見えないからこそ大切な力
梅雨に入り、ジメジメと鬱陶しい季節になりました。鬱陶しいと思いつつも、少し例年より雨量が少ないとなると、夏の水不足が懸念され、雨を願うのですから、人間とは勝手な生き物でございます。
梅雨という時節柄、雨と付く「ことわざ」ですぐに思いつくのが、「雨降って地固まる」でしょうか。余りに一般的すぎて、意味はご承知のとおり、言い争いや、もめごと等の悪い出来事の後は、解決してしまえば以前よりかえって善い関係が作れる、という意味です。本来の直訳は、 雨が降ると、地面が、ゆるんで、よくない状態になっても、雨がやめば、そのゆるんだ地面が、前よりもまして、固くしっかりとした良い状態になるという自然現象をとらえた教えとなります。苦難を良い人生勉強の機会として自分にかせた善徳のことわざでございます。
人間関係のもめごとなんか、誰しも起こしたくはないものですが、ちょっとした感情の行き違いや、意味の取り違いで止む無く起こってしまうことはしばしばで、嫌なもめごとだからこそ、逃げずに言い訳せずに、素直に自分の至らなさを認め、謙虚な姿勢で解決に努めれば、その時は苦しいものの、誰彼か助けてくれて、解決の糸口が見えて参ります。
そして、そのもめごとが解決した後には、当事者や周りの人との気持ちが通じ合えて、理解が深まり、その経験が智恵として自分自身に培われた財産になるのです。これは、人生の悩みや失敗などでも、いつでも身近に当てはまるのではないかと思います。
仏教教義に出てくる「雨降って地固まる」という意味合いは少し違います。地面をこの世の中に例え、人に踏み荒らされて、砂埃が立った地面や、石と土が混ざり合い荒れ果てた地面、水につかり、ぬかるんだ地面、どんな地面にも雨が降れば、その小さな水滴、一滴一滴で砂埃を沈め清める事が出来、土と石が混ざり合っていても、砂は雨によって下へ動かされ、石だけが上に残り、収まりどころを見つけられます。また、ぬかるんだ地面は人生の浮き沈みに例えられ、時間の経過で水が地面にしみ込んでしまうと一層の硬さを持つ様子から、時が来るまで耐えよと諭してくれているのです。
砂埃に人生の慌ただしさと殺伐感を感じ、混じりあった石と砂が分離されていく様は、物事の落ち着きどころを見出せます。雨の小さな水滴の儚い力がじっくりとじっくりと大地に降り注ぎ、ならしていく様子は、仏法の慈悲と同じです。
雨水のように、儚くとるに足らない力こそ、実は動き始めればブレの無い膨大な力となり物事を正しい方向へ動かすのです。
だから、見えない力をあなどることなく、とるに足らない事だからこそ、大切な意味があることを知らねばなりません。
もうすぐお盆で、ご先祖様がお帰りになります。亡くなってもう居ない人の事だからとないがしろにせず、見えないご先祖様の慈悲の力だからこそ、その尊さに感謝し、敬意を持って大切にお祀り頂きたいものです。お盆という仏教行事は、年に一度、その慈悲の力を改めて考えさせてくれる大切な法要だと痛感させられます。
合掌
輝空談