命の尊厳
寒さ厳しい冬を終え、雪解けと同時に繰り広げられる木々の芽吹きと花の色添えは春の到来を告げ、誰しも心軽やかにしてくれる季節となりました。極寒の雪しぐれに耐え、今か今かと待ちわびる植物生命の飛躍に、我々見るものすべてに喜びを与えてくれます。刺すように冷たい水が、柔らかな肌あたりになることを、水道の水でさえも春を教えてくれます。
その日本の水事情というものは、世界各国が認めるほど技術の優れた国で、水道をひねれば、日本全国どこででも安全な水が一年中流れます。さらに、好みの水質にこだわれば、各地のご当地飲料水がボトルで購入も可能です。それが当たり前と思いがちな私ども日本人ですが、実際のこの地球の水事情はどのようになっているのでしょうか。
宇宙の中で青く美しく輝く地球は、「水の惑星」と呼ばれております。その呼び名にふさわしく、地球全体の70%が水でおおわれているのです。しかし、その水の多くは海の「海水」で占めており、全体の97%とされております。逆に、飲料にできる「淡水」と呼ばれているものは残りの3%ほどです。しかもその大半は南極大陸の氷や地下水で占めておりますから、人間が使える再生可能な水資源(河川、湖、沼の水)は、地球上の水のわずか0.01%しかありません。水の豊かな地球と単純に思いがちですが、実際にはほんのわずかしかない水源を人間は奪い合っているのが現状なのです。
動物の水場確保は生命維持そのものを表し、弱肉強食の食物連鎖の中で、互いの立ち位置を確認し、安全を確保して命がけで水を求めているのです。その状況は、人間界でも同様です。今のように、かんがい事業が進んでいる先進国以外は別ですが、多くの発展途上国では今でも道なき道を歩き続け、水を求めて暮らしていることはご承知のとおりです。人々は、水がある場所を求めて移住し、集落をつくり、それがやがて集落同士が集まることで今現在の国家へと発展してきております。同じ場所・地域に住む人たちが民族を形成し、同一の宗教を信じ、同胞意識を高めて今日までやってまいりました。こう考えれば、民族間の戦争や宗教間の戦争も、元を正せば水と繋がるのではないでしょうか。
現に、水不足が食糧不足を招き、その環境は貧困層を拡大化させ、水や食糧確保を優先するあまり、未来ある子供や若者から学業を取り上げました。その結果、国や地域の開発や発展を妨げ、悪循環の連鎖を作り上げたのです。そう考えますと、多くの戦争の根底には水不足が原因である、と言ってもやはり過言ではないでしょう。
そんな発展途上国とは逆に、日本を含む先進国は、何もかも幸せに満ち溢れているのでしょうか。経済力を追求するあまり、正しく生きる道を少しずつ踏み間違え、その道のりがゆがんだ精神となり、やがて地球規模で広がり続け、人類の歴史の中で何かしら危惧する要因となる種を撒いている気がしてなりません。
それを暗示うかがわせる行動があちらこちらで頻発しておりますテロ行為です。一部の紛争地域ならいざ知らず、欧米諸国からもテロへの参加を希望する若者が後を絶たず、この日本でさえも過激思想は広まっているといわれております。
その若者の言動には、日々の不安と不満が入り乱れ、未来の希望が持てない困惑感を破壊するきっかけを探し求めているといいます。その心の因子が何かのきっかけで止どめのない間違えたエネルギーと化し、テロへと向かわせているようです。
早く愚かな行為を止まらせる術はないものかと、案じてなりません。しかし、生きる喜びがない者に生きる喜びを持てと言っても始まらないのです。でも、このままほっておくわけにもいかず、自分の手立ての限界に私自身が苦慮し、それでも、できることは限られているので、ただただ念仏を称えるばかりの毎日です。
でも、信じております。人間の愚かな行為は、人間の知恵によって止めさせられると、その思いはつのるばかりです。お念仏をし続ける、その行為に一見非力さを覚えるかもしれませんが、仏様が何かきっかけをこの世におぼし召し下さると信じております。長い道のりになるでしょうが、念仏三昧の相続に努め、信じ続けるばかりです。
合掌 輝空談