質問コーナー
最新の更新箇所です Q49 総本山光明寺に一度は行ってみたいのですが、聞くところによると、モミジの紅葉期が人気と聞きました。誰でもいつでも簡単に参詣できるのですか? また、本山に行くとお寺の坊ちゃんに声はかけられるのですか?
  Q48 和尚さんは、お化けを見たことがありますか?(地元幼稚園児より・・苦笑)
  Q48 母が亡くなり仏壇に欠かさず花を供えております。特に母は生前バラの花を好んでいたのでバラの花を供えたいのですが、親戚がバラの花はだめだと言います。理由を聞くと昔からの決まりとだけ言うので納得できません。理由を教えて下さいますか
  Q47 今までお寺ごとは、母が一人で取り決めていたのですが、その母が亡くなり葬儀後の49日法要までどのように過ごせばいいのか、仕事はいつから始めたらいいのか、途方に暮れております。また、親戚が中陰は「たいや」でしなさい、と言われましたが「たいや」の意味すら分かりません。
  Q46 光明寺について
  Q45 うちのお寺は、「西山浄土宗」とは知っておりますが、この辺り(宗像・鐘崎)では「西山浄土宗」のお寺はどこにあるのですか?
  Q44 和尚さんの給与はどうなっているのですか?
  Q43 日本にはいくつのお寺があるのですか?
  Q42 どうやったら、お坊さんになれるのですか?
  Q41 毎朝、仏壇に手を合わせて、ご先祖様に今日一日の無事をお願い致しますが、それだけではなく、何かお経をあげたいと思い、友人に聞いたところ、「般若心経」と答えた人が多かったのですが、それでいいのでしょうか?またそれはどこで売っているのでしょうか?
  Q40 一つの納骨堂に、身内親族ならだれでも埋葬が可能なのですか?
  Q39 結婚により姓が変わっておりますが、納骨堂の継承は可能でしょうか?
  Q38 法事の事ですが、亡くなって、翌年に1周忌、その次の翌年の2年目に3回忌をしますが、2年目なのになぜ、3回忌と言うのでしょうか?
  Q37 今回のタマヨお婆ちゃんの葬儀に参列し、出棺まで立ち会う事が出来たのですが、何故、葬儀出棺の際に霊柩車はクラクションを長く鳴らすの か気になり、質問致しました。
  Q36 お盆になると、仏壇を綺麗にし、お供え物を供え、ご先祖様のお帰りをお待ちしますが、夏の暑さでお供え物はすぐに傷み、経済的に考えて、造花や模造の品物ではいけないのでしょうか? 泉福寺のお霊家(納骨堂)も造花ですし、様々なタイプのお供え物が販売されているので、腐らせてしまうくらいなら、かえって勿体ないように思うのですが・・・
  Q35 子供の節句で、「こいのぼり」を揚げますが、いったいいつから揚げるように なったのでしょうか。初孫が出来て「こいのぼり」か「武者幟(むしゃのぼり)」 のどちらをあげれば喜ばれるでしょうか?
  Q34 納骨堂の建築計画が出て既に7年が経過しました。10年計画をうたっておられましたが、当時とは状況が変わり、来年の消費税等予想をしていなかった不安要素が出てまいりました。今現在、建築計画はどのようになっておられますか?
  Q33 地元鐘崎には、私たち夫婦(80代男性と70代女性)しか住んでおらず、後々の事を考えて、博多の長男(50代男性)に祀ってもらうよう息子と話をしました。また、それを機に仏壇を新しいものにしようかとも考えております。仏壇はどのようにしたらいいでしょうか?
  Q32 法事を家でしますが、その際の挨拶や会話で使う言葉がわかりません。
Q31 お寺の玉世お婆ちゃんは、どうされていますか?
  Q30 御佛前と御仏前どちらが正しい?
  Q29 数珠の糸が切れると、何か悪いことが起こりますか?
  Q28 除夜の鐘は、何時から付き始めますか?
  Q27 お位牌がたくさんあり、仏壇がごちゃついています。
どのように整理したらいいのでしょうか?
  Q26 孫達が遊びに来た際、いたずら心で・・・
  Q25 お寺の掃除は毎日大変でしょうが、日頃どれくらいの時間掃除をしていますか?
Q24 この処お寺(泉福寺)での葬儀が増えてきましたが、自分も親が亡くなったらお寺さんで葬儀をしたいと考えています。ただ、お寺では食事が出来ないと聞きました。お斎(おとき)や精進落としの食事はどうしたら良いのですか?
Q23 泉福寺の梵鐘(ぼんしょう)が文化財になったのは、何がどう価値があったのですか?
  Q22 お坊さんになると、必ず坊主頭にしないといけないのですか?
たまに、髪の長いお坊さんも見かけますが、それでもいいのですか?
Q21 前々から悩んでいたのですが、「御霊前」と「御仏前」または「御香典」の違いを教えて下さい。
  Q20 先日知人宅にお参りに行ったところ、香炉に線香をさそうとすると何やら灰がごつごつしており、なかなか線香が立ちませんでした。
香炉灰はどうやって手入れするのですか?
  Q19 お坊さん(御住職)の呼び方で、泉福寺お参りの際、「ほうじょうさん」と耳にしましたが、「ほうじょう」とはどんな字を書きますか?
  Q18 前々から気になっておりましたが、法事のお布施はいつ渡したらいいでしょうか? 早く渡さないと悪いような気もするし、奥さんがお茶を出されれば、その時が良いのかと思ったり、やはりお経が終わって最後が良いかと思いもします。 お参りが終わって、もう一度納骨堂を拝んだりするうちに、和尚様が次のお参りに行かれてはと、後で渡すのも何となく気の焦る思いがするのです。
  Q17 この頃になって、本堂にシャンデリアのような装飾が吊るされていますが、 あれは何ですか?
Q16 遠方にてお寺のことがあまり分からず、四十九日法要では、お餅を供えると聞きましたが、どうすればよいのでしょうか。 ?
  Q15 本堂の法事では、何か特別なものが必要ですか?
  Q14 法事は「本堂」と「自宅」とどちらが供養になりますか?
Q13 和尚さんも鐘崎の生活が長くなられましたが、もう住職になって経験も積んだので、何でも出来るようになったでしょ?
  Q12 私は母が亡くなり、急にお寺ごとに携わるようになりました。今思えば、母の生きているうちに、あれこれ聞いておけばよかったものの、右も左も分からず、恐らく、仏様にも、お寺さんにも、ご無礼をしているのではと思って気がかりです。何か、基本的な知識を得るにはどうすればよいのでしょうか。
  Q11 日頃、仏壇には何をお供えしなければいけないでしょうか。
Q10 過日、友人に誘われて、占いに行きました。
そこで、水子供養をしていないので、災いが起こると言われま した。どうすればよいでしょうか
  Q9 浄土宗と浄土真宗の違いと、西本願寺派と東本願寺について
Q8 お参りの際に、お線香は何本使えば良いですか?
Q7 本堂の阿弥陀様の他に、祀ってある仏様はなんと言うお名前ですか?
Q6 仏壇はどの方向に置くのが良いですか?
Q5 配布物に上報山 泉福寺とありますが、上報山とは何ですか?
Q4 最近のお便りの文末に「輝空」とありますがどなたの事ですか?
Q3 お寺には「蓮の花」がつきものですが、なぜ「蓮の花」なのですか?
Q2 浄土宗にはいくつか種類があると聞きましたが、どういうことですか?
Q1 祥月命日と命日の違いは?
その他 素朴なご質問やご要望がございましたら、何なりとお問い合わせ下さい

総本山光明寺に一度は行ってみたいのですが、聞くところによると、モミジの紅葉期が人気と聞きました。誰でもいつでも簡単に参詣できるのですか?
また、本山に行くとお寺の坊ちゃんに声はかけられるのですか?

下記に光明寺のポスターを添付致しましたが、お問合せのとおり、紅葉期は見事な景色を堪能できます。以前は一部のマニアによる隠れた紅葉スポットとなっておりましたが、今ではSNSによる情報拡散や、報道によるニュース情報で例年観光参拝者は急増致しております。

光明寺ポスター

紅葉期は11/11(土)~12/6(水)までで、午前9時から午後4時まで入ることが出来ます。またこの時期だけは、入場料が必要とな り、受付が設けてありますのでそちらで、お支払いをお願い致します。事前に泉福寺までご連絡頂けますと、入場招待券をお渡しすることが出来ます。ただし数に限りがございますので、お早めにご連絡ください。

とにかく人が多いので、動きやすい服装で、足元に十分注意をされて、ご参詣ください。

そして、この時期は駐車場が使えません。本山に行かれる際は、公共交通機関をご利用ください。JR長岡京駅より、バス、もしくはタクシーをご利用ください。

もう一つのご質問の、長男・弘円の事ですが、授業がある日は学校で勉強させて頂いておりまして、それ以外は本山の中で絶えず忙しくしているようです。
恐らく、この時期に弘円と話しをすることはできないと思われます。
この時期を過ぎましたならば、もしかしたらタイミングさえ合えば可能かもしれません。
お心遣いありがとうございます。


和尚さんは、お化けを見たことがありますか?(地元幼稚園児より・・苦笑)

夏休みになると、決まってホラー映画に、心霊スポットの紹介と、背筋の凍る怪談物が出てまいります。
新聞の書籍紹介の欄も、幼児用お化けの絵本から、浮世絵妖怪画とこれまた怖いものが多く紹介されます。
夏のお盆法要に、ご先祖様諸精霊のお帰りに関連付けてのことでもあるのでしょうか。
今では、夏と言えば怪談物は風物詩の一つとなっております。

さて、ご質問の回答を単刀直入にお答え致しますと、私自身、幽霊は見たことがございません。霊感とやらも全くありません。
そもそも、浄土宗では皆、阿弥陀様のお導きにより、西方極楽浄土へ昇天することが決まっております。善人であれ、悪人であれ必ず成仏すると説かれておられます。その理屈だけでいきますと、この世から幽霊という名の目撃事実は不合理になります。もう一つ、不合理な出来事として、我が家の子供たちが、2、3歳頃の、まだたどたどしくものをいう時分に、「あそこに髪の毛のない女の人が立っとる」「天井におじいさんが笑ってこっち見よる」などと申していたことがございました。また決まって、学校、病院、焼け跡等、そこで幽霊を見たと本当か、噂か、人々が口にすることも事実です。私自身が、経験のないままではあるものの何ともしっくりいかない気持であったのは事実でございます。

