思い出も五十年経って、もし再会したら、別人に思えるほど風変わりした様にがっかりした経験は実際に一人や二人ではないでしょう。

時間は人の風貌を変え、老いを加えて変わります。清い思い出は壊れるかもしれませんが、それは悪い事なのではありません。れっきとした経験の積み重ねで智恵深く成長した証なのです。

それは、毎日今一瞬を大なり小なり努力し、生易し人生じゃない中、もがきながら、時にはいくら努力しても全く成長の変化を感じないと、しょっちゅう断念致しつつも、やっぱり生きていかねばならず、努力しているからなのです。現に、短い間隔で見れば変化が無いように感じるものの、目を変えて長い期間で振り返ってみると、人間は、大胆に変化している事が良くわかります。それくらい人間は劇的な成長をする可能性を秘めているのです。

諦めずになし続け、目標に挑み続ける決意を忘れてはなりません。そして、それには当然失敗や、後悔がつきものですが、長い時間で振り返るとその経験こそが、成長のきっかけになっていると自分で気づきます。気づいたときに初めて目標がまた一歩達成に近づけているのです。それは年齢に限らず生きている誰もがそうなのです。

この一年、三百六十五日努力し、一年を終えようとしておられます皆さんが、それぞれ自分自身に対し努力賞を贈りましょう。自分の努力を知っているのは、自分以外の何ものでもありません。その努力賞を来年も自分に送れるようにまた、努力の道を共に歩みましょう。きっとその一歩の偉大さに感謝できることと思います。

一年無事に感謝合掌
輝空談