泉輪 平成30年9月



移ろう心


九月九日の明け方 私は、しとしとと降る雨音でいつもより早く目覚めました。
昨日から降り続けた雨は、夏の気配を払いのけ、小さな滴がじっくりと大地を冷やし、そして、世の中を静寂させるかのように、一切の雑音を消すがごとく、規則的な雨音をたてて降り注いでおりました。

まだ完全に目覚めていない思考で、本日のお参りの予定を思いめぐらせ、と同時に昨日の我が家の出来事をぼんやりと回想しておりました。
昨日(九月八日)、多くの高等学校では体育祭が行われ、次男の学校でも同じく体育祭が執り行われました。雨模様にてプログラムは大幅に縮小され、午前中のみで終了となったようです。次男は皆様ご存知のように口数の少ない子ですから、こちらが聞かないと答えないという一方通行型の会話が多く見受けられるのですが、昨日は自ら体育祭の様子をしきりに母親に話しておりました。次男は高校の三年間陸上部に所属していたため、体育祭の日はその都度、陸上の大会出場と重なり、今まで体育祭参加を果たせなかったのです。
やっと春に引退した次男は、初めての体育祭だったのでございます。

高校生活、最初で最後の体育祭か、と思いつつ、それ以上の記憶をたどるには、重く鈍い目覚めの思考では限界で、何とか鉛のような体を起こし、時間の確認といつもの習慣でテレビをつけました。
するとテレビ画面上方のテロップに、福岡県日田市の大雨警報が発令され、このまま降り続けるとかなりの降水量が九州全域に蓄積されるとの情報も報道されておりました。
この頃の降水量は凶器になる為、不安を覚えつつここ九州で怖いのだから被災地北海道はもっと恐怖や絶望感と戦いながら、なんとか日々を過ごしておられるのだろうとやわら考えたりしていた矢先です。

無意識につけたテレビはとある被災地の復興ドキュメンタリーを報道していました。タイトル・目撃者f「わが故郷 松末に生きる〜桜に誓う 豪雨からの復興〜(再)」

一瞬、この番組はどこの地域を報道しているのかわかりませんでした。
直前の災害地は北海道地震で、その前が広島岡山の豪雨で・・・・この地域はどこだったかな、それが私の率直な感想でした。
なんとその被災地は、福岡県朝倉市の復興途中のドキュメンタリーだったのでございます。
番組内容は、九州北部豪雨の被災地・朝倉市杷木松末小河内地区の住民小川信博さん(65)を通して、豪雨から1年の復旧・復興の現状や課題を伝えるドキュメンタリーでした。
私は自分の記憶と気遣いの無さにただただ愕然と致しました。
たった一年足らず前の出来事を、すっかり忘れているのです。
しかも、自分の住んでいる福岡県の地元の出来事なのにこのあり様です。

自分の感覚に違和感をもったことがもう一つございました。
九月六日の夜明け前に速報で北海道地震の知らせを聞くと、震度六強(後に七と修正)という数字に、被害の様子が気になり、朝方四時からテレビをつけっぱなしにしておりました。
明け方前の出来事にて、気象庁の会見や報道局の情報だけで、実際の被害の様子が映像では分からないため、遠く離れた我々はややヤキモキした気持ちで夜の明けるのを待っていたのです。
そして、朝刊が配達されると早速見開き、情報を得ようとしたのです。

ところが、一面の大きな見出しは「台風二十一号」の被害状況の掲載でした。
真っ先に思ったことは、北海道地震の新聞記事がない!でした。
それもそのはずなのです。地震発生時刻は九月六日の朝三時で、その日の朝刊新聞印刷には間に合うはずもなく、また、台風二十一号はその前日に発生した記録的大規模台風だったのですから、その被害状況は、甚大且つ広範囲にわたり、インフラと生活物資、住居や車とあらゆる方面に被害をもたらせました。
しかも日を追うごとにその被害は増加していったのですから、近代日本の歴史的に見ても悲しい傷跡を残した災害だったのです。
にもかかわらず、私は翌日におきた北海道地震しか頭に残ってはおらず、たった一日でその前日の台風二十一号の被害を忘れていたのです。
そんな状況ですから一年前の朝倉市のことなど頭の片隅にも残ってはおらず、自分の記憶していない己の心を非常に卑しく感じました。
私はなんて薄情で愚かな人間なのかと、情けなさをもって自分の足元を見つめました。

確かに人間の心は移り気(うつりぎ)にできております。
その移り気の性質は、一つの事に集中せず気が変わりやすいことや、興味の対象をたやすく別のものに向けることを意味し、とかく悪いと申しましょうか、人間の本質を軽く見下げるような方向性をもたらせます。

しかし、実際にはこの移り気という人間にしかない精神構造があるからこそ、悲しみの淵に立っても、前に進む勇気が出たり、苦しみを和らげたりするキッカケをもたらせてくれるのです。
その{苦}というものに対して、八〇〇年以上前に、法然上人は、人間は生きているいじょう「苦」から逃れることはできないと悟られました。そして「苦」から逃れることはできないからこそ「苦」を受け入れ「苦」と共に生きる尊さを教えてくださいました。

その浄土宗根元の尊さを学ぶ背景には、人間が人間として持っている精神として、日々同じ感情を、同じエネルギーで持ち続けることはできないということがあります。
季節が移ろう様に、心も一瞬一瞬変化し続け、絶えず動いている内なるエネルギーを知ることから始まります。
今、思っている感情は変化する一瞬のあり様であって、永遠ではないと知ると、短絡的に、憎いや、欲しいや、美味しい、悲しい、の有らん感情はほんの通過点で、最終的な達観論では違う見解を見出しているかもしれないことを知ってほしいと願います。
そうすれば、諍いや心の痛手は無くなる、もしくは和らぐのではないでしょうか。

この文章で私の記憶力の無さと心浅はかさを美化する形になることは意図と致しておりませんが、今あちらこちらで震災被害に見舞われ、愛する人を失ってしまったご遺族や、ご不自由な生活に苦慮されている方々も、今の心情は大変なご苦労とは重々承知いたしておりますが、どうぞ人間の再生精神力と仏様のお慈悲を信じ、先に光が待っていることを願って、苦難を乗り越えて頂きたいと切に願っております。
今の苦しみは永遠ではございません。そう信じて生きていってください。
そして何気ないありふれた些細な過去の思い出と、これから起こる小さな変化を、喜びに変えてみれば、心に灯る光の暖かさをもって、少しづつ癒されて行って下さればと願っております。

輝空談