おばけ

そんなとき、家内がある書籍を買い、それを私も読んでみました。
その書籍は「優しい死神の飼い方」という本でした。
死神とは何ともおどろおどろしい物々しさですが、その物語は、犬の姿になった精霊が、寿命全うしようとする人々の魂をお浄土まで道先案内するという物語です。

その物語の解釈をお借りするならば、人の魂は、この世に未練があったり、達成できなかった後悔があったりすると、なかなかお浄土への旅立ちへの決心がつかず、精霊のたゆまない説得努力の時間を要すとのことです。その解釈を踏まえて考えるならば、仏教で49日の中陰の間に少しづつ煩悩を時払い、少しづつ昇天しながら49日かけてあの世に辿り尽く思想と重なります。

ただ、もし魂にも器用、不器用があるとすれば、49日だけの時間ではうまくお浄土へたどり着けない魂や、せっかくお浄土にたどり着いても、この世に再度舞い戻ろうとする往生際の悪い魂があるやもしれません。その、不器用な魂の持ち主だった人、自分の人生や死にざまの再確認に舞い戻ってきた魂の持ち主の人、そんな人の魂が、時に何らかの条件がそろえば、時として人の目に幽霊として映るのかもしれません。

この仮説は、勝手な独自の創造によるもので、事実確認はできないもの、魂が実際に存在して、お浄土までの道のりと、お浄土での安穏を願う人々の心がご供養の源になっているからこそ、その逆説による幽霊現象として存在するのだろうと思うのであります。

そして、また自分のご先祖様が無事にお浄土で輝けるようにお念仏する我々の心を育んでくださるのであれば、幽霊の存在は反面教師としてまたありがたいものに思えてなりません。

合掌


母が亡くなり仏壇に欠かさず花を供えております。特に母は生前バラの花を好んでいたのでバラの花を供えたいのですが、親戚がバラの花はだめだと言います。理由を聞くと昔からの決まりとだけ言うので納得できません。理由を教えて下さいますか
ばら

そもそもお供え物にこれをお供えしてはいけない、これをお供えしなさいと言った規律は仏教にはありません。驚かれるかもしれませんが、特殊な法要の際はお供えの一つに海の物がお供えされることもあります。その線に乗って申しますと、質問者の方のご意向でバラの花を供えることに問題はないように思われます。

ただ、ご存じの通りバラには棘(とげ)がございます。棘のイメージに傷や流血を連想することは必然で、地獄絵図など目にされたことのある方ならお分かりの通り、残忍至極の境地を表した流血の場とイメージがダブるのです。また、戦争体験者の方などは、戦争というこの世の地獄を体験されているので、悲惨なイメージを持つ棘のあるバラは好ましくないとどうしても関連付けるのです。
せっかく故人様を偲びご供養とする場に皆様が心携えておられる場のお仏壇には結果避けることが無難だと思われます。仏壇内ではなく、家のどこかの花瓶に活けたバラを置くことでも故人様のご供養であり、心の安らぎになるかと存じます。

ばら

これは私の勝手な思いですが、お葬式などでよく見受けられます、献花のスタンドタイプのものをよくご覧いただくと、ソテツの葉っぱなどが使われていることがございます。
ソテツの葉と言えば、棘のオンパレードの植物です。ですから、一昔前は献花の素材として目にすることはございませんでした。しかし、価値観というものは時代とともに移りゆくものです。献花にソテツの葉が使われているのですから、数十年先には、バラの花も献花として登場することが当たり前になるかもしれません。ただ、花がどんな花であれ、やはりご供養の神髄が大切と存じます。

合掌


今までお寺ごとは、母が一人で取り決めていたのですが、その母が亡くなり葬儀後の49日法要までどのように過ごせばいいのか、仕事はいつから始めたらいいのか、途方に暮れております。また、親戚が中陰は「たいや」でしなさい、と言われましたが「たいや」の意味すら分かりません。色々教えて下さい。

「たいや」とは「逮夜」と書きます。
逮の意味は、ある一定の時に達するという意味で、「逮夜法要」とは法要に当たっている日の前日の夜を指します。

しかし、実際のところ、夜に法要をするご家庭は無く、前日のいずれかのご都合の良い時間に執り行われるのが一般的です。
今現在、初七日は、ご葬儀火葬後にご遺骨の取り上げ法要と初七日法要を簡略して一度にすることが多いので、中陰法要の二七日から七七日(49日法要)まで、当たっておられる日にちにするのか、前日の逮夜でするのかの判断になるかと思います。

光明寺

中陰法要の意味は、一週間ごとに故人様の魂が守護の仏様に守られ、浄化されていく時間を指すため、間違うことなく一週間たてば次の仏様の所に昇って行くように願うご供養です。
この話は、インドの仏教神話と深くかかわっているので、諸説さまざまですが、五週目の守護の仏様が閻魔大魔王の為、閻魔様があの世に送るか地獄に送るか審判を下すとされていますので、前日に一生懸命功徳をお経で施し、是非ともあの世へ送って下さいと願う前日祈願の意味が深くにじみ出ているようです。

この意味合いをご理解頂き、中陰法要をいつ執り行うかお決めになられたら宜しいかと存じます。
また、葬儀後の仕事始めは、会社規則で定められた忌引休暇日数を費やすことや、有給を加算追加するなど、会社組織に準ずるものでしょう。

仏教教義では何日と定めたものはなく、一般慣習にならっております。
会社や自営等仕事形態によっても違ってくるでしょうから、この件に関しては、周りの方にお聞きすることをお勧め致します。


光明寺について-本山光明寺に行こうと思っております。先祖供養もしたいのです が、自由に行って、いつでも回向のお願いが出来るのですか?
光明寺

光明寺の中心の建物である御影堂・みえどう(宗祖法然上人をお祀りしている御堂)は、午前九時から午後四時まで開いております。
また、紅葉期を除いて総門は午後六時に閉門致します。その間ですと、ご自由にお参りできます。
但し、個別の回向に関しては、本山法要期間や、年間行事の際は、対応が出来ない場合がございますので、予めご予約されておかれますことをお勧め致しております。
また、紅葉期のみ拝観料が御必要になりますが、泉福寺に前もってのご連絡を頂けましたら、ご入場券をお配りする事が出来る場合がございます。


うちのお寺は、「西山浄土宗」とは知っておりますが、この辺り(宗像・鐘崎)では「西山浄土宗」のお寺はどこにあるのですか?

宗像という小さなエリアではございませんが、私どものお寺の関わりは「西部第三支所」という括りになっております。東は戸畑から西は糸島までのエリアの中で、19ヶ寺ございます。一覧表は下記のとおりでございます。簡単な特徴を申します。ご縁ございましたら、どうぞご参詣下さい。

高倉健
この方は
私ではありません。(苦笑)
  • NO2の報国寺様には、八幡大仏と親しまれている御本尊があります。
  • NO3の正覚寺様は、俳優、高倉健の菩提寺です。
  • NO6の真福寺様は同じ海辺のお寺で、 とても環境が似ております。
  • NO8、9、10、11は宗像組寺でございます。
  • NO12の称善寺様は、今回のお説教師様のお寺でございます。
  •   
  • NO13の谿雲寺様も近年納骨堂を落慶されました。
  • NO14の西念寺様は山門までの門前通りは圧巻です。
  • NO16の大長寺様は黒田藩のお寺で、 現在の黒田家ご当主がご参詣されます。
  • NO18の西方寺様は人気物産館 《伊都菜彩》のすぐ近くです。
  • NO19の称念寺様のすぐ裏が、 九大糸島キャンパスです。
JA伊都菜彩
JA伊都菜彩
九州大学 糸島キャンパス
九州大学 糸島キャンパス

和尚さんの給与はどうなっているのですか?



日本にはいくつのお寺があるのですか?
お盆

変な角度から話を切り込んでいきますが、秋といえば、運動会です。このところは、春に行われる学校もあるようですが、三男の小学校では昔ながらに秋の開催となっております。
その競技種目の花形の一つが、「川中島」です。そういえば、私の記憶ではこの競技の種目名を「騎馬戦」とも言っていたような気が致し、はてどう違うのか早速調べてみました。騎馬戦とは、俗にいう三人で作る騎馬に一人の騎手がその上に乗り、対戦相手の帽子や鉢巻を奪い合う競技のことを言います。
それに対し「川中島」は帽子や鉢巻を奪うのではなく、敵の騎馬に体当たりして騎馬を崩し、上に乗っている騎手を落馬させることで勝敗が決まる競技です。

しかも川中島の競技の発祥地は何となんと、「北九州市」だそうです。
川中島の名前の由来は、戦国時代の武田信玄と上杉謙信による「川中島の戦い」をモデルにしているのは想像できるのですが、実際の合戦の地であり「川中島」の地名がある信越地方(長野県)の運動会には、「川中島」の競技は存在しないそうです。
なぜ、北九州市一帯にだけ伝来するのかという疑問については、諸説あるものの、福岡県内の資料には1900年代に既に「川中島」という呼び名が登場しております。
当時は全国的に騎馬戦を「源平合戦」になぞらえることが多かったのですが、北九州市は平家が滅びた壇ノ浦(山口県下関市)に近く、その落ち武者が北九州の各地に居を構えたとの俗説から、源平合戦では負けのイメージが付きまとい、逆に川中島の戦いは最終的に両軍睨み合いのまま決着をつけなかった点で、恒久的な公平感があることなどから川中島になったという意見があるようです。

さて、実際の処、戦国時代の武田信玄と上杉謙信による「川中島の戦い」は十一年間に及ぶ長い戦となり、その戦による死者も両軍各三千人とも四千人とも言われております。
よって、信越地方には当時の武将の弔いの為の「塚」が多く点在しているようです。
しかし多くの死者は下級兵士の為、それらを祀るお寺は余り多く存在致しておりませんが、逆に「塚」は日本一多いと言われております。

