泉輪 平成29年春彼岸にむけて



日本人の心


お彼岸の時分となりました。一月は行く、二月は逃げる、三月は去るとはよく申したもので、既に逃げかけの三月を後ろから追いかける当山でございます。そんな慌ただしい中ではございますが梅の開花、桃のほころび、桜の蕾の膨らみ始めと植物は黙って春の到来を教えてくれます。入進学の喜びのご家庭もあるでしょうし、そういえば三月ですので雛人形を飾ったお家も多いだろうなと思いめぐらしておりますと、ある新聞の掲載記憶がよみがえりました。

その記事には、日本人が日々の暮らしの中で、日本の風習や習わしをする人が五十四%いるという記事でした。若い世代のグローバル観やドライ観を想像すれば、意外に多くの人が古式ゆかしき習わしを継承している人が居るものだと感心したものです。お正月、節分、ひな祭り、節句、七夕、お盆、秋祭り、年間を通してもかなりの風習があり、それに地域独自の習慣、年齢層による恒例行事、加えてバレンタインデーや最近の恵方巻等、上げればきりがないほど風習はあるものです。

更に、この時期ならではの恒例行事に、受験の学業祈願への願掛け、ジンクス、も話題に上がります。私ども福岡県民は太宰府天満宮の菅原道真公におすがりすることしか思い浮かべませんが、巷では「オクト(置くと)パス(合格)【和訳・タコ】」の受験たこ人形、「キットカット(チョコ菓子)」ならぬ「きっと勝つ」というパッケージの菓子、五角形の合格鉛筆に消しゴム、JRのすべり止めの砂を入れた祈願袋と、どの業界も目の付け所は一級品企画物と圧巻の商戦劇を繰り広げます。親は、合格への階段が一段でも上がれるように、藁をもつかむ気持ちがうまく商業化の拍車となっているようです。

そんなさ中、驚きのニュースが流れました。ネット販売で学業祈願の名高い神社仏閣のお守りが売買されているというのです。それも、東大合格者が合格後ネットに販売するというネット商法で、受験=(イコール)お守りとなり、これも、日本の習わしに基づく精神かと一見納得するものの、お守りに宿る神々の精神にすがるというのではなく、受験に勝った東大生の精神にすがったものなので、お守りの意味がどこまであるものかと疑問が浮かびます。もちろん報道側は、地元大宰府天満宮宮司にまでコメントを求め、インタビューでご利益無し、とバッサリと切っておられましたが。

このように人々の心は、風習習慣で良いものは取り入れ、日々の暮らしを安らかにしようと努めるものの、趣旨としては古来の趣よりも結果のみを求める現実理想主義の方が強いのかもしれません。ですから、ネットで東大生の使用済みお守りを買う行為へと繋がるのでしょう。お守りの売買は、言うまでもなくネット社会の出来事です。インターネットの普及は、店舗を構えずとも物の売り買いが可能で、会ったこともない人の情報をも知ることもできます。その社会的ネットワークの構築の出来るサービスは時間とお金を掛けずに、ありとあらゆることが可能となり、今の現代社会ではなくてはならないものです。でも逆に意図せぬまま情報が漏れてしまったり、深い付き合いの知り合いでない人に一方的に恋愛感情を持たれ、結果殺害までする悪い情報の使い方もされています。

ひと昔前は、人との関わりでいさかいが起こり感情のもつれでトラブルへと発展するのが鉄則でしたが、コミュニケーションをとらずしてネットという媒体を使い情報に感情をゆだね事件事故へと発展する様変わりはどう考えていかねばいけないのでしょうか。今更パソコン、携帯電話、タブレットを無くす世の中にすることは出来ないのですから。

でも思い出すのが、お釈迦様の言葉で、人が居て自分が成り立っているのだから人を許すことから始まり、持っているものを捨てることから自由を得ていくという言葉がございます。情報も同じで、持ち得た情報を持ちづづけない、その後を追わないというように上手に付き合う経験を積まねばまた新たな悲劇が生まれることでしょう。そんな悲劇が起こらないように、この時期の雛人形のお顔を思い出して下さい。雛の純真な目なざしから、その風習の根底である、健やかな子供の成長と幸せへの願いを再確認し、季節の節目に心身を整え、健康長寿や厄除けを願う風習の意味を思い起こさねばならないと雛人形が語りかけております。その語りかけに心気づくことが、本来の風習の意義であるとご理解下されば幸いでございます。

合掌  輝空談