泉輪 平成28年12月



心の叫び


暮れとなり、慌ただしくお過ごしのことと存じます。一年の流れに思いをはす時分となりました。今年を何となく振り返ってみますと、そういえばリオオリンピックがあったな、広島カープがリーグ優勝したなと、今年の旬な話題であるものの、ずいぶん前の出来事のように感じるのは私だけでしょうか。

熊本地震の復興の見通しはたたず、アメリカ次期大統領にトランプ氏が勝利し、前東京都知事の辞任から新政権発足の雲行きも怪しくなる中、なんだか世の中の善悪の狭間がすごくあやふやになり、正しいことの基準が何なのかが分からなくなっているのが今の世の中のような気が致しております。

そんなすっきりとしない不安感の中で、原発事故に関する子供のいじめ問題が表面化致しました。

福島第一原子力発電所が東北地方太平洋沖地震による地震と津波の影響により建物の崩壊と、それと同時に放射能漏れの大事故が起きたのが二〇一一年(平成二十三年)三月十一日のことです。当時は、テレビ、新聞等で刻々と伝えられる情報に一喜一憂し、涙しながら安穏を願い、何もできない自分を責めたものです。それがいつしか毎日起こる政治経済の動きや、芸能スポーツの新鮮な情報に心奪われ、忘れてはいないものの、どこか置き去りにしてきた感は否めません。そんな矢先のこの度のいじめ問題でした。

今回のいじめは、たまたま今発覚しただけで、実際には引っ越しを余儀なくされ転校した直後から多数引き起っていたということに愕然と致しました。しかも、報復を恐れ我慢で終わっていたことや、勇気をもって担任に相談したにもかかわらず取り合ってくれなかったということにも苦慮致します。

いじめにあった子供さんの言葉に「賠償金をもらっている」ということから金銭の要求があったと、共通の証言がありました。確かに強制退去させられ、家や仕事、生活住空間を原発事故という一方的な条件で避難命令が出された人には、生活賠償金や損害賠償金が当然の権利として支払われています。事実を報道する上で、裏から、斜めから鋭く説く情報番組によると、避難退去命令の近隣都市では「賠償金バブル」という現象が起こり、新築物件の高騰、中古物件の完売、遊興地の収益アップといったことが現実に起こっているとのことです。

そんな一面をクローズアップして、濡れ手に粟のような、人が働くことなく大金を手にしている人がいる、と邪(よこしま)な考えが前に出ると、心の憎悪が膨らみ悪の力が増長されます。

それに対し、放射能汚染はないものの、漁業者が漁場を破壊され、住居や加工市場が倒壊し、販売ルートが遮断され、衣食住すべてを失いました。それに加え、なんとか漁獲した海産物には放射能汚染の風評被害を受け販売ができない状態を、踏ん張り立ち上がり復興を目指しておられます。

国からの補助金では到底賄えることのできない膨大な金額を借金し、個人が集落が、町全体が一丸となって復興に取り組んでいる姿に共感を得られております。同じ東北地方太平洋沖地震という自然災害で、片や保証賠償金を得て転居を強いられ、片や借金をし自力生計を立てようとしている。

どちらも望んで起きた事態ではないものの、どちらの方が苦が深いかを考えさせられます。確かに補償金を得た方は、お金の心配は当面ないでしょう。原発に関係のない漁業者は借金を背負いとてつもないご苦労でしょう。でも、自分の生まれ故郷が残りました。生まれ故郷でやり直すことが出来ます。

もしかしたら、生まれ故郷だからこそ踏ん張る力が出るのかもしれません。

居住する箱モノの建物が家ではないのです。生まれ故郷という大地のお陰の上に立っている建物が我が家であり、安住の地なのです。福島で復興されている皆様に我々遠く離れた者が教えられました。心からエールを送ります。

それに対し、原発事故で故郷を離れざるを得なかったに皆様には、その胸の内を私たちに話して下さい。原発というエネルギーが日本でどういう役割があり、皆様にどう生活影響をもたらしていたのか教えてください。その問題定義の一つが今回のいじめでしょう。

もし、補償金を貰っていなければ、いじめはなかったのでしょうか。いじめる側の人は、いじめる題材を探していたら、たまたま福島の転校生がやってきたから目を付けたのでしょうか。原発とは関係のない、貧困や複雑な家庭環境がそうさせたのでしょうか。

どちらにせよ、苦を背負い、故郷を後にした心の傷を察することが出来るなら、そんないじめはできないでしょう。それをできる人間がいたことを知り、私は心を痛めております。それでもどんなに心を痛めても私は、側からものを述べている無責任な人間です。当事者のどの立場の人の痛烈な心の叫びを受け止めることも出来ないのでしょう。

ただ、これだけは伝えたいです。どうか死なないでください。どうかそれだけを望んでおります。どんな暗い夜でも、必ず朝は来ます。

若者の未来に合掌
合掌 輝空談