そこで回答です。日本にはお寺がいくつ存在するかと申しますと、何と、75000ヶ寺以上あると言われております。

では今現在、お寺が一番多くある都道府県はと質問されましたら、どこを思い浮かべますか?やはり、京都と答える方が多いのではないでしょうか。
答えは、「愛知県」です。なんと、4605ヶ寺もあります。

なぜ愛知県に多く存在するかと申しますと、徳川御三家の尾張徳川家があったからと言うのがその理由のようです。尾張徳川家は仏教を擁護していたのも事実ですが、それ以外の理由として、江戸時代、大きな寺は戦争が起きたときの武士の宿泊所として徴用される決まりがあり、西国勢との戦争に備えて名古屋には寺が多かったのです。
一部の僧侶は武士以上に権力を持つ者もいたのは事実で、お寺が他国勢力の要塞の役目もあったようです。
と同時に、仏教が一般市民に浸透してきており、当時の人口が多い地域ほど、お寺が多く建立されていたという背景もございます。

また、2~5位はすべて関西で、大阪、兵庫、滋賀、京都、と続きます。日本の仏教が民衆に広まったのは、鎌倉時代に生まれた宗派の影響が大きく、その宗祖のほとんどは京都と滋賀にまたがる比叡山延暦寺で修行しているため、関西に寺院が多いのは当然のことかもしれません。

因みに福岡県はと申しますと9位で2,100ヶ寺ございます。その2100ヶ寺の1ヶ寺がここ泉福寺となるわけでございます。


どうやったら、お坊さんになれるのですか?
お盆

 いつかくると思っていた、質問がとうとうきました。
このところ秘かなと申しますか、微かなと申しますか、テレビ番組にもなるように「仏教ブーム」と言われております。とは申しましても、私はサインを申し込まれたこともございませんし、写真を撮られたこともございません。ただ、一般の方で仏教に心惹かれ、関心を持っている若者が増えてきているのは確かでございます。その関心が、仏教事態にあるのならば、全国にある佛教専門大学や、一般大学の仏教科で学ぶ事が出来ます。

 その学科では、分かりやすく申しますと、世界各国のお経を翻訳研究するような国語的な分野、仏教歴史を学ぶ社会学的分野、仏教美術を学ぶ美術的分野、はたまた仏教精神を学ぶ心理学的分野と、幅広く学びの場がございます。

 それとは別に、僧侶の資格を取りたいという事であれば、また話は違います。ここで区別しておかないといけないのは、僧侶と住職は違います。僧侶は出家して仏道の修行をする者で、住職は、僧侶となり且つ寺院を持ち、その寺院の管理運営の義務を果たす者をいいます。

 では、出家するということはどういうことを指すでしょうか。私ども西山浄土宗では、西山浄土宗寺院住職の弟子入りをし、仏門の修行をするという事です。そして一定の期間、厳しい修行をすることを義務づけられております。もっとも一般的な方法は、ご自身の菩提寺に相談することでしょう。但し、師弟関係を結ぶという事は、菩提寺の住職が責任を持って弟子を育てるという義務が生じると共に、弟子はその師僧(師匠)の寺院の加勢が強いられます。教育奉仕と奉公奉仕の修行精進をしていき、その修行が認められると「得度式(とくどしき)」にて「得度(とくど)」を受けて、晴れて本山入信の仏道入門となります。その際に僧名を賜ります。

 その後更に師僧(師匠)寺院での修行が認められ、師僧(師匠)住職からの推薦を頂くと、総本山光明寺に於いて、最も厳しい修行の「加行(けぎょう)」を受けねばなりません。この加行が満行(終了)すると、僧侶の資格を初めて得る事が出来ます。

 これでやっと念願の資格を得る事が出来ましたが、まだ先がございます。師僧の住職が、総本山光明寺あてに僧階申請をし、本山が申請を受理した時点で正真正銘の僧侶となれるのです。

 その間、法衣(衣装)の準備、学費、生活費と資金面の負担苦労と、修行過程での精神苦労が付いて回ります。その難関を経て僧侶資格を得たとしても、住職になる道はさらに難関を要し、生活が成り立つかどうかは未知数です。それでも、強く決心するならば、菩提寺へのご相談をされて下さい。決心の強さも阿弥陀様からのお導きかと思います。


毎朝、仏壇に手を合わせて、ご先祖様に今日一日の無事をお願い致しますが、それだけではなく、何かお経をあげたいと思い、友人に聞いたところ、「般若心経」と答えた人が多かったのですが、それでいいのでしょうか?またそれはどこで売っているのでしょうか?
お盆

 確かに、「般若心経」は誰でも一度は耳にしたお経でしょう。
「般若心経」というお経は、「般若経」という途方もなく長いお経(一説には600巻もあると言われております)を集約しており、しかもその集約率がすごくて、600巻ものお経を何と300足らずの文字にまとめたのですから、世界で一番短いお経となり、その短さから、手軽でしかも短時間で称える事が出来るお経と受け入れられ、多くの仏教徒の経本として一般に普及したのでした。
ただ、その教えの根底を今現在受けつえでいる宗派が「密教系の仏教・真言宗や天台宗」等が教えを説いているので、私ども浄土宗のお寺ではほとんど使っておりません。

浄土宗の宗義の直接のよりどころとなる経典は、
  ○仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)
  ○仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)
  ○仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう) 

※別ページ「豆知識」に詳しく掲載あり

 上記の三経典となります。ご葬儀やご法事に限らず、あらゆる仏教行事でお称え致しております。その三経典も途方もなく長いお経でございますので、「般若心経」のように短く集約したお経がございます。それが「勤行式(ごんぎょうしき)」と申すお経でございます。まさに勤行式とは、朝夕に読経を行う際に手元に置く、日常のお勤め用のお経本です。我が家でも、私と子供たちでお勤めさせて頂いております。さらにそれをわかりやすく「在家用勤行式」というものもございます。「僧侶用勤行式」も「在家用勤行式」も、西山浄土宗では、「総本山光明寺」しか販売しておらず、巷の書店や仏具店で売られているものとは全く違うものとなっております。
もし、これから毎朝お経をご自宅の仏壇で拝みたいとお思いの方は、本山の「在家勤行式」を称えられるのも良いと思います。お寺からお取り寄せいたしますので、ご希望の際は、ご連絡下さい。
もう既に毎朝「般若心経」を称えておられる方もおありでしょうが、それはそれで構いません。毎朝お仏壇に手を合わせお念仏する行為そのものが尊いのでありますから。


一つの納骨堂に、身内親族ならだれでも埋葬が可能なのですか?
お盆

 誰でも埋葬はできません。基本は、司祀者の直系のみが埋葬可能となります。
具体的例で申しますと、司祀継承した長男(例)ご家族のみとなります。他に二男(例)ご一家がおありとすると、分家として新たに納骨堂に新規加入がご必要になります。

 だだし、例外として、ご結婚していない為、その後の司祀者がいない場合や、一人娘にてその方のご実家の親御さんの祀り手をその方がする場合等は、合祀することが可能となります。 継承者が次世代へ続く2家族が1つの納骨堂に入ることは基本出来ないことになっております。

その他類似の納骨堂関連のお悩みがございましたら、それぞれのケースにより若干の違いもあるので、ご判断せず、お寺に直接ご相談下さい。


納骨堂の司祀者についてお尋ねです。私たちは四人姉妹で全員結婚し嫁いでおります。
いずれ両親が亡くなることを考えて、姉妹で話し合い、四女が近くに住んでいるので祀っていくこととなりました。結婚により姓が変わっておりますが、納骨堂の継承は可能でしょうか?
お盆

 近年、少子化、都会労働者集中化等により、司祀者が直系男子だけとは限らなくなってきております。お子様が男性でも女性でも司祀継承は可能です。

 ただし、女性が結婚し他家へ嫁がれている場合は、嫁ぎ先での宗派に問題がないのか、嫁ぎ先でのお仏壇をお持ちのご家庭であれば、その宗派が主となり、お寺を2つ持ってしまうこととなりますので、金銭的ご負担や、今後の継承等で次世代(司祀者の子世代)のご都合等も考える必要があります。

 そのような問題がなければ、姓の違うお子様が継承されても問題はございません。納骨堂だけでなく、ご実家のお仏壇も受け継ぎ、お寺との法要案内の窓口にもなり、お寺と深くお付き合い頂くこととなります。


法事の事ですが、亡くなって、翌年に1周忌、その次の翌年の2年目に3回忌をしますが、2年目なのになぜ、3回忌と言うのでしょうか?
お盆

 日本の仏教は、インドから中国へ渡り、そして日本へ伝わってきました。その諸国を渡っていく過程で、その国の風習をも取り入れてきました。 亡くなって、7日ごとの中陰法要を7回繰り返す、49日目の満中陰法要は、インド仏教の思想で、「輪廻転生・りんねてんしょう」の教えによるもので、49日目にして魂が生まれ変わると信じていたからのようです。

 中国仏教では、儒教の考えが深く、亡くなった魂の弔いを、3ヶ月、13ヶ月、25ヶ月と法要を勤め、日本ではその月数を取り入れ、百ヶ日、1周忌、3回忌とするようになったようです。
 ご質問の1周忌と3回忌ですが、1周忌は読んで字の如く、亡くなって1年目にあたることは当然の事です。3回忌が矛盾してきますが、周忌、回忌と言葉が違うところに「みそ」があるようで、中国儒教に亡くなったその日を、1度目の喪に服す日、とする為、丸2年目が3回目に喪に服す日として、3回忌が行われるようになったというのが、有力な諸説となっております。

 なんにせよ、日本仏教が色々な要素を取り込み、仏様を拝むことにインド仏教にも背かず、中国仏教にも背かず上手に日本仏教が確立されていったことに、日本人の知恵のようなものを感じます。

 全てにおいての日本仏教は、いろいろ取りこんで、結局のところ、日本独自の仏教へと確立されていることは間違いがありません。


今回のタマヨお婆ちゃんの葬儀に参列し、出棺まで立ち会う事が出来たのですが、何故、葬儀出棺の際に霊柩車はクラクションを長く鳴らすのか気になり、質問致しました。
お盆

