泉輪 平成27年10月



平和への願い


残暑お見舞い申し上げます。

年々暑くなっていることは承知のことですが、今年は本当に暑かったです。
九月に入ると、朝晩の気温の低下に少し安堵を覚える様にはなりましたが、しばらくは日中の残暑は残ることでしょう。
皆様には元気に今年の夏をお過ごしになられましたでしょうか。

それでも、今年はこの暑さを吹き飛ばすほどエネルギッシュで感動的な夏でした。勿論、リオのオリンピックです。金メダル十二個、銀メダル八個、銅メダル二十一個と日本の歴史において驚異的な獲得数でした。
リオと日本の時差の関係で、ライブ(生放送)を見る為には、夜中や早朝と睡眠を削りながらの観戦や応援となりましたが、その価値は十分にある内容だったのではないでしょうか。私の場合、競技によっては、自分の目で見たいと興奮気味にテレビの前に立つこともあれば、自分の勝手な判断で、もしや一回戦負け、いや決勝で逆転負けかもと根拠が薄いくせに、強い思い込みのストーリーをたてた場合はあえてテレビは見ずに、朝の朝刊の一面を速攻で見入る事もしばしでございました。そこにメダル獲得の表記があろうものなら、テレビのダイジェストを何度も見て、送らばせながらの感動を頂戴したものです。
金メダリストの笑顔、銀メダリストの涙、銅メダリストの東京五輪への意欲と様々な良い顔と、良い涙のオリンピックとなりました。

また、このリオ五輪ではもう一つの歴史的な展開があったオリンピックといえます。
それは、「オリンピック難民チーム」が結成されたことです。薄学の私は「オリンピック独立参加選手団」というものも別に存在することも知りませんでした。
「オリンピック独立参加選手団」は国際オリンピック委員会(IOC)からの資格停止、国がなくなってしまった、国が国際的に認められていない、国籍がなくなってしまった個人など国を代表できない状況にある選手が個人として参加するチームで構成されているそうです。
それに対し「オリンピック難民チーム」は国際問題となっている難民問題への働きかけの一環として、十分なスポーツ環境どころか生活環境さえない難民となった選手を支援し、世界のすべての難民に希望のメッセージを送ろうと構成されたチームだそうです。
世界最大の平和の式典としての真のメッセージが、世界のあらゆる人への真の勇気と希望へとなったことでしょう。
リオ五輪のテーマである「環境保護と平和」の精神が生かされたものと感服致しました。

そしてもう一つ私は感動したことがございます。
開会式中、国色ある演目が繰り広げられているさなか、広島の原爆投下時刻である日本時間、午前八時十五分頃に合わせ、その原爆投下の様子を演出したパフォーマンスが披露されたのです。リオ五輪には二〇六ヶ国の国が参加しているにもかかわらず、その中の一国である日本の原爆投下を演出したのです。
確かにブラジルには多くの日本人が移民しているため、その結びつきが深いことは分かりますが、その心を原爆投下の演出で表現することに心底驚きました。
リオ五輪開会式の演出を手がけたメイレレス氏は、大学で建築を専攻し、日本建築を学び、特に建築家の丹下健三のファンであったようです。
それ故、自宅には木戸やふすまがあり、中庭は日本庭園を設え、日本通の親日家としても有名らしく、日本の歴史背景にも精通していたようです。
それ故に、日本の原爆投下に心をはせ、その時間に合わせ黙祷する提案をしたのですが、政治的な介入と組織委員会から却下された為、リオと広島、そして世界の平和への想いを繋げようと表現したのが今回の演出となり、それを手掛けて下さった彼の平和への思いに感謝致しました。

これは政治に疎い私の勝手な想像での結び付きですが、リオ五輪開催前の今年五月にG7伊勢志摩サミットが開催され、アメリカのオバマ大統領が訪日し、その訪日期間中に広島を訪問したことが脳裏をよぎります。
戦争、核兵器、戦死者への鎮魂、様々な思いが混同する中で、七一年の時を経てアメリカ大統領の行動は強い平和への祈念へとなりました。
アメリカ大統領が政治タブーとされていた広島に足を踏み入れることが平和への願いの強さであると同時に、もうそこまで大変な世界的危険が迫ってきているのではないかと逆発想で心配してしまうのは私だけでしょうか。
政治活動としてもオリンピック開催にしても、誰もが願う当たり前の平和への思いを改めて強く感じ、言葉にならぬほど平和が続くように切に願う特別な今年の夏でございました。

合掌
輝空談