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お寺の開基


泉福寺開基の幸阿上人略歴


泉福寺を開山した幸阿上人は承安三年(1173)九条関白家に生まれ、早くから法然上人の弟子になりました。三十三歳で西山浄土宗総本山 光明寺第三世の住持になり以来、六十六歳で入寂するまで緒堂坊舎の建設に心血を注ぎ、遂に一寺九院が完成しました。
源平の一ノ谷合戦で平家の若武者 平敦盛 を討ち勇名を轟かせた熊谷直実は世の無常を感じ直ちに仏門に帰依し、建久九年(1198)京都栗生に念仏三昧院と号する一宇の道場を建て、師の法然上人を迎え、開山したのが始まりです。

泉福寺の歴史


泉福寺開山の歴史は古く、西山浄土宗総本山光明寺第三世幸阿上人が九州行脚中に上八村で錫杖を止め、天福元年(1233)四月念仏教化の庵を結びました。
五年前の安貞二年(1228)二月突如叡山の暴徒から、浄土宗開祖法然上人の眠る墓堂の襲撃破壊を被ったので幸阿上人は遺骸を光明寺で荼毘に付し遺骨は庵室の塗り籠めにして鎮西に赴いたと時と伝えられています。
法然上人の入寂後、僅か二十一年目に泉福寺は開基しています。