 色々な諸説と名残があって、クラクションを鳴らす様ですが、ある一説は、遥か彼方昔の日本の葬儀は、故人との別れを悲しみ、一晩中お経をあげてご供養致しました。そして今のように、ドライアイスや冷房の技術が無い頃はご遺体がすぐに傷むため、夜が明けるとすぐに出棺し荼毘にふし、それから葬儀をあげなければならなかったのです。そのため、夜明けを知らせる一番どりが鳴くのを待って出棺したのです。現在は、朝一番の出棺とはならないものの、その一番どりの名残からクラクションを鳴らすという説がございます。

 もう一方の説は、仏教神話にちなみ、鬼が故人の遺体を食べにくるために、鳳凰を鳴かせて、その鳴き声で鬼を退散させたと言われております。鳳凰は中国、朝鮮、東南アジアの仏教国に広く分布している想像上の生き物で、姿かたちも国や時代により変化しているものの、瑞鳥とされ、平和をもたらすと定義されているので、いたる所にシンボルとして登場してきます。

鳳凰
   宇治の平等院の屋根          ご存知一万円札

 宇治の平等院の屋根瓦の飾りや一万円札の裏に印刷されているものが鳳凰です。今ではあまり目にすることはなくなりましたが、黒塗りに金箔の豪華な飾りを施した宮型霊柩車と呼ばれる霊柩車の屋根に鳳凰が乗っていたことが思い出されます。

 一番どりの鳴き声を模したものにしろ、鳳凰の鳴き声を模したものにしろ、仏教教義の根底の枠を超え、現代の我々人間が、故人様のご供養の気持ちでしている事には違いありません。 またクラクッションを鳴らすことで、葬儀出棺のけじめが出来、人々が悲しみの後引きを止め、現実の生活へと心切り替わるきっかけになっていることは間違いない事です。


お盆になると、仏壇を綺麗にし、お供え物を供え、ご先祖様のお帰りをお待ちしますが、夏の暑さでお供え物はすぐに傷み、経済的に考えて、造花や模造の品物ではいけないのでしょうか? 泉福寺のお霊家(納骨堂)も造花ですし、様々なタイプのお供え物が販売されているので、腐らせてしまうくらいなら、かえって勿体ないように思うのですが・・・
お盆

 そもそも、何故仏様にお供え物を供えるのでしょうか。供え物の風習は仏教が日本に伝わる前、太陽を神とする太陽信仰が盛んな頃の時代にさかのぼります。
その当時は捕獲した動物や、その年に収穫した農作物がお供え物なのですが、その物が手に入る事、即ち当面生きていけるという証だったのです。
保存技術の知識も乏しく、いつまた空腹に見舞われるかもしれない不安と恐れの中、食べ物が手に入る気持ちは、生き延びる時間の保証で究極の喜びに他なりません。

やがて仏教が生活の中に取り入れられても、その風習は続き、生きる喜びと共に生かされる感謝が加わり、感謝念仏の心が仏前へお供えするという行為になるのです。ですから、物や形に意味があるのではなく、どういう形であれ感謝の心が最も大事なことで、儀礼的な馴れ合いで見た目を取り繕っても心が無ければ、真髄から外れたこととなります。

ですからご質問に端的に応えるならば、心が込もっているならば、造花であれ模造品の果物でも構わないという事になります。しかしあえてお伝えしますが、お盆の一年に一度の供養行事にご先祖様への感謝の心があるならば、誠心誠意の心遣いから生花と果物や生菓子等期限のあるものを供える努力もご供養の一つなのではないでしょうか。
毎日ではなくても結構です。お盆、お彼岸、ご法事の際は可能な限りの手を尽くし、煩わしさをも伴う行為が、逆に次の良縁を運んで下さると私は信じております。

最後になりますが、泉福寺のお霊家(納骨堂)等の集団祭壇は管理衛生上、やむなく造花を使っております。しかし、本堂、納骨堂の仏様には、本来の精神にのっとり生花を使っております。また、ご高齢で買い物に行けない等諸事情がある場合は、物に囚われず、大いに心のお供えで済ます寛容さが大切かと存じます。


子供の節句で、「こいのぼり」を揚げますが、いったいいつから揚げるように なったのでしょうか。初孫が出来て「こいのぼり」か「武者幟(むしゃのぼり)」 のどちらをあげれば喜ばれるでしょうか?

 古代中国では、端午(5月の最初の午・うまの日)の日に薬草である菖蒲の酒を飲み、その菖蒲で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。厄を落とした証に天に向かって、白羽の矢を射ったのです。

この行事が、後に日本の宮中から鎌倉の武家社会へと拡がります。特に武士は菖蒲を「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となりました。 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の戦で使っていた鎧や兜を奥座敷に据え、玄関には家紋入りの幟旗(のぼりばた)を飾りました。やがて江戸時代に入ると、幕府は5月5日を重要な日として定めます。5月5日には、大名や旗本が正装をし、お祝い品等を携え、江戸城に出向くようになりました。

これ以降、武家に男の子が生まれると、門前に家紋入りの幟旗(のぼりばた)を立てて、男児誕生を衆々に知らせ、お祝いをしました。当時男児の誕生は、家督相続として、非常にめでたいこととされておりました。
これらの風習が、やがて裕福な庶民の間へと拡がりを見せます。しかし庶民は、武士よりも身分が下とされていたため家紋入りの幟旗を立てることは許されませんでした。そこで、五色の吹流しを美しく飾るようになりました。するとそのうちに、江戸町民の競い合い精神が、吹流しを飾るだけでは芸がないと考えたのか、一部の家庭で中国の故事の一つ「登竜門(とうりゅうっもん)※注1」にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになりました。それが「こいのぼり」の始まりです。それがやがて現在の魚型のこいのぼりとなっていきました。素材も当初は紙製でした。後に綿素材となり、戦後今のポリエステルとなりました。
また、江戸時代は真鯉しか日本に自生しておらず、こいのぼりも黒の「こいのぼり」だけでしたが、緋鯉が輸入される頃になると、真鯉、緋鯉、子供の青鯉が一般的になりました。それが今のようにオレンジ、緑とカラフルな色になったのは、東京オリンピックの開催の年、五輪旗の色をヒントに一挙に多種多様で色華やかな「こいのぼり」や「武者幟(むしゃのぼり)」が作られるようになったようです。

高度経済成長期になると、昔の武士の風習、庶民の風習がこぞって商品化され、「破魔弓」「武者兜」「こいのぼり」「鯉を抱えた金太郎」と様々なものが売り出されました。しかし、近年では住宅事情や経済事情、はたまたエコ思考で、小型化や簡素化が進んでいるようです。
しかし、素材や形は変われどもどの時代もわが子の健やかな成長を願う親心は同じでございます。

あくまで、私の説明は時代背景と今に至る流れの説明になりますので、おあげになる際は、あげる側と受け取る側の双方で話し合い、お決めになられたら良いのではないでしょうか。

※注1 登竜門故事 黄河上流に竜門という激流があり、その下のたくさんの鯉が集まるが、ほとんどは急流を登れず、もし登ったら竜になるという言い伝えがあり、転じて立身出世のための関門を意味する。


納骨堂の建築計画が出て既に7年が経過しました。10年計画をうたっておられましたが、当時とは状況が変わり、来年の消費税等予想をしていなかった不安要素が出てまいりました。今現在、建築計画はどのようになっておられますか?

 日頃より、泉福寺護持運営にご協力賜り、感謝申し上げます。
ご指摘の通り、消費税増税は当初計画案では想定外の出来事でしたので、政府より公表されてからは、早急に総代会長、及び各委員長が指揮をとられて、建築計画の修正と、それに伴う前倒し建築計画案を打ち出され、総代会役員及び総代世話人と共に会合を重ね、協議して参りました。

 この納骨堂建築事業は泉福寺の歴史に残る大事業に他ならず、何としてでも大成させる強い思いで、総代一致団結の上で取り組んでおります。
 最終実行段階になりましたならば、皆様にも文書にてご報告させて頂くと存じます。
 しばらくお待ち頂き、どうぞご安心下さいます様、お願い申し上げます。
 また、この場をお借りいたしまして、総代会長並びに各委員長及び総代世話人様には、皆様を代表し多大なるご尽力下さることに感謝申し上げます。


地元鐘崎には、私たち夫婦(80代男性と70代女性)しか住んでおらず、後々の事を考えて、博多の長男(50代男性)に祀ってもらうよう息子と話をしました。また、それを機に仏壇を新しいものにしようかとも考えております。仏壇はどのようにしたらいいでしょうか?

 お祀りされている方の世代交代は、ご同居の家族とは限らないことは、このところ良くございます。むしろ、お仕事の都合により、引き継がれる方が別世帯であることの方が多い昨今です。

 まず、お仏壇を移動することにつきましては、今まであった場所で「御心抜き供養」を致します。この法要を正式には「撥遣供養(はっけんくよう)」と申します。お仏壇の仏様は仏像に魂が入っているだけではなく、そのおうち全体に魂を広げてお守り下さっておられますので、安住の場所が変わる際は、一度魂を抜くお経をお勤め致します。

 そして、同日でも別の日でも宜しいので、新たにお仏壇を設置されましたら、改めて御心を入れる入仏(にゅうぶつ)のお勤めを致します。この法要を「開眼供養(かいげんくよう)」と申します。もし、その際にお仏壇を新しいものにするのであれば、古いお仏壇はお仏壇業者様にお引き取り頂きます。古いお仏壇は御心抜きされておりますので、ご心配は要りません。

 また、新しいお仏壇の入仏式(開眼供養)の際は、仏様が新たにお座りお守り頂くお祝いと致しまして、紅白の餅や紅白の菓子をお供え致します。仏事でお祝いとはいささか疑問に思われるかもしれませんが、ご先祖様から自身、末裔までお守り頂く仏様が鎮座される誠におめでたいお祝い法要です。

一般のお仏壇のお供え(お花、果物、お菓子)に加え、仏壇開眼の際には、以下のお供え物をご用意頂いております。
 ※あくまで基本司祭方法です。量や内容はご自由にされ、参考にして下さい。



法事を家でしますが、その際の挨拶や会話で使う言葉がわかりません。例えば、法事の後の食事を案内する時に、その食事のことを正式には何というのか、法事後にちょっとした手土産を持って帰ってもらうのに、その品物のことを正式には何と言うか等教えて下さい。

