弟子に教えられた節目
錦の候となりました。たわわに実る稲穂、真っ赤な紅葉、秋爛漫の季節の到来です。
この時期、秋の涼風に心地よさを感じるところですが、本山修行経験の長男いわく、すでに京都は寒いよ!と、秋の喜びよりも、秋と隣り合わせの冬の寒さにすくむ思いだそうです。
また、この時効の本山では、西山忌(せいざんき)の準備に追われている時期でもあるのです。西山忌とは高僧西山上人のご命日をご供養する法要で、毎年本山で行われております。
浄土宗をお開きになられたのは、法然上人だということはご存じのことと存じます。
西山上人は法然上人の多くのお弟子様の中のお一人で、法然上人がお亡くなりになられた後、法然上人の教えをくむ、浄土宗の西山流を説かれた方でございます。
その西山上人の教義で、私どもの西山浄土宗が確立されているのでございます。よって浄土宗をお開きになられた法然上人を「宗祖法然上人」と申すのに対し、西山流を確立された西山上人を「流祖西山上人」と申し、称えているのでございます。流祖西山上人がお亡くなりになられて、今年で七百七十五年の月日が流れております。
変わることなく遺徳の光明が灯し続けられている相続に、感謝するばかりでございます。
その西山忌法要の日に、同じく本山では、住歴表彰が例年執り行われます。
住職歴三十年の方の表彰です。ただし、昨年はコロナの影響により西山忌は山内法要にて本山僧侶のみで執り行われ、住歴表彰もございませんでした。
私事ではございますが、私が泉福寺住職になり、今年で丁度その三十年の節目を迎えることとなりました。本来ならば本山で表彰を受けたのでしょうが、今年もコロナの影響により、中止となってしまい、京都へ出向くことはございませんでした。
前住職のほんのつかの間の加勢にと、京都よりフエリーにて来たのが、いつしかご縁頂戴いたしまして、そのまま住職をさせて頂く妙縁が、時すでに三十年もたってしまったものかと、感慨深く思いを馳せるところでございます。
そんな折、過日のことですが、長男弘円が、住歴三十年の祝いの品をプレゼントしてくれました。思いがけない事に、喜びの気持ちを上手に伝えきれないほどの驚きの中での出来事でございました。
何でも、弘円本人が本山修行中に西山忌法要の加勢とともに、住歴表彰を受ける僧の姿を見ていて、自分の父親も、いつしかこの日を迎えるのだと実感し、その日のためにプレゼントを何がしか上げたいと常々思い描いていたそうです。それで思いついたのが、先の「お寺豆知識」で認めました「華籠・けこ」だったというのでございます。
長い時間をかけて貯金し、用立てたものだと、照れながら話してくれました。
記載させていただきました通り、大法要で使う仏具でございます。と同時に、もし、という話でございますが、もし愚僧の私が、この先本山にて、講讃導師(こうさんどうし)の大役を仰せつかることがあれば、その時の出座の仏具として使ってほしいと弘円の思いだったようでございます。
本山法要での講讃導師とは、光明寺法主猊下(管長・西山浄土宗の一番お偉いお坊様です)の名代(みょうだい)として、法然上人のご高徳を称える重要且つ、大変名誉ある代役です。その時に使う仏具の一つが華籠なのでございます。
その弘円の思いを受け止め、今私は、泉福寺の名のごとく、泉のように絶えることなく湧き続ける福徳を、この華籠に一心に受け止めて、皆様へその福徳を伝導できるよう、更なる精進をせねばと思った次第でございます。
実弟子とのバトンタッチもこの華籠を見下ろせば、心置きなく交代できるところまできたと安堵し、弟子の成長に胸をなでおろした次第でございます。
とは申しましても、まだ当面は、弘円の修業仕上げに努めてまいる所存でございます。そして、西山上人の七百有余年の遺徳に比べると、ほんのちっぽけなこの愚僧の住歴三十年の節目ではございますが、皆様と「いずみ」の紙面にて共感できましたことを感謝申し上げ、今回の認めとさせていただきます。
合掌
輝空談