泉輪 令和元年10月



海の教え


暦の上では八月八日を過ぎれば立秋となり、夏の終わりと秋の訪れを同時に目にする時候となっております。
文章をよく書く私も、お盆前までは、季節の挨拶に暑中お見舞いと認め、お盆を過ぎると残暑お見舞いと認めます。
文字の上では四季の移り変わりはしているものの、実際の気候は年々気温が上昇し、三十度超えは当たり前で、三十五度、三十七度と、体温計でしか目にしないはずの数値が、気温となっております。
時に駐車中の車の温度計は、車の表面温度が上昇しているせいか、四十一度を表示しているのを目にした時には、このまま人間だけでなく地球上の生物すべてが、消滅してしまうのかと、ぞっと致しました。

気温が上がれば、併せて海水温が上昇し、その結果、立て続けに今回の台風九号と十号が発生致しました。
九号の暴風雨も一晩我々から睡眠を奪ったくらいの唸り声を轟かせていましたが、十号はさらに大型で、百年に一度の経験したことのない猛威を振るった台風と、連日の報道で危険を周知されました。
九州、四国、中国地方の人々は見えない恐怖を押し殺しながら、被害の最小限化に努められ、一時避難先の確保や、非常食の準備と労を尽くされたことでしょう。

皆様のお怪我や家屋の被害、心身のお疲れを含め、全ての皆様に台風お見舞いを申し上げます。被害の無かった皆さまはお疲れを癒され、何らかの被害があった皆様には、一刻も早い復旧とご安心を得られますよう祈念申し上げます。

時に話は変わりますが、泉福寺のホームページをご覧になられた方もおられるかと思います。ホームページ冒頭のオープニングをご存知でしょうか。
もう何度も泉福寺のホームページをご覧頂きました檀信徒の皆様は、もうそのオープニングの出だしには興味がなく、イヤ関心がなく、飛ばす、スキップするのが常でしょうか。かく申す私もその一人なのではございますが(苦笑)

さてそのホームページ冒頭ですが、このように記載されています。

絶え間なく押し寄せる波は 時にやさしく ときに荒々しく 人間の喜怒哀楽のすべてを表します。 満ち引きのリズムは 仏の息づかいとされ

この文章の前半は、人間の喜怒哀楽の感情表現に趣を置くのではなく、人間が持っている心の業を戒めるためです。
悟りを得た穏やかな観音様も居られれば、不動明王のように怒った顔をしている仏様もあります。その仏様の表現するメッセージ性と季節天候によって変化する波の様子を重ね合わせたものなのです。

後半の文章は、生命誕生と月の力の統合性です。
産婦人科では、満ち潮の日に多くの赤ちゃんが誕生するということは常識で、ある産婦人科医院では、月の満ち欠けを考慮した人員配置も考えているというから、実際に連結したものなのでしょう。

また、研究室の栽培庫内でレタスを育てている愛知県のトヨタ紡織は、太陽のリズムではなく、月の動きに合わせて照明をあてる実験をし、レタスでは収穫量が2割も増えたというのですから摩訶不思議なことでございます。
何でも成長を促す要因として、潮の満ち引きを起こす「起潮力」が月の引力や地球の遠心力などを作用する事が関係しているというのですが、薄学な愚僧には、実際のところチョッと難しいです。

そして、お寺で実感することは、引き潮の時にお亡くなりになる確率が高まるのも事実で、月の満ち欠けと、生命の誕生、成長、そしてお亡くなりになることは自然節理の全ての中の一つであることをこの文章の後半で認めたのです。

では、今回の台風をこの文章に当てはめてみますと、数十メートルにもなる高潮は、仏様の何を表しているのでしょうか。
一般的に知られている不動明王は、顔面は怒りで青黒く、時に赤黒く、両目とも獰猛(どうもう)な目つきで、額のしわは苦しそうに、これでもかと言わんばかりに波立つっています。
その上、髪の毛は燃え上がっているという、あのものすごい形相は、まさに今回の台風の様子と重なります。

しかし、そもそも不動明王は、なぜあのようなお顔立ちなのでしょうか。
不動明王は、密教で最高の仏様とあがめられる大日如来の化身と言われています。
言葉で言っても言うことを聞かない我々人間の悪業・煩悩を封じ込め、正しい仏教の道に導くために、悪行を犯す手を縛るための羂索(けんさく)という紐を手に持ち、また片方の手には煩悩を断ち切る剣を持って我々人間を戒めているのです。
やさしく諭しても「どこ吹く風」の人間には、この不動明王が出現し、体現することで善行を積むように教えて下さっているのです。

今回の荒れ狂う台風も、不動明王の形相意義と重ね、人間が自然秩序を狂わせ、自然破壊に程目が効かない今を、憂いている台風なのではないでしょうか。
ただひたすらに一人一人が、自然というものに対して、考えを巡らして頂くことを、そして行動を変えることを、望むばかりでございます。

   

十念合掌
輝空談