 回答をお話しする前に、仏教儀式の習わしのご説明を致します。仏教宗派の中でも厳しく戒律を定め、苦行する宗派もございます。すべての時間を修行と捉え、食事から寝る事や排泄まですべてが修行の一環というわけです。

 その中で食事は特に決まりの多い修行で、食べる時間や、食べ方、器のしまい方まで一連の所作として決まっているようです。当、「西山浄土宗」は、そこまで厳しく所作の決まりはございません。むしろ食べ方よりも目の前の料理に係わった全ての方々や自然の恵みに感謝するその心が重要としてきました。
さて、話を戻しますが、僧侶の食事の時間はその昔、正午までとされておりました。
※今現在でもそのようにされている宗派があるかもしれませんが、勉強不足にて定かではございません。

おとき

 よって、僧侶の食事の時間や食事を「斎食(さいじき)」と申し、逆に食事の許されない時間帯を「非時食(ひじじき)」と申して、区別しておりました。その習わしにより「斎食(さいじき)」という言葉を略し「お斎」となり、かつ「非時食(ひじじき)」の「時」の文字による「音(読み方)」だけが名残り、「お斎」を「おとき」と申すようになりました。
そのような仏事の出来事は、日々厳しい修行をしている僧侶でなくても、行為が一般生活に溶け込んでいるものがございます。その一つが「お斎」です。この頃では、葬儀前に故人様とのお別れの為の食事を「お斎」と呼ぶような感がございますが、実際は葬儀前だけではなく、仏事で行う食事すべてを「お斎」と申し、中でも葬儀前の食事だけは、修行僧と同じく精進料理を頂きます。それも僧侶が肉、魚を口にしないことに由来しております。
ですから、法事の後の食事や故人を偲ぶ会での会食、慰霊祭後の食事等すべてを「お斎(おとき)」と申します。

おとき

 また、お斎の席でお酒が振る舞われることが多いと思いますが、その際は「乾杯!」とは申さず、「献杯(けんぱい)」と発します。
さらに、仏事の席で参列者への感謝の気持ちで志の品物をお渡しすることがおありでしょうが、その品物のことを「粗供養(そくよう)」と申します。粗供養にのし紙を添える場合も右図のように「粗供養」と書きます。逆に参詣者の方がお持ちになる品物には「お供え」と、のし書きになります。



こんなこと聞くのは失礼かと思いますが、お寺の玉世お婆ちゃんは、どうされていますか?

 たくさんの方からのお問合せと、ご心配のお言葉を頂戴致しましたので、今回お婆ちゃん報告致します。



 玉世お婆ちゃんの部屋には、今でも我が家の3人の子供の命名札が貼ってあります。
 親と致しましては、何事も3人同じように愛情を注ぎ慈しんできたはずですが、この命名札の大きさの違いは何なのでしょうか・・・(苦笑)



仏事封筒を購入する際、御佛前と書かれたものと、御仏前と書かれたものがありますが、どちらが正しいのでしょうか。また、日ごろ使う際は、どちらの文字を使えば良いでしょうか?

 一言でいえば、佛も仏も同じです。ただ旧字体か、新字体の違いで何も変わりはございません。余りに画数が違うので、違う意味合いかと誤解されがちですが、上記でお分かりのとおり、字体を最小限に略した形が「仏」です。義務教育では、「仏」という文字しか習いませんので、一般的には、「仏」の文字が多く使われます。

 「佛」という文字は「にんべん」に「弗(ふつ)」と書きます。「弗」という文字はフツ、フツという音を示し、と同時に「非」という意味があるそうです。「さんずい」で書きますと「沸騰」の「沸」という文字になり、「水に非ず」即ち水ではないと言う意味になり、蒸気になることを表しております。「佛」という文字も同様に、「人に非ず」という意味になります。お釈迦様は、釈迦国の王子で現存した、れっきとした人間であるにもかかわらず、なぜ人ではないのかと申しますと、自分の努力で「欲」を取り除き、悟りを開いた人だからです。もう「人」と呼ぶには尊すぎますから、人にあらずと書いて「佛」という文字をあてお釈迦様を表すようになりました。

 現在では、お亡くなりになった故人様、ご先祖様、お浄土の居られる全ての総称を仏様と呼ぶようになりました。


数珠の糸が切れると、何か悪いことが起こりますか?人に聞くと、葬儀の時に限って、数珠が切れる話を耳にするので、良くないことでしょうか?

 よく「珠数の糸が切れたので、何か悪い事の前触れじゃないでしょうか?」「何か悪いことが起こるのを、珠数が身代わりになってくれたのでしょうか?」と問われますが、糸が切れたからといって何かの前触れではありません。
御葬儀や、御法事で数珠が切れることが多いのは、その時にしか御数珠を手にする事がないので、必然的にその時に切れることが多いだけです。まずは、ご安心して下さい。

 日頃、住職や、仏壇店勤務や、霊園、葬祭場勤務等、仏事のお仕事に従事されている方なら、常に数珠を手にするが故に、数珠石を繋いでいる糸の傷み具合を目にし、そろそろ変え時だという頃合いが分かるものです。
では、皆様が定期的に数珠を手に取り、石の傷や、糸の具合を確認するかというと、まずそれはありません。従って、ご法事やご葬儀で取り急ぎ手にするものですから、消耗具合の耐久を超えて、葬儀会場等で切れてしまう結果になるのです。たまたまのことですから、慌てず、仏具店等で御数珠の修理をされれば、元のとおりになります。どうぞ、御安心して下さい。

 ただ、数珠に限らず、物の損傷により心が痛むことは、物への愛着の表れで、修理により修復が可能であれば、ありがたさを覚え、修復困難で新しいものへとお買い替えをするならば、今まで使わせて頂いた物への感謝と、その時々の出会いに思い出をかみしめる事が出来ます。たかだか物体と捉えるよりも、その際に感じる各々の心が大切かと存じます。

 私は、定期的に数珠の繋ぎ糸の交換や、数珠の房の修理を仏具店でして頂きますが、一度、修理に出したばかりのお念誦で回向をしていた際に、突然糸か切れてしまい、数珠玉が散らばってしまった事がございます。 海岸近くの萬霊塔での彼岸慰霊祭の最中での出来事です。

 そして次の瞬間、突然地面が波打ち、あの福岡西方沖地震が、勃発したのです。 2005年(平成17年)3月20日午前10時53分40.3秒、福岡県北西沖の玄界灘で発生した最大震度6弱の地震によるエネルギーと、水晶の念誦が破損することの因果関係は定かではありませんが、不思議な現象でした。 


除夜の鐘は、何時から付き始めますか?

 住職の職に就き長いものの、除夜の鐘を正式には何時に撞くのかと問われ てみれば、良くわからず、除夜の鐘を撞いている他寺に色々聞いてみましたところ、回答は様々で、

  • 11時半から始め、参詣者が全員撞き終ったら終了する。
  • 107つを12月31日に撞き、零時(1月1日)になって 108つ目を撞く。
  • 108つを12月31日に撞き、煩悩をすべて拭い去り、新年の鐘を住職が撞き、清らかな精神を表し、計109の鐘を撞く。
  • 中には、紅白歌合戦が終わったら撞き始めるという、 おおざっぱな回答もありました。

 数も絶対に108つまで、と決めているところもあれば、108つ超えても全員撞かせるというところもあります。泉福寺も後者の方法をとっておりまして、御参詣下さった方全員が撞かれ、本年の感謝と明年の祈願を致します。

 意外にも鐘の音はかなり遠くまで聞こえるようで、上八の交差点でもはっきりと聞こえるようです。
因みに、総本山 光明寺では、11時50分に撞き始め、法主様(管長様)が最初に撞かれお念仏されて、その後御参詣者皆様に撞いて頂いているとのことです。


お位牌がたくさんあり、仏壇がごちゃついています。 どのように整理したらいいのでしょうか?

 お位牌のあれこれについてお話致します。

 故人様お一人に際して、最初に用いられるお位牌が「白木位牌(①図)」でございます。葬儀から、49日法要を目安にお祀り致します。そもそも「白木位牌」は予期せぬ故人様の突然の訃報に際し、すぐに葬儀を営まねばならず、取り急ぎ用意した一度きりの仮位牌なのです。 あくまでも仮位牌ですから、木の材質は高価な木や細工の華美なものは用いません。よって、基本は長い年月お仏壇の中にお祀り致しません。49日法要や遅くとも百ヶ日法要までには、塗位牌をご用意して頂ければと存じます。

 塗位牌は大きく分けて、故人様お一人の塗位牌(白木位牌のような形で、黒塗りや金箔が施されているもの②図)や繰り出し位牌(③図)がございます。

②図の一霊型の場合は、個別にお祀りし、一目でどの故人様のお位牌かわかりやすい反面、数霊お祀りするには限られたお仏壇スペースでは手狭になります。

 逆に③図の繰り出し位牌は、八霊から多い物で二十霊を一つにまとめることができ場所をとりません。ただし個々のお戒名が見えないため、法要の際には必要なお札を入れ替える必要がございます。

 更に、お家が歴史古く、かなりの御霊をお祀りしている場合は、繰り出し位牌といえども複数個ご用意しないといけない場合がございます。


(①図)白木位牌

(②図)塗位牌

(③図)繰り出し位牌

 当山の宗派・西山浄土宗では、塗位牌は五十回忌までお祀りし、それを過ぎましたならば、○○家先祖累代として、ひとくくりにすると致しております。ただし、それでは俗名やお戒名が分からなくなる為、位牌の記載情報を図④の過去帳に書き写しお仏壇内でお祀り致します。


(④図)過去帳

 あくまで、上記は基本司祀方法ですから、地域やご家庭の風習で若干の違いがございます。ご不明な点がございましたら、お寺までご連絡下さい。 11月といえばお十夜法要ですし、翌月には暮れも迎えるため、これを機に一度お仏壇内を整理してみてはいかがでしょうか。不要な古いお札がある等、手狭になったお仏壇内を整理し、溢れた物で仏様を塞いでいることなどないように、ご確認下さればと存じます。


孫達が遊びに来た際、いたずら心で仏壇内を触っていたらしく、とうとう仏壇の阿弥陀様の掛け軸を破ってしまいました。
仏様に申し訳ない気持ちと、阿弥陀様がお怒りになり、孫をせっかんされるのではないかと 気が気ではなく、早く掛け軸を何とかしたい のですが、どうすればいいのかご相談致します。

