泉輪 平成29年4月



崩さぬ平和の形


今年は花冷えの時期が長く、例年に比べ桜の開花もずいぶん遅れたものです。咲くころを知って咲く桜に、蕾の硬さを見せられながら、そ知らぬ顔をされているようで、待ち遠しいような、変にそわそわした春の入りでございました。例年よりたった十日遅い開花というだけで、こんなにも遅く感じる桜の開花に始まる春暦でございました。

そんなうららかな矢先、不穏なニュースが連日報道されてまいりました。隣国北朝鮮による弾道ミサイルの発射予測報道です。北朝鮮の近年の動きと言えば、アメリカやアメリカの同盟国を名指しし、玉砕してやる!というようなニュアンスの少々馬鹿げた、且つ、弱者の強がりに似た滑稽と思えるような、口先だけの遠吠えをするだけの弱国という印象の国でございました。

それが近年、科学技術を向上させてきた北朝鮮は、その技術を駆使して製造したミサイルに核爆弾、化学兵器をも搭載可能との報道で、戦後やっと七十余年の平和が、なし崩しにされるのではと心を痛めております。

その心配をよもや現実になりうるかと思う内閣府の報道がございました。次頁の掲載図にございますように、内閣府が「弾道ミサイル落下時の行動について」という警鐘情報を流したのでございます。

それ以外にも、日ごろからの備えや落下後の速やかな行動対策まで、いつ投下されてもおかしくないという危機感をあおるものもあるのです。さすがに今までのように、笑って見過ごすことのできぬ緊迫その情報の影響か、核シェルターの建物や、防護服の販売ルートの情報まで出回る始末となったのです。

このグローバル化した国際社会の中で、どうしてそんな野蛮で孤立をあえて望むような行動を北朝鮮はするのでしょうか。豊かな国づくりを目指すのであるならば、今の行動はその意図からは真逆を選択しているとしか思えないのです。そんな考えになるのは、世襲制の独裁政権の国だからでしょうか。それより、そもそも北朝鮮という国はどういう国なのでしょうか。鈍感に過ごしておりまして、今まで隣国でありながら知識不足の愚僧で恥ずかしい限りでございますが、朝鮮半島の奥にある世界情勢から孤立した小国、いや貧国という程度の認識というより勝手なイメージしかもっていないほど、北朝鮮という国は知りえておりませんでした。

そこで北朝鮮のことを初めて、調べてみました。北朝鮮の建国は一九四八年九月九日に独立を宣言したとされています。これでお分かりの通り、建国七十年足らずのとても新しい国となります。では建国宣言の前はどうなっていたかということになります。

その前は第二次世界大戦終結前までは、日本が統治下にしておりました。しかし、日本は敗戦により撤退すると、旧ソ連と、アメリカ両国がその地を統治しようと勢力争いの結果、北側にソ連主導の『北朝鮮』南側にアメリカ主導の『韓国』と、ご存知の三十八度線をもって朝鮮半島は北と南にわけられることになったのです。その後、ソ連は北朝鮮開国に当たり満州の軍人で、ソ連の支配下組織にいた金 日成(キム・イルソン)に白羽の矢を立て、彼を初代最高指導者に据えました。ソ連の支配下組織にいたのですから、何らかの都合のいいことが政治上もくろまれていたのでしょう。

現に、ソ連と北朝鮮と中国の関係は、接する国同士が互いになにがしかの繋がりが見て取れるのは報道情報で理解できます。

しかしながらその関係が完璧な蜜月状態が続いているわけではなく、互いの腹の探り合いで表面を取り繕っていることは、疎い私でも暗雲の雲行きを感じます。

何か信頼しきっているわけではないのに、ソ連が北朝鮮を擁護したり、中国が北朝鮮の動きを見て見ぬ振りすることに合点がいかないのは私だけではないでしょう。
専門家の意見をかいつまんでみますと、アメリカ主導の韓国が、朝鮮半島に存在している以上、北朝鮮というクッションになる国が存在していないと、韓国が中国やソ連に何やらしてくる心配があるので、関所の門番の役割で北朝鮮を据えていた方が好都合との考えはあるようです。そのように、生かすとも殺すともどちらでもない力関係で北朝鮮を放置している間に、今のような独裁国家が樹立されてしまいました。

今現在も予断を許さない北朝鮮情勢を、世界各国で緊張した状態で見守るばかりです。

万が一、北朝鮮が滅びることがあるならば、それで解決となるのでしょうか。アメリカ、ソビエト、中国の力関係のバランスが、北朝鮮が存在しなくなることで歪み始め、私の頭では到底想像もできない不穏なことが起きるのではと心配しております。
平和をみんな望み、自国を愛し、永遠の幸せを願っているはずなのに、今の状況にならざるを得ないのはどうしてなのかと、考えさせられます。日本の国会議員の能力不足なのか、トラ
ンプ大統領誕生だからか、添加物入りの食べ物を食べ続けた現代人そのものが脳神経細胞に危険なシグナルを多量に促し暴走型行動しかできなくなってきたのか、答えが全く見当もつかぬまま、心配でならない愚僧でございます。

今日も阿弥陀様の前にお念仏を称え、どうすべきかと、問うてみました。決してお答え下さるわけではございませんが、今こそわれわれ人間のあるべき姿を試されているかのように思えてなりません。
我々凡人の力は微力です。しかし、微力は無力ではありません。私はひたすら祈ります。どうか、地球上が平和でありますように、願い、願い、また願い、祈るばかりでございます。

合掌
輝空談

弾道ミサイル落下時の行動について