泉輪 平成28年4月



笑いの力


(掲載枠の制限から一部原文を省略しております)

笑いの力

冷戦が終わってまもなく、バルカン半島で戦争が起きた。命の危機にさらされる中、人々は笑いに支えられたという。笑いの力ってなんだろう。極限状態、それでも笑った。

恐怖や絶望を軽やかに笑いとばす。私にもできるだろうか。二十四年前、ユーゴスラビア紛争のさなか起きた「サラエボ包囲戦」を生き延びたスアダ・カピッチ(63)に会った。彼女は私の目を見据えて言った。「悲劇をジョークのネタにできれば強くなる」カビッチは市民の暮らしぶりを一年かけて取材して『サラエボ旅行案内』(邦題、三修社)にまとめ、戦時下で出版している。同書に、こんな記述がある。《サラエボはやせた人ばかりだ。彼らなら最新のダイエット法について本が書ける》《読者はレーニンの本を手放せるのだろうか?去年の冬、レーニンの本がよく燃えることがわかったからだ》

破壊行為に対して創造行為で抵抗し、耐えがたい自らの生活をユーモアに交えて絶妙な距離で描写した。カピッチは振り返る。

「ユーモアと創造力で、平常心と日々の営みを保つ努力を続けること。それが恐怖という心理戦への私なりのレジスタンスでした」

もう一人の証言
 包囲戦が始まったとき四歳だったヤスミンコ・ハリロビッチ(27)は包囲戦下ではやったジョークを教えてくれた。爆発で耳を吹き飛ばされた男が路上で探し物をしている。見かねた女性が「耳はあきらめて逃げて」と言うと、男は「耳にはさんでいたタバコを探しているんだ!」ハリロビッチは言う。「ボスニアのユーモアの特徴は、自分を笑うところ。身の危険があったときでも自分を笑える能力は、そのひとの力強さを表していると僕は思う」笑いは絶望からひとを救う。ただ、笑うには努力が必要だ。

あと一人、ポポビッチはユーモアの効果を三つあげる。第一、ユーモアは恐怖や不安を吹き飛ばす。第二、面白いことはみんながやりたがる。第三、敵をジレンマに追い込むことができる―。「ユーモアに対してまともに反応したら権力者側は馬鹿にうつる。反応しなかったら弱虫になる。どっちに転んでも敵に不利なんだ」ユーモアを用いた非暴力運動を「laughter(笑う)」と「activism(行動主義)」を合成して「laughtivism」と呼ぶ。「笑い」が命を救い、社会を変える姿だった。(文 中村裕)

これを読み、私は絶句しました。明日の朝生きていられるかもわからない極限状態で、冗談なんて言えるだろうか自問自答しました。はたまた自分自身はさておいて、もし自分の家族が苦難に遭遇したら笑って笑顔で接することが出来るだろうか。苦難を分かち合い、ユーモアに変えて笑いの会話が出来るだろうか。実際には中々出来ないことではないでしょうか。掲載記事の様に日本の地には今現在、戦争も起こっておりませんし、紛争危険地域もありませんが、現実には、多くの事件、事故が多発し、自殺者も増え、そしてこの度の「熊本地震」の勃発です。果たして日本は本当に平和なのか、安全なのか混乱極まる状態です。私自身も、凡夫の愚僧にていつも悩みや迷いを抱えており、それを一度たりとも、笑いのエネルギーに変えられたことなどありません。どんなに平静を装っても、私は危なげなく完璧に人生を過ごすことなどできず、そんな智慧すらありません。

ですが、私はその苦難に遭遇した時に必ずする行為がございます。それは、本堂の阿弥陀様の前に座ることです。そして眼前の仏様をじっと見つめるのです。

泉福寺阿弥陀様は、見てお分かりのとおり、仏像のお顔が「半眼(はんがん)」という目をされております。

半眼とは、その目を半分だけ閉じている様子だとは誰もがお分かりでしょう。

では、我々人間が写真を撮り、シャッターチャンスを逃して目が半開きになった残念な写真を一度は目にされたことでしょう。それを見て、苦笑はするものの、奥深い半眼な目をしているな、などとは誰も思わないものです。なのになぜ仏様の半眼のお顔に人々は心救われ、迷いを取り払う力を授けて下さるのでしょうか。

半眼には、多くの仏教意味が含まれております。一つは、現実の全てを見ることなかれと説かれております。特に人との関わりの中で相手の欠点はすぐに見つける事が出来るものの、逆に相手の良い点は中々見つけられないものです。悪いところは半分目をつぶる事で良い面のみを見つめる方便ととらえられます。

またもう一つは、現実の見えるものを見つめるのではなく、見えない愛情、感謝、といった計算や経験では計り知れない全てのご縁を見つめよと説かれております。私どもには出来ない、尊いお力で我々の内面を全て見透かされ、我々の至らなさと、まだ開花していない無限の可能性を眼力で教えて下さっているのです。その目により、諭され励まされ教えて下さっておられるのが、仏様の半眼のお力です。

自分の心の内面を見つめ、これだけは誰にも言えないという心を奥底に抱えているものは、既に仏様にはすべて見抜かれているのですから、苦しみ悲しみ未来の期待や夢を大いに語り、心の整理に本堂にお参りされますことをお勧めし、皆様の明日の叡智にして下さい。そして笑顔の明日が必ず訪れることを信じてみようではありませんか。その信じる力が、笑いの力へと代えて下さると信じております。

そして、その笑いの力を被災地にも届け、互いに育みあえますことを切に願っております。

合掌
輝空談