泉輪 平成30年11月



言霊(ことだま)


賢い者はよく聴く 愚か者はよくしゃべる


泉福寺玄関前の掲示板

秋の良い季節となりました。全ての生命が誕生し、育ち、熟していくその意味を体感できるのが秋の季節です。年々猛暑が増す夏に辟易(へきえき)し、疲労困憊していた体には、秋の季節の癒しが、ことさらながら有難く感じます。
 そして癒しと共に心くすぐるのが、何とも言えぬ哀愁と申しましょうか、もの悲しさなのでございます。なぜでしょうか、この季節はやたらと心切なく涙もろくなるものです。
 そんな時に飛び込んできたニュースで、樹木希林さんがお亡くなりになったと知り、更にしみじみと切なく思いました。
 とりわけファンというわけでもなく、今までの活躍を追って見ていたわけではないのですが、味のある女優さんがまた一人この世から居なくなったな、と感慨深げに思いました。

彼女の訃報からテレビ各局特集番組があちらこちらで放映されました。子供世代によく見ていた『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』は懐かしく、近年の映画に出てくる人間味あふれる演技は、円熟し、何か達観したかの心境を、見る側にも伝わる気迫ある演技でございます。
 そして、冒頭で文字を流しました禅宗高僧のお言葉の奥深い悟りの境地とは何か、それを突き進め、言霊(ことだま)の意義と重ねながら、樹木希林さんを通して少し申し述べさせて頂きたいと存じます。

樹木希林さんという女優さんは、決してずば抜けた美人女優ではなく、主演は晩年になるまで演じることはなく、それでいて存在感と、もの言わぬ目線、しぐさ、体にまとう空気で、演じる役目を極め、その作品の趣の納まりどころを導いてくれる存在感は、生粋の女優魂の王道でしょうか。
 目線で心の内面を表現し、しぐさで次の展開を見る者に期待させ、存在自体で知らしめる、それでいて彼女の最小限のセリフという言葉に心が揺さぶられたのです。
 そもそも、私を含めこの世の人間は、人種、国籍、風習が違えども言語を用いてコミュニケーションと必要情報のやり取りを致します。生きる上で必要不可欠な言語と、演技の極みを用い、セリフという言葉で人の心を一瞬にして捉える女優魂とは、そもそもその重深さの違いを突き付けられてしまうのです。 そして自分自身の原点に立ちかえり、言葉の用い方によって生じる「知恵深さ」と、真逆の「浅はかさ」の狭間を思い、考えさせられるのです。
 自分に問いかけ、自分の言葉がもし横柄で、且つ、くだらなさに満ち溢れ、併せて、相手に不快を及ぼす言葉を使っているのならば、それを慎み直さねばなりません。慎むからこそ、律した行動がとれ、相手にも真の誠意が伝わるというものなのです。
 樹木希林さんという生き様により、己の至らなさを思い知らされ、樹木希林という一人の女優さんに言葉の「言霊(ことだま)」を教えてもらったのだと、首(こうべ)を垂れるところでございます。

加えてことさら、人間に本来あるべき本質本能として、人は目の前のことに一生懸命に取り組む性質を持ち合わせております。
 環境に於かれた自分の立場と巡り合わされた人との環境を一生懸命に最善にしようと努力するのです。その当たり前のことの裏には、その目の前で起きている実態の影の部分や、先の真意を見落としがちになる危うさがあるのです。
 そのことを端的に表現した言葉が、近視眼的思考(きんしがんてきしこう)と申します。意味は、見方・考えが先の大局を見通せず、目先の事だけにとらわれている様や、目の前の手近なことに踊らされ愚かな行為をするさまの意です。
 とかく起こりがちな人間の愚かさと、生きること、即ち死ぬことと言い切って演じた女優魂とその人間性との差をもって、自分の生き様の小ささに雲泥の違いを思い知らされ、禅僧の「賢い者はよく聴く 愚か者はよくしゃべる」にのっとり、人間成長の為、律せねばならないと、反省回顧と更なる努力を誓う今日この頃でございます。
 そして、いつしか樹木希林さんのように多くを語らずとも、人々の心に染み入るような存在になりたいと願い誓うのでありました。それが還暦目前の自分への節目の思いでございます。

最後になりますが、私の気に入っている樹木希林さんの生前に残された言葉を残し、今回の締めくくりとさせて頂きます。

阿弥陀仏見つめて合掌
輝空談

この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。〜中略〜 でもね、それでいいの。こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。若くても不自由なことはたくさんあると思います。それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、不自由なまま、おもしろがっていく。それが大事なんじゃないかと思うんです

靴下でもシャツでも最後は掃除道具として、最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるということだと思う。自分の最後だけは、きちんとシンプルに始末することが最終目標

私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか

全て有難し、有難し、
そして、縁(えにし)縁(えにし)