特別行事(泉福寺直弟子加行見舞い参拝)
泉福寺新聞「いずみ」発行も定着し、皆様も昨年十二月号をお読み頂いた後、漠然と次は三月のお彼岸か・・とお思いのところ、不意打ちにこの度の本号「いずみ」は二月に発行させて頂くこととなり、冒頭よりまずはお詫び申し上げます。
この度は、「特別行事」の告知がございまして、三月お彼岸号を早める形で、情報提供となりました。
その特別行事と申しますのが、京都総本山光明寺で修行中の長男弘円のことでございます。
それが、月日はあっという間に流れ、その弘円は本山での修行の身となり、この度、本山にて加行(けぎょう)を受け「法脈相承(ほうみゃくそうじょう」にて「法脈(ほうみゃく)」を頂戴する運びとなりました。
少し仏教専門用語が連座致しましたので、その説明をさせて頂きます。法脈(ほうみゃく)とは僧侶となってから使う「空号(くうごう)」のことでございます。
皆様の多くの方のお仏壇も、「〇空〇〇」というように空号が付いております。お身内でご葬儀をお出しになられた方には、必ず私はお戒名のお話を致し、その最初に、お戒名の空(くうごう)とは、当山の宗派・「西山浄土宗」で信心勤められ、ご先祖様を手厚くお祀り致します、という証です、とご説明致します。
一般の檀家様はこの世からお浄土へ向かう際に、仏門の大道へ進む意味で、空号を授けますが、僧侶の場合は総本山光明寺にて厳しい修行をし、その修行が満行した暁に、空号を管長猊下様より直々に頂戴するのです。その頂戴する空号の文字を「法脈(ほうみゃく)」と言い、その法要を「法脈相承(ほうみゃくそうじょう」と申し、その際の修行を「加行(けぎょう)」と申します。
その加行(修行)の満行(満了)を迎え、「法脈相承(ほうみゃくそうじょう」で、法脈(ほうみゃく)」を頂戴する全ての過程を、この度、弘円が光明寺より許可頂き、受けさせて頂くこととなりました。
修行の全行程十七日間は裸足で、全員寝起きから食事に居たるまで板張りの間にて過ごし、諸堂にて正座での念仏三昧に加え、早朝を含む三回の水行の苦行を強いられるのです。疲労困憊の中にもかかわらず、食事は肉や魚を口にすることはできず、睡眠もままならない、まさに極限状態の十七日間なのです。
加行を体験している私ども僧侶は、とにかく正座に苦労し、足、膝、太もも、腰、全ての痛みに加え、腹から出すお経の為、のどは枯れ落ち声すら出ない辛さを記憶しておりますが、一般檀家様が加行見舞いで本山参拝をした際は、水行に心を痛めるようです。
それもそのはずです。三月末から四月初めまで行われる加行ですが、京都のその頃の時分はまだ底冷えがし、しかも朝一番の五時にかぶる桶の水は、前日から汲み置いておくため、薄氷が張っているのです。
それをかけ声とともに、一斉に水をかぶるのです。痛みと不眠不休に近い状態での修行を表現するとするならば、最もふさわしい言葉が、「生かさず殺さず」という文言が思い浮かばれます。適切な言葉なのか、不適切な言葉なのか、その時を思い返しても判断はつきかねます。ただ、それくらい壮絶な修行であることは間違いございません。
そして、その年に一緒に修行する者たちを同行(どうぎょう)と申すのですが、見ず知らずのたまたま縁あって加行を受けた者同士、挫折しそうになる時も、痛みにうずくまる時も、互いに励まし合い慰め合い、満行の日に向かって修行を繰り返すのです。
私の満行の日、阿弥陀堂で見た朝日の光の暖かさと愛おしさ、ぽつぽつ咲いている桜の清らかさと、空の青さが忘れられません。
普段普通に目にしている何でもない一つ一つが感慨深く、今この世に生かされている慈悲の有難さに、涙が出たことを思い出します。
そして、毎年加行の時期になると、自分の僧侶の第一歩となったその時の瞬間に、いつも心が引き戻されます。
