泉輪 平成16年度「施餓鬼法要」


法要にあたり住職挨拶抜粋

本日はお忙しい中、また、かくもお足もとの悪い中、御参詣賜りまし
て、有り難く存じます。

今、御回向させて頂きましたこの「せがき法要」は、有縁無縁の仏様の
餓鬼供養を勤めさせて頂く事です。
では、餓鬼供養とは何かと簡単に御説明致しますが、仏様があの世で、
飢えの苦しみが無いように、この世からあの世にお供えを施し、御供養
することでございます。

昔は、土地改良や地盤整備はなされておらず、雨が降れば洪水に遭い、
また雨が少なければ飢饉に陥ると、自然災害が数多くございました。
その惨状は、まさにこの世の生地獄で、仏様に救って頂きたいという
気持ちと、また、あの世でも、このような悲劇が起こらないようにと、
人々の真の願いから始まった法要です。

人間は近代技術の発展とともに地盤整備を進め、多くの災害から身を
守る事が出来るようになりました。
しかし、この人間のおごった知恵をあざ笑うかのように、この度ござ
いました新潟福井での洪水災害に見舞われてしまう事がございます。
幾ら人間の知恵をもっても自然の大いなる力にはかないません。
人間も自然界の一生物であり、決して自然界の支配者で無いことを
改めて認識する必要がございます。

では、人間の本来の在り方を考えてみたいのですが、今現在は本来の姿
から掛け離れた思想が針媚び、それを引き金とした痛ましい事件が
数多く見受けられるようになりました。そのどの事件を取りましても、
悪質で残忍このうえ無いものばかりです。
だれもが、同じように母親の胎内から産声をあげ生をうけ、愛情を一身
に育てられたはずです。しかし、経済の豊かさと便利さから物の大切さ
や有り難さが失われつつあることは認めざるをえません。
昔のように飢えの苦しみがなくなった分、心の貧しさが蔓延している
ようです。

ですから、今まで、本来の餓鬼供養と共に心の餓鬼供養もして頂きた
く存じます。
むしろ、心の餓鬼供養をしなければならないのです。
そして、日頃の生活の中で、無駄な贅沢をかいま見たら、どうぞ餓鬼道
の世界を思い出して頂けたら幸いに存じます。
本日は御参詣誠に有り難うございました。

                        南無阿弥陀仏