泉輪 令和2年5月



終息の決意


春、卒業、入学、入社、転勤転居、喜びに満ち溢れた新たなスタートが始まる桜色の季節ですが、ご存知のとおり、新型コロナウイルス感染拡大の為、世の中の色がいっぺんに変わりました。
  多くの学校、会社が、卒業式、入学式、入社式の中止や縮小に始まり、普通の生活が音もなく何かに抑え込まれていく自粛ムードが立ち込め始めた矢先、安倍晋三首相が新型コロナウイルスの感染拡大を受け、特別措置法に基づく「緊急事態宣言」を発令しました。
 東京都や大阪府の大都市六県に加え、ここ福岡県も対象とされ、この先一ヶ月程度は感染予防に努めるよう指示が出されました。

終わりの見えない不安と、恐怖と共に、何に怒りをぶつけていいのか分らないもどかしさがあります。
 しかし、ここは政府や行政の指示のとおり冷静な行動をとることに努めるのみです。
 また、特効薬等はいまだ開発されておりませんが、手洗いと除菌等、一人一人が出来る範囲の努力を求められ、理性を試されている時なのでしょう。

この地球上の人類に於いて、かつて今回のコロナウイルスのような緊張した世の中になったことは、一度や二度ではありません。
 天然痘、ペスト、スペイン風邪、マラリア、と、数えきれないほど経験してきました。
 人間が生きていくためというおごった開発が、自然を無理やり壊すことで、自然が自然自信を守っていた見えないバリアを破ってしまい、ウイルスの猛威が人間に襲いかかってしまったかのように感じます。

しかし、そんな困難の中であっても、それでも人類は滅びませんでした。
 近代医療が発展する前でさえも、ありったけの努力で生き延びたのです。
 その当時のありったけの努力とは、疫病は神のお怒り、悪霊の祟りととらえ、生贄(いけにえ)を神仏に備え、祈り、神仏のお力におすがりして鎮魂努めたのです。
 この行為自体は、医療の観点からいけば全く意味はなく、その「まつり」のお陰で疫病が終息したということはないのですが、ただ、心一丸となって願い祈る行為は、心の強さを生み、恐怖に立ち向かう強いエネルギーは生まれたことでしょう。

それが、今あちこちで行われている「まつり」の起源です。
 しかし、不安にさいなまれ今こそ「まつり」の精神を必要とし、鎮魂の祈りをせねばならない時でありながら、その各地方の大切に継承してきた「まつり」がこの新型コロナウイルスの影響で、次々と中止に追い込まれています。なんと皮肉なことでしょう。

「まつり」だけではありません。
 人と接触すると思われる各業種の店舗の出入りも自粛要請で大変な打撃も出ています。
 ならば、何としてでも早い終息を各個人が考えて行動をせねばならない時です。
 一時、ほんの一時互いに気を使い、感染に繋がる行動を避け、早き終息の後押しになるようにしようではないですか。
 皆様宜しくお願い致します。

合掌
輝空 談