忘れえぬあの当時の初心を思い返し、今の己の足元をを見降ろしつつ、回顧と同時に、苦行に邁進する加行中の若い修行僧に鼓舞の思い託し、毎年念じておりました。
それに加え今年は、愚僧である私の弟子であり長男である弘円が受けるとなると、若かりし加行時の自分と、今日(こんにち)の年を増した自分の薄っぺらな歴史にも刻む節目があるのだと喜び半分、困惑に似た落ち着かなさ半分の心境であります。
確かに僧侶として仏門での最初の関門であり、満行というお祝いの席ではございますが、親としては実は複雑な心中もあるのでございます。
弘円は、望むとも望まざるとも、泉福寺第一子の長男としてこの世に生を受けた瞬間から、仏門の道を定められ、友だちが夏休みで遊んでいる最中も、お盆棚経参りを強いり、時期が来たからと本山修行に送り出した、その私の親としての行為自体が、果たして弘円の幸せに繋がるのか、他の道を与えないでいいのかと、答えの出ない思いが生じ続けているのです。
現実は既に、宗教離れが叫ばれている世の中で、人間関係が希薄になったと叫ばれているにもかかわらず、それでも檀信徒を束ねる泉福寺の担い手として、次期住職となる道から逃れることすら許されておりませんし、更に、たとえ住職に就任したとしても、僧侶の宗教者としての布教の修行を続けながら、昨今の目まぐるしい経済環境の中で、宗教法人の運営管理をし続けなければならない弘円の運命の意味を考えてやまないのです。
ですから、満行というお祝いの気持ちは多いにあるものの、多岐に考え、先を憂いる思いがあるのも事実です。
よって、お祝いの宴席を喜びに満ち溢れてするだけの気持ちだけにはなれず、参拝はどうすべきかと手をこまねいておりました折、世話人総代に加行のことを何気なく話しておりましたら、総代会長様が「そらぁ、本山参りしてやらなばい!」と私の不安な気持ちを一瞬にして打ち消すがごとく、鶴の一声が出たのです。
またある世話人さんは、「どんな盛大な法要よりも弘円君の加行見舞いの為に本山に行きたいです」ともご発言下さり、あれよあれよと、総代会による本山参拝が挙行される運びとなりました。
総代世話人皆様の弘円への深い愛情と、泉福寺護持への信心深さに本当にありがたく感謝致しました。
このような流れで急なことではございますが、檀信徒を代表して頂きまして、総代世話人様にて本山加行見舞い参拝を致すこととなりました。
参拝詳細日程、予算等は旅行会社様と本山法事部の部長様と協議致しておりますが、京都市内はマイクロバス移動につき、世話人総代様以外に若干名随行可能となっております。よって、本いずみ号にて急ではございますが、本山参拝希望者を募りたいと存じます。
ご希望やお問い合わせはお寺まで直接お電話下さいます様宜しくお願い申し上げます。
また、本山参拝に合わせ、本山参拝事態は出来かねるものの、本山での貴家様の御先祖様回向をご希望される方と、並びに弘円への見舞い御志納下さる方を同時に募集致します。
泉福寺直弟子加行見舞い参拝工程表(案)はこちらからご覧頂けます。
本山回向につきましては、一口五千円から出来まして、泉福寺檀信徒「総回向(合同回向)」で致します。しかし、四口以上(二万円以上)ですと、各家「個別回向」を本山でして頂き、貴家様の回向卒塔婆と本山参拝記念を後日ご郵送致します。
(※総回向の場合は本山の卒塔婆はございませんが、参拝記念品は後日ご郵送となります)
弘円満行見舞いご志納も一口五千円からと致しており、満行後、満行記念の記念品を後日ご郵送をさせて頂きます。皆様からのお見舞い志納金は、満行で弘円がまとう法衣に充当させて頂きます。
毎年行われております加行と法脈相承ではございますが、泉福寺継承に直結する弘円の加行は一生に一度のことでございます。
どうぞ、それに伴います仏心をお寄せ下さいます様、宜しくお願い申し上げます。
また、ご質問等ございましたら、お寺までご一報下さいます様お待ち申し上げます。
合掌