泉輪 令和2年お盆



輝く寿命


店先にスイカが立ち並び、夏の到来を目で知る時期になりました。

今年の夏も年々上昇する気温の更なる記録更新がなされるのかと、地球が壊れる音を想像する不安が脳裏をよぎった、そんな矢先の豪雨被害の勃発でした。

被災地では一週間の降水量が、年間降水量の半分にも達し、日本列島のあちらこちらで川が氾濫し、土砂崩れが起きて、大切に守っていたものと、そして尊いお命がまた、自然の猛威によって一瞬にして奪われたのです。

被災地の皆様、そのご親族の皆様には心よりお見舞い、並びにお悔やみを申し上げます。

この近年で、どれだけの自然災害が起きたでしょうか。
どんな手立てを講じても、自然がもたらす牙を封じることは出来ませんでした。
加えて、新型コロナウイルスの発生により、今まさに被災地で人の助けを必要としているその現場に行くことすら出来ないもどかしさは、どうすることも出来ない苦悩に直面してしまいます。あらゆる知識を駆使し、天気天候の予測は昔とは比べ物にならない情報量にて、先の先までテレビの天気予報では予測可能になっているにもかかわらず、今回の豪雨は過去に例のないという言葉と共に予見できず、お亡くなりになった方でさえ、ご自身が犠牲になるとは、その瞬間まで思ってもいなかったでしょう。

振り返るとそこにご自身の寿命の最後の瞬間があった、というくらいあっけないものだったのでしょうか。

コロナがニュースを独占している時は、どうぞコロナで命が奪われることの無いようにと祈り、自然災害があると、これ以上犠牲者が出ないようにと祈り、皆さんの命が長く生きられるように祈ることしかできませんでした。
コロナ、自然災害と、死に至る原因が明確であると、それを回避して生きようと智恵を願いますが、誰しもが今回同様、何度も震災を目の当たりにし続けた記憶の刷り込みの果てに、人は一瞬にして、そしてもろく簡単にこの世から旅立つものだと、思い知らされ、受け入れざるを得ないまでの境地になっているのではないでしょうか。

また逆境に接したその命の長さにも様々で、長い命の方もおられる一方、はたまた短くはかない命もあるのでしょう。
誰もその長さをはかる術はございません。
そして、命の灯が長くとも短くとも、全ての命がその人だけに与えられたかけがえのないもので、二つとて同じ命はなく、加えて、そのどの命も「寿命」という光輝いたものには違いないのです。

懇情の別れ程、辛く悲しいものはございませんが、魂は阿弥陀仏に導かれ、光輝き続けたまま遥か彼方、西方のお浄土で生まれ変わるのです。
生まれ変わった命は、役目として仏となり、この世の私たちを守り導き続けて下さいます。そして、その導きとなる智恵を一つの糸に紬ぎ、あの世からこの世へ私どもの元へ届けようとするのです。

ただ残念なことに、その糸の長さは、この世とあの世の距離の半分ほどしかございません。だから何もしないとその智恵の糸の存在すら我々この世の人間は気づきもしないのです。

この世の我々は、懇情の悲しみと共に失った故人様の安穏を願い、成仏を確信するがために、また、この世の苦悩を少しでも克服できるようにと多岐の願いを込めて、お念仏を称えるのです。その称える心が、あの世への祈りの糸となり、この世からあの世へ向かって伸び続けます。そして、この世からの糸が、故人様のおろして下さった智恵の糸と自然と、そして必ず結びつくのです。

あの世からの半分の糸。この世からあの世へ延び行く半分の糸、半分の糸が重なり合うそれこそが「絆・きずな」となるのです。

悲しい別れでも、つらい別れでも、あなた様が祈りお念仏を称え続ければ、必ず故人様と結ばれます。故人様を願いお念仏のお力をお借りし、更に強い故人様との絆が育まれます。

例え、どこでお亡くなりになろうとも、どんな状態でお亡くなりになろうとも、そのお命はあの世で光輝く寿命として、絶えず半分の長さの糸を紡ぎ続け、その半分の糸の意味を十分に私共に教えとして気づかせてくれる文字「絆・きずな」と共に、お念仏の有難さを教えて下さっています。

そして、このお盆でその縁深き故人様、ご先祖様がお帰りになられます。半分の糸の智恵の糸に感謝し、お盆のご縁を大切にして下さる皆様の仏心に誠にもってありがたく存じる次第でございます。

合掌
輝空談