仏壇の阿弥陀様軸のお話は、後で致すとしまして、最初に阿弥陀様のお叱りについてお話致します。

阿弥陀様は我々俗物をお守りお救いになる仏様です。そのお慈悲深い仏様が、一人の人間の行いに災いをもたらすことはございません。
また、あなた様が阿弥陀様への信心厚きことも重々承知されておられますから、むしろ、あなた様のお気遣いに仏様との絆が一つ増えたことと嬉しく思います。どうぞご安心して下さい。

さて、破れた阿弥陀仏軸の方でございますが、破れ具合によっては、仏具屋(仏壇店)で修復も可能かと思いますが、今回の場合は千切れてしまわれましたので、新しく購入するしかございません。購入は親しい仏具屋(仏壇店)でご購入下さい。

購入後でございますが、阿弥陀様の魂は破れたとはいえ、まだ古い掛け軸の中にそのまま残っております。それ故、魂を抜き、新しい掛け軸に入魂(にゅうこん)させて頂かなければいけません。その為に、新しいお軸と古いお軸を両方ご供養することとなります。お仏壇の前ですることが望ましいですが、お寺にご持参して頂き、本堂でお勤めも出来ます。

阿弥陀様は、像や軸そのものの物体として捉えるのではなく、目に見えない光明をもたらすお力が阿弥陀様の真髄です。ですから、入魂してお浄土に座しておられる阿弥陀様とご自身のお仏壇の阿弥陀様とを心繋がねばなりません。入魂する法要を「開眼供養(かいげんくよう)」と申します。これは大切な法要ですし、その法要に出会える縁は、とても有難い縁と言えます。新しいお軸に入魂が済みましたら、古いお軸はお寺にてお焚きあげ供養をさせて頂きます。

お軸意外に開眼供養が必要な場合は、お仏壇を新しく購入された場合や阿弥陀仏の購入、お位牌の購入、さらにお仏壇の移動の際にこの法要が行われます。

その他些細なご質問でも構いませんので、何かございましたらお寺までご一報下さい。


お寺の掃除は毎日大変でしょうが、日頃どれくらいの時間掃除をしていますか?

朝はどのご家庭でも慌ただしくお過ごしでしょう。
我が家も、長男、次男、三男を学校へ送り出し、そこから戦闘態勢です。

が、しかし、まずはNHK連続テレビ小説「おひさま」を見て、一休み一休み。そして、エンディングと同時に動き始めます。
私は、とうとう家内にしつけられ、気づけば掃除機担当になり、居住区の台所、居間、子供部屋、離れとすべての掃除機をかけて、外へ出ます。外の砂利にほうき目を入れることを日課としております。。

このほうき目ですが、枯山水の多くは、砂敷を使い海に見立てたり、陸に見立てたりします。白砂敷は、堂々たる石に対して静寂なたたずまいを演出すると教えて頂きました。
砂利や砂面に描かれた紋様を砂紋(さもん)と言います。砂かきの凹凸のある歯で筋を引き、独特の縞模様を作り出します。

砂紋を描くことによって、庭に重厚感を与えるとともに、石組の表情をダイナミックに見せることができるとのことです。。
また昔は、忍びの者(忍者)が入ったかどうか見回りの確認作業にも一役買ったようです。もちろん清浄な法域を表すためでもありました。

お寺の境内では、枯山水の趣を残し、境内地という俗世と仏門の境界を表すために、一糸乱れぬほうき目を入れることで、妙境の悟りを表しております。
また、ほうき目の上を歩く場合は、阿弥陀様のご加護を頂戴するがごとく、神妙な面持ちになるように静寂さを求めております。

しかし、実際の泉福寺では、子供が鬼ごっこをして走り回り、飼い犬がどこで貰ったのか、パンの耳を嬉しそうに穴埋めしております。
静寂もなければ神妙さの欠けらもございません。

それでも、毎日日課としてほうき目を入れる際は、若かりし頃の本山修行の一環でさせて頂いたほうき目を入れるあの気持ちで今もさせて頂いております。
そして今日の無事を祈念し、朝のスタートを切るのです。

家内は、庫裡、本堂と掃除をしているようですが、流れはあまり知りません。というより、知ればまた私の掃除分が増えるような気がするので、当たらず障らず互いの分担をわきまえております。
ですから、ハンディーモップを片手に、柱の梁や窓枠の上、カーテンレール、棚の隙間に至るまで、お寺中を家内が歩き回り、埃を取る際は、関わらないようにしております。

ただ、人間何か楽に掃除が出来るものはないか、日頃の買い物でも、便利な掃除グッズがないか模索し、特にテレビショッピングは何度騙されても魅力を感じる品が放映されるたびに、買いたい衝動に駆られます。それでも、行き着くそうじ道具は、結局埃取と掃除機に雑巾です。
しかも、毎日続ける事のみがカギのようです。

僧侶の修業は1に掃除、2に勤行(念仏)とされております。ひたすら掃除は終わりのない修行です。。
ここまで語ればお寺が塵ひとつないピカピカのお寺のようですが、実際は三男の破った障子は張り替えままならず、子供の手垢の付いた窓ガラス、真っ黒い靴下で帰ってくる子供たち、特に三男に於いてはどこで遊んだのか泥だらけの上に、ずぶ濡れ、もちろん家内の怒鳴り声は必ずアクセントです。

そんな奮闘生活で皆様に決して褒められる様なお寺環境ではございませんが、 1に掃除、2に勤行(念仏)の精神で理想に近づけるように、日々精進してまいりたいと存じます。


この処お寺(泉福寺)での葬儀が増えてきましたが、自分も親が亡くなったらお寺さんで葬儀をしたいと考えています。ただ、お寺では食事が出来ないと聞きました。
お斎(おとき)や精進落としの食事はどうしたら良いのですか?

遥か彼方から脈々と続くご先祖様の遺徳が眠る終(つい)の霊廟を背(はい)し、いつもお見守り下さる阿弥陀様の前で仏弟子になるべく引導を受けることの出来る泉福寺本堂でのご葬儀は、何よりも仏心深く、妙境の地かと存じます。

但し、ご指摘の通り、当山では食事が確かに出来ません。水屋の設備が整っておりませんし、お通夜からのご利用ですと寝具のご用意も出来ません。ただ、お寺の目の前が千代川区の公民館でございます。その公民館を食事処、寝間としてご利用されている方が多いようです。

本堂にしろ、公民館にしろ、公共性のある建物ですので、大切にお使い下さることをお願いし、その他本堂ご使用に関するご質問がございましたら、お寺までご一報下さればと存じます。


今更聞き難いのですが、泉福寺の梵鐘(ぼんしょう)が文化財になったのは、何がどう価値があったのですか?

泉福寺梵鐘(県文化財)のお話を致します。

昔々(西暦1400年以前)中国大陸から日本に運ばれる鐘を乗せた船が沈没し、鐘もろ共、海の底に沈みました。鐘崎沖は古くから航海の難所として知られていましたが、以来その付近を通ると多くの船が沈没するようになったものですから、鐘の祟りだと恐れ、当時の人々が鐘を引き上げようと何度も試みました。中でも、室町時代に宗像大宮司家代第75代領主・宗像興氏(おきうじ)は、捜索の末、鐘を発見し龍頭(鐘を吊るす部分)に綱を結びつけ引き上げようとしましたが、嵐となり海が荒れ狂った為「海神の祟りであろう」として引き上げを断念しました。

また江戸時代には筑前藩主・黒田長政が引き上げを試み、この時は龍頭だけが鐘の本体からちぎれて引き上げられたということです。

一部分だけ引き上げることが出来たその鐘を基に、寛文4年(1664)当山泉福寺の第八世照空上人が、梵鐘の鋳造を発願し、有志より浄財の喜捨を受けると同時に、寛文5年8月に即非禅師(そくひぜんじ→江戸時代前期中国の明から隠元に招かれて来日し、能書家とし知られ、詩も善くし、日本の文人画のさきがけとされる。)を訪れ、沈鐘伝説の銘文を請い、発願より8年後の寛文12年(1672)4月に鐘は完成し、その梵鐘の「池の間」周囲に銘文が刻されました。
第二次大戦中、他の梵鐘と同じく、この鐘も軍部に献上されましたが、三国(日本、中国、朝鮮)の形式を取り入れた文化財的に価値のあるものだと 認められ返却されました。その後も泉福寺の梵鐘 として、屋外の鐘楼で使用されていましたが、昭和34年に県の文化財に指定されたので、本堂内に移し今も大切に奉られています。

この「沈鐘伝説」があるこのあたりを鐘の沈んだ岬にて、鐘崎と申すようになりました。

泉福寺梵鐘の銘文はこちらからご覧になれます。
お坊さんになると、必ず坊主頭にしないといけないのですか?たま に、髪の長いお坊さんも見かけますが、それでもいいのですか?

