彼岸に届ける思い
三月に入ると、うららかな陽気が立ち込め、新しい季節の到来を感じさせます。
そして三月は別れと旅立ちの季節でもあります。ご進学、ご就職に伴い新天地への旅立ちが、あちらこちらで繰り広げられていることでしょう。
節目までたどり着き終えた喜びと、過去の思い出を糧に、新たな世界の扉を開ける勇気や不安のおぼつかなさが交差する、ざわついた心地の季節でございます。
時代が違えども、我が宗祖法然上人も二十四歳の歳に比叡山を後にする決心を致しました。
「誰もが分け隔てなく救われる教えに出会えるように」と誠心誠意の祈願をこめて、誓いの旅立ちでした。
その後、法然上人はお念仏の尊さを悟り、浄土宗をお開きになられましたことはご承知の事と存じます。その出来事を物語にした本がお寺にございます。
そのページに繰り広げられている様子には、瞬く間に教えを求める人々が雲や霞のように広がっていったと説かれております。今のようにインターネットなどの手段はなく、郵便システムも構築されていない当時の世の中で、人々の口伝えだけで情報が広がる様に、人間の力強さを感じえます。
もう一つ、違う角度のお話を続けさせて頂きますが、ハロルド・ハケットさんという方は、カナダの海岸から、ガラス瓶にメッセージを詰めて、もう二十年間もの間、ボトルメッセージを流し続けているそうです。
その投げ入れた数は四八〇〇本にものぼり、ただひたすら返信をお願いしますと書いてあるそうです。
そして一九九六年以来、なんと彼に返ってきた返事はおよそ三千百通にも達するというのですから驚きです。返信を下さった方の国籍は、ロシア、アフリカ、イギリス、オランダ、スコットランド、アイルランド、北欧、アメリカを始め、いろんな国のありとあらゆる場所から届いているとのことで、海流の動き、拾い受けた人の思い、様々な地球規模の動きに思いを巡らせるばかりでございます。
中には十一年かけて流れたボトルがノルウェーから届いたものに加え、十七年かけてスコットランド、バハマからも返ってきたものもあったそうです。
流した数も膨大ですが、流れ着く先の国のバラエティさ、返ってくる驚異的な率の高さに驚かされます。これだけの人が返信して下さったというのは、人間の根底にある伝えたいという「伝達本能」のようなものがあるのでしょうか。
インターネットで世界中と簡単に繋がる時代だからこそ、こうしたアナログな伝達手段特有の価値を考えさせられます。また同じように、アナログ手段として我々は今、便利で簡単に情報が得られる昨今にいながらも、人々は変わらず、手を合わせ、心配事の相談や喜びの報告、全ての心の内を仏様に頼ってまいりました。
そしてまたここに春のお彼岸がまいります。此岸(しがん・我々の世界)の人々の願いを聞き入れるべく、彼岸(ひがん・極楽浄土)で阿弥陀様もご先祖様もお待ち受けされております。
法然上人はアナログ手段の口伝(くでん)によりお一人お一人に説かれて行かれていった浄土の精神です。その精神を受け継ぐ泉福寺檀信徒の皆様も、お彼岸にお寺やお墓詣りをされ、御仏に救いを求めてみましょう。
お参りの何の変哲もない行動でありながら、行きと帰りでは、なぜか心が軽く、さっぱりとした精神になることは誰でも実感し、体感しています。
それがなぜそうなるのか、見えない仏様を考え探る時間がお彼岸だと思っております。きっとボトルメッセージを投げ続けるハロルド・ハケットさんも誰が拾ってくれるのか先が見えないから心奪われ投げ続けているのでしょう。
見えないもの、分からないからこそ、何事にも深い意味があるように思えてなりません。
そして、今、仏様を信じてお念仏するあなたの心は、彼岸の仏様に見守られ救われているのだとお感じ下されば幸いです。
合掌
輝空談