泉輪 令和6年11月



至福の好物


やっと安心して外を歩くことが出来る気候になりました。少し前までは、容赦なく照り付ける、太陽の熱にさらされる我が身を案じながら、覚悟をもって外出していたものです。その極暑が去り、穏やかな天候に安堵を覚える毎日でございます。

そんな中でも、能登の方々は、地震の後、追い打ちをかけるように豪雨が襲いかかり、未だに重ねてご苦労を強いられている現状に、お体を大切にされ、一日でも早い復興を願うばかりでございます。

今まさに新内閣が発足し、新しい総理大臣が誕生しました。
国として世界に発信する外交も大切ですが、自国民の安心と安全の確保を真剣に取り組み、能登の方々を始め、弱者の力になって欲しいと切に祈っております。

さて、時は十月です。令和の米騒動も落ち着きを見せ、新米も収穫されるようになり、秋の味覚も出回り始めました。
スポーツの秋、読書の秋、紅葉の秋、そして食欲の秋でございます。皆様は何が一番食べたいですか?

しかしながら、いろいろ頭に描くものはあるものの、物価高騰による家庭への影響もあり、いまだ食べたいものが易々と手に入らない現状に苦しむところでございます。
人はなぜ好きな食べ物があると無性に食べたくなるのでしょうか。
特に秋になり、気候が落ち着くと食欲が増し、心底食べたいと思う料理や食材が頭に浮かぶことが大いにあります。
そんなときの人間の脳内の食欲に対するメカニズムはどうなっているのでしょうか。と凡人の私は思いますが、既にちゃんとそのようなことは、学問として勉強されているのです。それは心理学という分野で、脳内のことが詳しく研究なされているそうです。
では、まずはわかりやすく動物を例に考えてみましょう。

動物にも好き嫌いはあるようです。実験用のネズミに、そのネズミがこれまでに食べたことのない珍しい味のする食物を与え、その後に、嘔吐剤などを注射し、強制的に気分が悪くなるようにします。すると、その経験をしたネズミはその食物を二度と食べなくなるそうです。
要するに、ある食物を食べたところ気分が悪くなったので、その食物を嫌いになったと頭にインプットされたということです。
それが、ネガティビィティ・バイアスという現象だそうです。好ましい情報よりも、好ましくない情報のほうが、より大きな影響を与えて処理されるということらしいのです。

ヒトは生物学上、雑食性動物です。実に広範囲なものを食物として消化・吸収する能力をもっています。かといって手当たり次第に何かを食べているというものではありませんし、実際にそのような行為をしたいと思ったこともありません。
毒性の強い食物を食べてしまうと大変なことになると知っているからです。
不快で危険になることを優先的に処理していくことで、人間の命を守ろうとすることは重要なこととなります。

つまり食物の好き嫌いは,雑食性動物である人間が毒性のある食物を摂取してしまう危険を防ぐために有している防衛本能であるといえるでしょう。しかもそれは本人が体験し得られた情報だけとは限りません。

ある県で大きな震災が起こると仮定し、想像上の震災の直後、学生に対して「もし皆さんが被災して避難所にいるとすれば,何を食べたいと思うか」と質問し、食べたいものを自由に記載させました。するとなんと、半数を超える学生がご飯(おむすびを含む)と味噌汁(豚汁を含む)をあげました。
若者の中で米の家庭内消費は過去三十年間でずっと半減し続けている上、小中学校の給食で味噌汁はめったにでてきません。

現代の若者にとってなじみのあるメニューは,ハンバーガー、カレーやラーメンとなるのでしょうか。
しかし、想像上のものとはいえ、極度のストレス下で求められる食物が、ご飯と味噌汁であったということは実に興味深いことでした。
体験するはるか昔から蓄積されている遺伝子情報に組み込まれた、最も基礎となる食事の情報に、ご飯と味噌汁があるのです。究極のストレスが、若者にとって日常にはあまり馴染みがないご飯と味噌汁という食事を脳内の奥底から引き出したことに、脳の不思議さを思い知らされます。

その脳のメカニズムに加え、秋という季節が重なると、秋の味覚を追い求めるのは人間の性(サガ)と言えるでしょう。
浄土宗を開かれた法然上人は、今では私どもが教えを頂戴し、人生を学ばせて頂く超人的、且つ、偉人の高僧ですが、別の角度から考えてみますと、我々と同じ人間です。
我々と同じ人間ですと申すことじたい申し訳ないほどの高僧ですが、生物学上の観点から申して同じ人間として話を進めましょう。

実は法然上人にも好物がございました。それはお豆腐だそうです。
お豆腐といわれて、普通だと思われるかもしれませんが、実際は冷蔵庫がない当時の食文化で、暑い夏に冷ややっこを食べることは、この上なく贅沢なことだったようです。
そもそもお豆腐が好きになったきっかけとして、法然上人が流罪になった際の、讃岐国(香川県)羽間の生福寺(現・西念寺)に逸話が残っております。そのお寺の参道に井戸があり、その井戸で村人が持ってきた豆腐を冷やし、法然上人がおいしそうに召し上がられた、というのです。

その井戸は「豆腐乃井戸」と呼ばれ、その井戸水は、 現在「法然水」と呼ばれています。
その「法然上人はお豆腐好き」というお話しから、 法然上人の御命日を偲ぶ法要・御忌法要(ぎょきほうよう)の際には、お豆腐料理を作って供養するお寺さんもあるようです。
更に、井戸の手前の道を右に折れて行くと、そこに小さなお堂が建っています。
法然上人が入滅した後、弟子の堪空(たんくう)上人がゆかりの深い四国に遺骨を持って来てくれて埋葬したということです。

小さなお堂
小さなお堂

因にお法然上人が好物だった豆腐の原材料は大豆(ダイズ)ですが、法然上人の弟子で、後に浄土真宗を開かれた親鸞上人の好物は小豆(アズキ)だそうです。
師匠と弟子、大豆と小豆、偉人になると何事も比較され、対比が面白く取りざたされるものですね。
その法然上人は京都の知恩院でお亡くなりになり、生涯を閉じられました。
その後、ご遺体は総本山光明寺で荼毘にふされました。その際、遺骨は何ヶ所かに分骨されているようです。
その一つが四国にあるというのは、流罪の歴史の重さと共に、法然上人が芯を曲げずにお念仏を広げ続けた布教の力を感じさせられるものであります。

小さなお堂

こんな法然上人の生涯を調べ、一つの足跡である四国のお寺に着目する展開に私は一人満足し、その思いを「いずみ」に書き上げた今夜の晩飯は、なぜか気が大きくなり、秋刀魚の塩焼きにカボスを絞って、おつに一杯頂きたいと、文豪気分でいるのでございます・・実際は・・
そのようなことを家内に口にすることもできないのですが・・(涙)
さて、皆様の至極の秋の味覚は何でしょうか。

秋に思い巡らすにはもってこいの季節となる一夜で ございます。
じっくりと秋を噛みしめて、お過ごし 下さい。法然上人も流罪の四国で、そうお過ごしに なられた日もあったことでしょう。

合掌
輝空談