以前「いずみ」で認めたことがございますが、坊主の坊とはお寺の 個々の建物のことで、そこの主を坊主と呼び、今の住職と同じ意味に なります。その僧侶の髪型が坊主頭と言う訳です。

その昔、仏教をお開きになられた釈尊(しゃくそん・お釈迦様)は得度(とくど・出家し仏門に入ること)の際は、剃髪(ていはつ・髪を剃り落すこと)することを定めました。剃髪することにより装飾美を無くし、煩悩を捨てると共に、外見から見ても僧侶であることを知らしめるという意味がありました。

そもそも古来から人間は、男性が髪型で権力を強調し、女性は美の象徴であったりと目で見て分かる人間の煩悩の表現をしていました。今現在でもその精神は変わらず、個性の表現としてあらゆる髪形がございます。

それ故、仏教では髪の毛に関わらず、体毛は「煩悩」に喩えられてきました。剃っても剃っても生え伸びる様子が、私達の中に沸き上がり、消そうとしても消えない煩悩と同じであると諭したのです。

僧侶は御仏の教えに従い、修行するものであり、釈尊の時代から剃髪は修行の一貫であります。愚僧、私も釈尊の時代から続く修行に背くことなく、煩悩の象徴である髪を剃り、常に初心を忘れずにと心がけ坊主頭にしております。

それでも今は有髪僧(髪を伸ばした僧侶)が居るのも事実ですが、姿にとらわれずお釈迦様の教えを学ぶ精神がまずは一番肝心かと存じます。

ご葬儀の中でも、故人様が仏弟子になられたお印に、髪そり(儀式用にて刃は付いておりません)にて、故人様の髪を剃る作法で髪そりを手向けます。これも仏様と故人様の変わらぬ絆を結んだ証です。

ちなみに私の息子3人も坊主頭にしておりますが、子供達はバスケットをしている為、NBA(アメリカプロバスケットボール)の選手のスキンヘッドを真似ているらしく、お釈迦様の御教えとは程遠いものです。 (苦笑


前々から悩んでいたのですが、「御霊前」と「御仏前」または「御香典」の違いを教えて下さい。

このところ大変よくある質問です。この質問に併せて、お寺への謝礼の書き方は何と書きますか?と言うご質問もたくさん頂戴致しておりますので、併せて認めさせて頂きます。

まず、お寺への謝礼の際は全て「お布施」でございます。御葬儀、御法事、お寺の年間法要に至るまで全てが「お布施」でございます。時にお膳代やお車代等個別に記入される例もございますが、それらも全てお布施の中に当てはまります。

ご質問のご回答をお調べ致しましたところ、葬儀やご法事で金品のやり取りが行われるようになったのは明治頃かららしく、それまではお金ではなく「お米や野菜」などの食材を喪家に持ち寄ることが多かったそうです。勿論その時代は葬儀社さんも無ければ仕出し屋さんも無いので、同じ集落で助け合い、故人を弔うというのが一般的だったのでしょう。

それが明治を過ぎると「お金」を包むことが普通になったようです。その頃はお金であれ、お米であれ全て昔は「御香奠」と記され、今の「御香典」に値致しております。

香奠・香典とは、「お香を供える」という意味で、明治前の当時の高貴な人や上流階級の人が香を仏前に手向けたとされておりますが、一般市民にも仏教が浸透してくると、その名残を残し香奠・香典と言う言葉の元「お金を包む」という風習が定着したようです。

つまり御香典は、経済的にも精神的にも落ち込んだ遺族に対して、村同士での助け合いの精神から生まれた文化といえるでしょう。

その後、人々の智慧で同じお金を包むでも、まだ御遺体がある御葬儀と、御遺骨になった御葬儀後を区別したり、宗派の教義の違いは有るもの仏様になられる前と後を恭しく崇める気配りの心が、御霊前と御仏前の違いを作ったようです。

今では、御遺体のあるお通夜、御葬儀が御霊前、その後を御仏前とする事が多いようですが、それでも地域の風習や土着信仰により違いが大いに有ります。何はともあれ弔い喪家の悲しみを痛む心があれば全て由かと存じます。


先日知人宅にお参りに行ったところ、香炉に線香をさそうとすると何やら灰がごつごつしており、なかなか線香が立ちませんでした。香炉灰はどうやって手入れするのですか?

泉福寺ではお盆の時分に灰のお手入れを致します。線香を立ててお参りを続けるうちに、線香の燃えカスや湿気による灰の塊が出来ます。それを年に1度篩(ふる)い、灰の不純物を取り除き綺麗に致します。

と、申しましてもこれは家内の仕事で私は監視役でございますが。

灰のお手入れ方法は、「奥さん奮闘記」をご覧下さい。

お盆が参りますので、皆様もお仏壇を掃除し、今年は灰のお手入れもしてみましょう。


お坊さん(御住職)の呼び方で、泉福寺お参りの際、「ほうじょうさん」と耳にしましたが、「ほうじょう」とはどんな字を書きますか?

「ほうじょう」とは「方丈」と書きます。

インドの維摩居士の居室が一丈四方(四畳半ほどの広さ)であったという故事から、寺の住職の居室(庫裏)を指し、また、住職自信の俗称にもなりました。

ちなみに、よく使う「坊主(ぼうず)」という言葉の由来は、「坊」とは独立した建物の意で、大きな寺院では、中にいくつかの小さなお寺(坊)があった為、その各々の主が「坊主(ぼうず)」となります。

更に宗派によっても、呼び方は違います。たとえば、

  • 浄土宗(泉福寺の西山浄土宗も含む)、曹洞宗は「方丈(ほうじょう)さん」
  • 浄土真宗では、「御院家(ごいんげ)」「院家(いんげ)」なまって「ごえんさん」など
  • 真言宗では「院主(いんじゅ)さん」「和尚(わじょう)さん」「そうじょうさん」
また、同じ宗派でも地域の風習や方言で様々な呼び方があるようです。

一方、「和尚(おしょう)」という呼称ですが、日本では天平宝字2年(758年)に渡来した鑑真(がんじん)に対して、「大和尚(だいわじょう)」の号が授与されており、その後、高僧への敬称として使用され、更に一般的に僧侶への敬称として和尚(おしょう)と呼ばれるようになりました。

更に、一般的に「和尚(おしょう)」と使う宗派は、禅宗(曹洞宗・臨済宗)です。 天台宗は、同じ「和尚」という字を書いて「かしょう」と呼びます。

西山浄土宗では、檀家様から「和尚(おしょう)さん」と呼ばれることが多いですが、お寺様同士の呼び方は「方丈(ほうじょう)さん」と言いますし、高僧のお戒名は「○○大和尚(だいわじょう)」と使います。

追伸 住職の奥さんは、「坊守(ぼうもり)」と呼ばれ、庫裏の中一切の切り盛りし、住職の布教修行以外の全ての雑事を賄う意味があります。 聞きなれぬ、呼びなれぬ「方丈さん」よりいつもの呼び名でお声かけ下さい。



前々から気になっておりましたが、法事のお布施はいつ渡したらいいでしょうか? 早く渡さないと悪いような気もするし、奥さんがお茶を出されれば、その時が良いのかと思ったり、やはりお経が終わって最後が良いかと思いもします。 お参りが終わって、もう一度納骨堂を拝んだりするうちに、和尚様が次のお参りに行かれてはと、後で渡すのも何となく気の焦る思いがするのです。

お参り頂き有り難く思います。ご先祖様もさぞやお慶びのことと思います。お布施は、私愚僧が頂くお金(財施)もさることながら、お参り頂く行為行動も既にお布施の一つなのです。 そこで、布施(無財の七施)をご紹介致しましょう。

  • 優しいまなざし(眼施)
  • 仏様のような優しいまなざしで共に優しさを分かち合います。いつも檀家様のお参りの後は優しい眼差しでお帰りになられます。
  • おだやかな顔(顔施)
    眼だけでなく顔も同様です。おだやかなお顔は周りの人もなごやかな気持ちにさせる力を持っています。久しぶりの親族の再会はお顔がほころぶものです。
  • 優しい言葉(言施)
    口先だけのお世辞ではなく、心のこもった言葉をかけると、相手を幸せにすることが出来ます。お身内のお子様の成長に驚き、互いの今日の無事に安心する会話をよく耳に致します。
  • もちろん行動も(身施・力施)
    汗を流して人のために尽くすということも、もっとも尊い布施行の一つです。
  • 相手の気持ちになって考える(心施)
    相手を思いやる慈悲の心を持つことも大切な布施の一つです。法事の席に招く側、招かれる側互いに心遣いの上に法要が成り立ちます。
  • 譲り合う気持ち(座施・床座施)
    座施とは座っている場所を変わってあげるという意味ですが、座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切だという意味が含まれています。
  • 親切なおもてなし(舎施・房舎施)
    舎施とは、一夜の宿を貸してあげる意味です。それ以外にも困っている人を助けてあげること全体を指しているといえます。

これら七つの布施は、財産に関係なくいつでもどこでも、そして誰にでも行える布施です。 また、法事の席に招き招かれご先祖様供養する行為自体、七つの布施を施すに値し、何よりもありがたいことです。ご質問にお答えするならば、七施終えたあなた様の喜びのお顔を拝顔したいので、お経が終わる頃合にて、私にお声掛け下さればと存じます。


この頃になって、本堂にシャンデリアのような装飾が吊るされていますが、 あれは何ですか?

本堂の中央にございますものを、人天蓋(にんてんがい)と申します。それに似たものが、ご本尊(阿弥陀様)そばにございますが、それを仏天蓋(ぶってんがい)と申します。

天蓋とは見た目の通り「傘」天蓋のことです。仏教発祥地の古来インドの生活では、雨よけ日よけはもちろんのこと、その他、上から落ちてくるものから、僧侶の身を守るために傘が使われておりました。

現在でも、本山などの大法要などお坊さんがたくさん集まって行う法要では、お導師様(法要の主役のお坊さん)の頭上に、赤い大きな傘が差しかけられて行列致します。その傘がお寺内部のご本尊様(阿弥陀様)をお守りする意味の名残が天蓋として残っております。

 

本堂の中でも、住職がご本尊様を拝むところで一段高くなっているところを内陣(ないじん)、その手前を下陣(げじん)といって区別しています。たいていのお寺では、この内陣の天井に楕円形の傘が吊るしてあります。これが仏天蓋です。
ご本尊様をお守りする為の傘です。そして下陣に吊ってありますものが、人天蓋です。いずれも落ちて来るものから下のものを守るための意が起源意味ですが、実際には、建物の中ゆえ、物や風雨にさらされる心配はなく、本来の身を守る傘の意味から、人が災いや不運から守る仏様のお慈悲の象徴となっております。

また、内陣の仏天蓋両脇の柱のように細長いものを「幢幡 (どうばん) 」と申し、字のとおりこれは幡のことです、幡とは旗印の意で、ここにご本尊様がいらっしゃいますという印と同時に、智恵の幡のもと、あらゆる煩悩の魔の手を打ち破る、という象徴として掲げられています。それらほとんどが木製で金色をしておりますが、もとは布製できらびやかな飾りがありました。現在でも布製の幢幡をかけている寺院もあります。

更に何故、金色なのかは、金はこの世に存在する金属の中で変質しないで、いつまでもその輝きを持続する性質から、永遠に不滅で不変である「仏の教え」の象徴として金色を多用しているのです。

