新未来の先にあるものは
春うららかなる日和から、新緑のまばゆさを感じる今日この頃ですが、皆様に於かれましては、日本歴史始まって以来の大型連休を如何お過ごしだったでしょうか。
ご存知のとおり、この大型連休は平成天皇ご退位と新天皇ご即位に伴い、多くの皇室、及び国民の祝賀行事が行われ、その期間をお休みとしたため十日間という大型連休が誕生したのでございます。
そして事前発表により、新元号「令和」に年号が変わることが決定されました。
過去にも同じように昭和から平成へと元号が変わったことがございます。
思い起こすところ、昭和から平成に変わったのが三十一年前のことでございます。
その時も、平成という年号を耳にし、聞き慣れなさと、昭和の元号に親しみ過ぎて、とても違和感を覚えたものでございます。
また、昭和から平成に代わる際は、昭和天皇のご逝去に伴う年号変わりによる
ものでしたので、国民全体が喪にふし、鎮魂の祈りを捧げ、静かに日々を過ごす暗く重く悲しみ深い節目だったのです。
しかし、この度の新天皇の即位にあたっては、平成天皇が生前退位をされたため、新天皇即位の祝賀に沸き、めでたく、高揚するワクワク感と、新しい時代の期待感がみなぎっております。
何度も報道されましたので、新元号「令和」の由来はご存知のことでしょうが、万葉集の一説「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」の中から選ばれた文字と知り、千三百年以上前の日本人の心を詠った感性が、現在にも通ずることが日本人らしく、日本人たるゆえんだと感慨深く思うところでございます。
また、安倍晋三首相が談話で、「令和」という元号に込めた意味について、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」と述べ、万葉集が日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります」と説明されたことも、まさに日本人の心の真髄を述べられ、日本人としての誇りを再認識させられるものであります。
更に安部首相の談話は続き、「悠久の歴史と四季折々の美しい自然。
こうした日本の国柄をしっかりと次の時代に引き継いでいく」と語られたことに、未来がそのようにあって欲しいと切に願うばかりでございます。
皆様は、この令和の新しい時代に、何を望まれるでしょうか。
と同時に過去の時世にも思い巡らせたことでしょう。
「昭和の時代は…」「平成の時代は…」と、それぞれの年代の各々の事象と重ね合わせたのではないでしょうか。
その時々の時代背景と、置かれた個人の立場での生き様に敬意を考えるばかりでございます。
災害が続きつつも、戦争がなかった平成の時代です。「令和」は果たしてどんな時代になるか。今はどの分野でも、たとえ子供であっても、格差が拡大し、「貧困」という言葉にさえ驚かなくなるほど、世界は大きく揺れ動いています。
だからこそ、人々が希望をもてる時代であれ、と、この令和の時代に望むばかりでございます。
特にこれからを担う若者たちに問うてみたいです。
この茨(いばら)の娑婆世界をどう捉えているのでしょうか。
文化という心の財産より、文明という経済社会に趣を置く現代で、何を頼りに娑婆世界を生き抜いてくれるのだろうかと案じるばかりだからです。
娑婆とは、仏教では、苦しみを耐え忍ぶ場所、という意味であります。
刑務所出所の際のドラマのセリフと真逆の意味ですこの世は逃れることのできない四苦八苦の苦しみに満ちた場所で、目の前で起こる突然の不幸は、ただ不幸だと、悲しむだけの出来事と、安直に考える愚考をたしなめ、逆に人生を考える絶好のチャンスなのです。
その出来事一つ一つは、見えない力の計らいにより、与えられたものだと理解して生きることだと、学ぶ場所が娑婆世界なのです。
そう努力することによって人間として完成していくための糸口が見つかるのもまた娑婆世界の意味深さだと若者に理解を求めます。
逆にまだ、そんな生きる意味や、生きるからこそ味わう苦しみを知らない純真で無垢なのが子供たちです。そんな子供たちに幸多かれと願ってやまない気持です。
そして輝かしい節目となる令和元年と重なって、祝い華やかに「泉福寺花まつり」が挙行されます。
新未来と平成のバトンタッチは参列する稚児さんたちの成長に委ねるものでしょう。
大いにその節目とご縁に感謝し、多くの皆様にお祝い下されば幸いでございます。
たくさんの皆様のご列席をお待ち申し上げます。
合掌
令和久しく思いをはせ十念合掌
輝空 談