泉輪 平成30年8月



逆境の後押し


梅雨前の湿度高く高温にさらされる日もあれば、冬が舞い戻ってきたのかと思うほどの寒さもあり、三寒四温という穏やかさよりも、せわしなく変わる天候に体が追い付かない今日この頃です。
ここまでお読みになられた皆様は、え!!七月末の極暑ですが・・と反論の声が聞こえてくるようです。それもそのはずです。この原稿は、実は五月二十日より書き始めているのです。
皆様のお手元には、お盆の名簿の関係上、七月末に出すことは外せないので、この文章の季語と、お手元に新聞が届いた実際の天候とに、ずれがあることは当然のことで、ただどうしても、今自分の思いを書かずにはおられず、筆をとっているのです。

泉福寺新聞「いずみ」も平成二十年夏から始まり、既に六十号を超す発行回数になると、文章がすらすら出てくるときもあれば、書きたい議題を見つけることが出来ないと申しますか、ネタ切れ状態に苦悩する号もあるのです。
プロ作家のようなスランプなどというには、おこがましいのですが、書けない時は本当に書けないのです。
しかし、今回ばかりは、どうしても書かずにはいられない気持に至り、この今の原稿書きとなりました。
それは日大アメフト部選手の謝罪会見を見て、決して許すことのできない、大人の汚さにどうすることも出来ない憤りの気持に至ってしまったのです。

今更ご説明することはなく、危険で悪質な反則プレーをし、相手チームの選手にけがを負わせてしまったことへの世間からの批判に始まり、世論を鎮めるためであろう日大アメフト部元監督が辞任をし、その流れに誰もが、よくある汚い社会の権力の中で、一般の我々は、胸の中で渦巻く重い気持ちを抱えつつも、時が重なると、次から次へと起こる真新しいニュースに埋もれて、また忘れ去られていくのかと、無力さに気落ちするだけを想像しておりました。

それがまさかの予想外に、反則プレーをした本人が、実名で自分自身を報道陣の目にさらし、謝罪会見を開いたのです。
年齢二十歳という青年を、テレビ画面の向こうに見据えても、危険プレーをこの子が本当にしたのかと疑うほどの真っすぐな眼差しに何とも言えぬアンバランスで不釣り合いな思いを抱きました。
あるメディアの記事を抜粋致しますと、当日、日本記者クラブに集まった報道陣は実に三五八人で大谷翔平選手がメジャーリーグ挑戦会見を開いたときの二五五人を大幅に上回っていたそうです。
それほど騒動が大きくなっている証なのですが、今回の件は一大学生が学生スポーツの中で起き、大学という組織の中の一部活動の試合ととらえるにはあまりに大きな取り上げられ方であり、本来守られるべき存在である学生が、矢面に立たなければいけない現状の異様さに憤りを覚えました。
なぜこんなことになってしまったのでしょうか。
人生の中で、特に子供時代から大人になるまでの通過点で、どれだけ努力をしたか、どれだけ多くのことを学んだか、そのためにどれだけ失敗をし、後悔をして立ち上がってきたかに人生の礎が深く築かれていきます。
それをどの分野でも、どの世界でも子供が選んだその場で人生を学ばせるのが大人の役目です。日大のその学生は学びの場が、たまたまアメフトでした。
日本代表にも選ばれるほど、その身体能力とガタイの良さも秀でていたのでしょう。
将来を嘱望されていたのであろうその選手は、たった一回の試合ですべて無くしてしまったのです。スポーツは、自分自身とチームメイトの絆の元、勝利を信じ日々努力する鍛錬に価値を持ち、勝利よりもゴールに行きつくまでの手前の道のりに学びがあると信じております。
限界を超えようと体を酷使することは、技能技術を習得するよりも精神の成長の方が大きく、見えない心の強さが勝利を導くからです。

二十歳の学生に無数のフラッシュが浴びせる、という酷な状況に、名前と顔を明かして臨み、答えられるすべてのことを話した選手は、これで一定の許しを得られるのではないでしょうか。
それに引き換え、日大関係者、特に当のアメフト関係者の言い訳や、言い逃れに、本当にこの人は大学という教育の場に身を置く人間なのだろうかと、怒りを通り越して、嘆きすら覚えました。
確かに大学と言えどもボランティアの団体ではなく、企業です。
私立大学であればなお更収益の経済性を重視せざるを得ない部分も仕方のないこととはいえ、でも今の日大の対応をこのまま放置してはいけないと思うのです。
何とか第三者委員会の調査に加え、文部科学省等の行政の介入により、今こそ改善計画と実際の問題解決の実行、そしてその後の推移の動向確認に徹して頂きたいものです。
私は、この一連の事件という言葉が適切かどうかわかりませんが、この一件で多くのことを考えさせられました。そして大学という組織の実像を知りました。

確かに危険タックル行為は褒められたことではなく、そこは許されることはできませんが、それを命令する絶対権力が存在し、その権力化の中に自分が身を置かざるを得なかった場合、自分ならどうしただろうかと自問自答しました。
違反プレーをした選手の親が自分だったらどうしただろうか、自分の子供が正しい判断で監督指示に従わず、その制裁で将来の目標や生きる術を無くした時に、自分だったら子供にどんな言葉をかけるだろうか、ただの想像過程なのに、その自問自答に苦悩しました。
なぜなら、その危険行為をした選手の年齢と我が子の年齢が変わりないからなのです。
他人の私でさえここまで悩んだのだから、当事者の選手とご家族は大変な決断だったことでしょう。
また、その後、全国規模の某新聞の記事で、反則プレーをした選手の人間性を見て自分の企業で採用するかというアンケート記事が掲載されました。

ある大手都市銀行は不採用でした。
どんな状況下にあろうとも正しい選択を自分自身がしなければ、金融という信用の場では採用することはできないと辛口の回答コメントでした。
逆にある大手家電製造メーカーは、即答で採用でした。
失敗を正直に悔い改め、誰のせいにするのではなく自分自身が悪かったと反省の弁を公の場でする行為に、将来万が一混沌とした経済状況になっても、きっと強いリーダーシップをとってくれる、と期待の声が上がっておりました。
彼はこのまま大学に残るのか、本当にアメフトを辞めるのか、先のことは見えませんが、とても近い将来、社会に出ていくことは間違いありません。
その時に、彼の逆境の経験がどういう形であれ理解され、強い後悔の力を社会に役立つ力に変えることが出来る企業と出会って欲しいと願うばかりです。

合掌
輝空談