泉輪 令和5年9月 秋彼岸



知って知らない南無阿弥陀仏


暦の上では秋ということですが、まだまだ残暑厳しい日が続いております。皆様は体調など崩されてはおられないでしょうか。

さて、今回はお彼岸が参りますので、だれでもお参りの際に口にするお念仏、「南無阿弥陀仏」のお話をさせて頂きたいと存じます。

私ども西山浄土宗で重要とされているお経を「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」と申します。その三つのお経の中の一つで、「仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)」、と申すお経の中には阿弥陀様とその本願、また仏の国である「極楽浄土」に関する教えなどが説かれています。

この仏説無量寿経は、もちろん仏教をお開きになられたお釈迦様が説かれたお経でございます。そのお釈迦様が生きておられる間に阿弥陀様の話をされておられるのですから、お釈迦様が仏教をお開きになる前に、既に阿弥陀様という仏様が存在していたことになるのです。
ここは大事なポイントでございますので、捉えておきましょう。そこで阿弥陀様の説明を補足しておきます。

遠い遠い昔、ある国に、とても慈悲深い王様がいました。その王様はあるとき、すばらしい仏様の教えを聞きました。それは世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏様の教えで、その教えに感激した王様は善行のできない民衆のために出家し、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)と名乗って修行を始めました。
心が清らかで熱心に善を行う民衆ばかりであれば、法蔵がたゆまない修行をする必要はありませんでした。しかし現実は、仏道修行が出来ないどころか、怒りや憎しみの心を消せない、殺生などの悪を止めることができない凡夫(婦)ばかりだったので、その人々に成り代わって、法蔵が修行して功徳を積む覚悟をされたのです。

その後、法蔵は悟りを開き、その結果、法蔵は阿弥陀様という仏様になられました。
と同時に、阿弥陀様の国である極楽浄土も完成されたのです。極楽浄土は清らかな場所であり、一切の苦しみがありません。そこに生まれた者はすぐに仏の悟りを得ることができるのです。そして、その法蔵の長い長い修行の功徳(善)にすべての思いと感謝を込めて、南無阿弥陀仏と称えるようになりました。
付け加えますと、「南無阿弥陀仏とだれでも称えれば極楽浄土に生まれかわり、仏様になれる」という願いが達成されたのです。そのことを阿弥陀様の本願と申します。

その阿弥陀様のありがたい本願を知ったお釈迦様は多くの人々に説法をして本願の内容を広めていきました。
しかも、お釈迦様は人々に阿弥陀様の働きやお力を誰にでも分かりやすく話して下さいました。そして生きていれば避けることのできない苦とは何かをもお話をされたのでした。
そもそも、苦と感じる要因は「人間が抱えている煩悩(欲)」が根本の原因だと確信され、この煩悩や執着がもとで、結果的に苦が生じている真実をお釈迦様は教えて下さったのでございます。

「世の中のすべては移り変わるもので、何ひとつ確かなものはない。富や名声、健康や愛する人の命も永遠に続かない」ことを知り、物事への執着を捨て、それによってあらゆる煩悩から解脱することで、苦しみから離れた生き方が出来るとお釈迦様は説かれました。
つまり苦を客観的にコントロールすることで楽に生きる正しい生き方を示されたのです。法蔵と同様に苦行を続けて、真理の真髄を追求してこられたお釈迦様だからこそ、阿弥陀仏の働きを体現し、人々に話すことが出来たのです。

仏教は漢文で出来たお経を、意味も知らないままに読経することが仏教の実践なのではなく、民衆自身が欲を捨て、苦をコントロールして生きる術を実践することだとお教えて下さっているものなのです。

特別な時間や経験が必要なのではなく、今まさにあなたの心が仏教そのものの行いなのです。

【ちょっとメモ】
世自在王仏(せじざいおうぶつ)の教えを法蔵様が知る

法蔵様は修行をし、悟りを開いて、後に阿弥陀仏となる

阿弥陀仏の働きとお智恵をお釈迦様が知る

お釈迦様は三部経に阿弥陀様の働きを書き留め、後に仏教を開く

そのお経の大切さを中国で善導大師(ぜんどうだいし)が説く

奈良東大寺の重源上人(ちょうげんしょうにん)が中国に出向き、
浄土三部経の経典を持ち帰る

重源上人は友人である法然上人(ほうねんしょうにん)に
中国より 持ち帰った三部経を読んでもらう

浄土三部経に感銘を受けた法然上人が後に浄土宗を開く

あくまでメモの形を取り、あえてレポート的に書きますと、このような流れになりますが、実際にはこの文字の裏には、とうてい書き表すことのできないほどの膨大な時間と、たゆまない先人のご苦労とご尽力があり、その遺徳のおかげで今、我々は南無阿弥陀仏と言葉にし、救われているのです。

ひと言に仏教、ひと言に西山浄土宗の教えと簡単に申しますが、絶えることのなく灯び続けた教えの法灯が今まさにあなたを照らしていることを少しでもお感じ下されば幸いでございます。

そしてこの秋にまたお彼岸が訪れます。意味深く、感謝をもってお念仏下さいますように祈念申し上げます。

十念合掌
輝空談