泉輪 平成29年8月



その先に続く道


夏の時分となりました。肌にねっとりと絡みつく、うだる暑さの到来です。
既に夏の風物家電は家中に出揃い、どこのご家庭でも目下フル活躍中のことと思います。
我が家では、家内が某有名家電メーカーの今どきの旬な羽根のない冷風機の広告を眺めつつ、今年も無理かと、ため息と共に新聞折り込み広告を折りたたんでおりました。
我が家の旬な話題は、その外国家電メーカーの冷風機が高額で、手が出ないという恨み節でしょうか。

我が家の旬な話題はさておき、巷の旬な話題の一つが「将棋界の新星・藤井聡太四段」の大活躍ではないでしょうか。
御年まだ十四歳の中学生です。その若干十四歳の彼が、将棋界の歴史を塗り替えたことは、皆様も記憶に新しいことでしょう。

報道によりますと、将棋のプロ棋士になった最年少記録を六十二年ぶりに塗り替え、連勝記録をも三十年ぶりに塗り替えたと、わきに沸いた将棋界となりました。
私は将棋のことは全く分からず、基礎ルールどころか、駒の並べ方すら分かりません。
それが、彼の活躍により知り得た情報を目にしてみますと、あちこちに将棋道場や教室があり、子供から大人まで幅広く将棋を学んでいるではないですか。
調べてみますと日本全国で将棋愛好者数は一千万人を超えているともいわれ、空前の将棋ブームが到来しているそうです。
おそらく、藤井聡太四段の活躍により、将棋人口の増加は更に拍車がかかっていることは間違いないでしょう。
将棋の歴史は、江戸時代にさかのぼり、全国に広がった日本固有の伝統ゲームであります。

その将棋は、少子化が進む現代にもかかわらず、学ぶ子どもの数だけは増加傾向にあるようです。
将棋は多様な選択肢の中から数十手先を見越し、考え抜いた最善と思われる戦術を決め、攻め入ります。
時に、相手に攻め入れられても、そのピンチの中、その難しい局面を反転させる冷静な打開能力を求められ、将棋は攻めも守りも含めて「頭脳の格闘技」とも呼ばれる所以(ゆえん)も理解できます。
そのような頭脳形成として改めて将棋が注目され、その魅力に海外からも熱い眼差しが注がれているのは自然な流れでしょう。
また、藤井四段の活躍はものすごい経済効果をも生み出し、例を挙げてみますと、安直とはいささか不謹慎ですが、日本将棋連盟が藤井四段の扇子やクリアーファイルを販売すると、瞬く間に完売したとニュースで知りました。
更に、藤井四段が対局に持ち込んだ持ち物に、「不二家LOOKチョコレート」を持参したとわかると、あちこちで売れ筋商品となり、将棋入門書籍は書店に大きなコーナーが設けられ、対局中の食事注文が入った飲食店は即刻長蛇の列ができ、将棋グッズそのものも、初心者用から高級銘木の駒や将棋盤に至るまで売れ続けているとか。
日本の政治経済を担う官僚や政治家には、藤井プロの爪の垢でも煎じて飲んでほしいものです。

それだけの偉業を成し遂げる藤井プロの頭の中を覗いてみたいと誰もが一度は考えたことでしょう。
その頭脳は確かに十四歳ということが嘘かのように、言葉一つとっても巧みな表現を用いてインタビューを受ける様に、誰しもが度肝を抜かれました。
有名になった藤井語録に「望外(ぼうがい)」「僥倖(ぎょうこう)」があります。大人でも使わない高尚な言葉を使い分けているのです。

望外とは望んでいた以上の結果や思い、僥倖とは思いがけない幸せ、偶然手繰り寄せた幸運という意味だそうで、望外は文字から何となく意味は想像できますが、六十歳近い愚僧の私が日常会話や原稿書きに使ったことなどなく、僥倖という熟語は意味どころか、そのような文字すら知り得ませんでした。

それが十四歳という若さに驚くこともさることながら、自分が歴史を塗り替えた当事者という興奮極まりないであろうその場でスラスラと口にするのですから、まさに彼は天才中の天才の頭脳の持ち主なのでしょう。感服致します。 ただ勝手な思いですが、確かに藤井プロは、将棋戦術において頭脳明晰であることは間違いないでしょうが、それ以上に将棋から学ぶ将棋道、という言葉が適しているかは分かりませんが、将棋で培われた精神道が人間成長形成に多様に影響していると思われます。
将棋では、対局終了後にその場で勝者と敗者が一緒になって対局を振り返り、問題点を探し出し、互いに反省や局面の復習をするそうです。
敵味方が一緒になって、戦いのその場で最善の手を探して道を究めようとする精神鍛錬は、他にはないでしょう。
また、対局中でもスポーツのように、時間制限や審判に宣告されるのではなく、「負けました」と負けを自ら認め、己の言葉をもって対局を終了するというのは、この上なく厳しく、また他に例を見ない程、素晴らしい清らかさと思います。
将棋に限らず、人として生きる上で、あらゆる局面において、理性で己を律し、先を考え価値を以って物事を選択し、何を見つけ出さねばならないのかを、十四歳の藤井棋士に教えられた気が致します。

彼の眼には、次の対局がどのように映るのか、その眼の内の魂の叫びに、将棋が分からない私も、興味がわき、楽しみで気になるところです。

合掌
輝空談