仏天蓋
遠方にてお寺のことがあまり分からず、四十九日法要では、お餅を供えると聞きましたが、どうすればよいのでしょうか。
傘餅(四十九日餅)

図A:傘餅(四十九日餅)
本来は、傘餅または、四十九日餅(図A)と申しまして、七つの餅を七段積み上げ、その上に傘が被っているというものです。五合を丸く平たい傘にし、もう五合は下の四十九個の小さい餅にし、故人が四十九日間最期の旅をされるお弁当と傘の役割を果たします。

法要終了後、大きな傘餅を図Bのように切り分け、図Cのように人型にして供えます。お帰りの際に参詣者皆様ですべてのお餅を分け持ち帰ります。

傘餅の切り方         図B:傘餅の切り方 切った傘餅の並べ方    図C:切った傘餅の並べ方(人型)

しかし、その後、各地方で風習としてさまざまな形で定着致しております。鐘崎の中だけでも、いくつかのパターンがあり、四十九個の丸餅に手型、足型の小判上の餅を加えるご家庭や、一升分の餅をつき、それ全部で人の形を現すご家庭や、手型、足型だけを備えるご家庭と様々です。

また、遠方よりご遺骨を納骨に見えられる檀家様ですと、略さざるを得ないケースもでて参ります。 しかし、形や有無でなく、仏様に施す心のゆとりと、故人様の四十九日法要の旅立ちの無事を願う心が最も大切です。


本堂の法事では、何か特別なものが必要ですか?
本尊自宅の法要と変わりません。本堂のお供え物(一般的に、お花、果物、お菓子、故人様の好物など)をお供え頂きます。
お位牌は、卒塔婆をお供え致しますので、あえてお持ち頂かなくても結構です。 最近では、故人様の遺影のお写真をお持ち頂く檀家様が増えてまいりましたが、ご自由にご家族でお持ちより下さい。

本堂のすべての法要が、いす形式に移行しておりますが、それでも、一度は焼香に立たねばならず、介添えが必要に思う方や、いささか心配されておられる方が居られましたら、前もってお申し付け下されば、まわし焼香と申しまして、香炉を皆様のお手元にお持ちすることも出来ます。

本堂は、皆様の仏心を見い出す事の出来る唯一の安らぎの場所です。どうぞ年回法要のみならず、いつでも心を自由に解き放つためにお参りして下さい。阿弥陀様が変わらぬ心でお待ち下さいます。
法事は「本堂」と「自宅」とどちらが供養になりますか?
彼岸 どちらでもかまいません。本来は、自宅でお参りをし、納骨堂もしくはお墓にお参りするのが一般的です。

しかし、住居スペースが限られていたり、体力的に家での接待が不自由な方や、ご親戚の交通の便などを考慮し、鐘崎を出られた方の多くは本堂を利用されることが多いようです。

逆に鐘崎の方は自宅で法要を営まれる方が多いのも事実です。 どちらにせよ、供養したいと思う気持ちが大切で、どの場所、どの時間でも脈々と受け継がれている祖先からの「み霊」をねぎらい、あの世の安穏を願う心が最もご供養に繋がります。
和尚さんも鐘崎の生活が長くなられましたが、もう住職になって経験も積んだので、何でも出来るようになったでしょ?
今年でちょうど50歳になり、鐘崎に参りまして早いもので、23年が過ぎました。 おっしゃるとおり僧侶になってからの時間は、京都より鐘崎での生活の方が長くなりました。
それでも本山法要や大法要での法要所作(作法)は、まだまだ勉強しないといけないことは多くございます。

また、覚えているお経でも、これでもか、これでもかと考えさせられる奥深さがあり、一生修行と痛感し、毎日一生懸命にご供養させて頂いております。 ただ、所作や経典などは、すでに開祖法然上人や歴代高僧により確立されたものですので、基本の精神をいかに自分で探求するかにかかっております。

しかし、ただ一つ自分自身で考え、結果を残さないといけないことがございます。それは御戒名授与(御戒名付け)でございます。
故人様が初めて仏様になられ、御戒名をもってお浄土に旅立たれるにあたり、この愚僧が自らの手でたった数文字の中に、故人様の生き様や願い、思いを込め、それを仏様に託さねばなりません。もうすでに数百もの御戒名を授けさせて頂いておりますが、数をこなせばこなすほど、難しさを覚えます。

それは、自分もだいぶ年を重ね、人生の中で多くの経験をさせて頂き、昔は見えてこなかったことが見えるようになったり、感じられるようになった部分があるのではないかと思っております。
それ故、余計に故人様の願いやご家族への思いが重なり厚く込みあげてくる何かを一生懸命御戒名に表そうと致します。高野住職

この泉福寺の住職になり、私で25世(25代目)になりますが、脈々と受け継がれている「み教え」を私の代で乱すことのないように、歴代住職や未来の住職に恥じないように、命削る思いで、御戒名を授けさせて頂いております

歴代住職の思いの結集である御戒名を改めて見て下さるとまた違った思いで、ご先祖様のご供養が出来るのではないでしょうか。
私は母が亡くなり、急にお寺ごとに携わるようになりました。今思えば、母の生きているうちに、あれこれ聞いておけばよかったものの、右も左も分からず、恐らく、仏様にも、お寺さんにも、ご無礼をしているのではと思って気がかりです。何か、基本的な知識を得るにはどうすればよいのでしょうか。
いつも、私はお話致しておりますが、形や知識ではなく、真の仏心が一番大切と思っております。 だから、今のあなたが仏様へご心配する心が、信心となるのです。
そして、お仏壇の前で、またはお寺に足を運んで、手を合わせて、南無阿弥陀仏とお念仏することが最も仏様が喜ばれることなのです。 また時に、ご親戚や知人から仏事のことを教えて頂く場合もおありでしょうが、地域やご家庭で、若干習慣が違いますので、混乱することが多々おありかと思います。そんな場合は、ご遠慮なくお寺までお電話下さい。

昨年より、泉福寺オリジナル新聞「いずみ」を創刊するようになり、些細な事柄でも、疑問質問がなされるようになりました。また、年間行事のご案内に、ちょっとしたエピソードや、情報を掲載致しておりますので、それらを積み重ねていきますと、かなりの仏事ごとの情報が収集できるかと思います。また、そうして頂けることが、「いずみ」の意義と考えております。

余談ですが、こちらのご紹介の檀家様御一家は、葬儀前に、親族控え室で喪服の背広に着替えながら、喪主としての挨拶を何度も読み返し、緊張しておられました。また、ご次男は、お寺へのお布施を渡す際の小さな角盆を奥さんから渡されて、「これに必ずのせて、渡して下さいね。」と念をおされたものですから、それが気になって仕方がありませんでした。
しばらくすると、葬祭スタッフから記念撮影を致しますと呼ばれて、写真を撮ったはよいのですが、後日、出来上った写真は、大きな体のご長男は、小さな体のご次男の背広を着て、袖からワイシャツが覗き、ご次男はお兄様のものを着ているものだから、袖は袴のように長く、おまけに角盆をポケットにしまい込んで、胸元が不自然に膨らんでいる、という写真になりました。
このことを四十九日の法要の際にお話があり、親族で大笑いをされましたが、この笑い顔こそ、故人様への何よりのお供えであり、ご供養です。

故人様は安心されてお浄土へ旅立たれたと思いますし、残されたご遺族へのお慰めとなります。本当に有り難いお話を頂戴致しました。
過日頃、仏壇には何をお供えしなければいけないでしょうか。必ずしないといけないもの、
してはいけないものはありますか。
お供え物はそもそも施しで、お布施なのです。仏様や御先祖様に守り導かれている日々の感謝を捧げて いるのです。ですから、一番大切なのは、感謝する心です。その心が、何か仏様にして上げられることはないか自分に問いかけ、その行為が、お供えするということに辿り着きます。

 『基本のお供え物』・・花、果物、菓子、ご飯、水、お茶

お花、果物・・本来、野に咲く花や果物を愛(め)で、
その季節の到来に感謝し、それらに出会えた喜びで、
お供え致します。

菓 子   ・・昔は、砂糖は薬とされ、高価な物でした。
無病息災の願いを込め、お供え致します。

ご 飯   ・・貴重なお米を収穫できた感謝と食す喜びに、我々が口にする前に、
炊き立てを供えます。
仏様にお供えするご飯は、御飯(おっぱん)と言います。仏飯(ぶっぱん)、
御仏飯(おぶっぱん)ともいいます。

では、だからと言って、毎日花摘みに明け暮れ、果物を収穫して回るわけもいかず、かといって、自家栽培もままならず、やはり買うのみであります。
それには、買いに行く足、時間、お金が掛かり、出来ない諸事情があれば、無作法なのかとなります。 いえいえ、行き着くところは、形ではなく心です。
たとえ、物がなくともあるが如く、気持ちを供えるが一番です。 仏壇を綺麗にし、お茶と水だけは出来るだけ毎日供え、感謝の念で、南無阿弥陀仏とお念仏致しましょう。 時に供える物に出会えば、感謝を以ってお供えしましょう。

あえて、供えてはいけない物と言えば、腐った物、匂いのきつい物は勿論の事、 人を傷つけるイメージに繋がる、トゲのある花は避けます。 しかし、ケースバイケースで、時として故人様の好きなお刺身を供えたり、御家族で育てた 薔薇の花を供えたり、家々での思いは様々で、故人様や仏様を思う心ですべて善とされます。
過日、友人に誘われて、占いに行きました。そこで、水子供養をしていないので、災いが起こると言われま した。どうすればよいでしょうか
 御自身が占いの言葉に心がざわつくのは、今現在、難問に遭遇しているか、水子供養の事が気になって いらっしゃるのでしょう。
本来、「占い」「祈祷」や「予言」また、最近流行の「スピリチュアル」等の様々な情報がございます。 どれも、目には見えない世界や心の問題を定義され、宗教と掛け合わせて一括りにされがちです。 しかし、仏教とそれらはまず別物です。区別して考えてみましょう。

水子様であれ、観音様であれ、すべては、仏様です。仏様とは、人間には到底及ぶことのない、計り知れない お慈悲を以って、我々俗物の人間をお守り導いて下さいます。その仏様である、水子様が、バチを与える、人を おとしいれようとする、はたまた、災いをもたらす等、するはずはありません。仏様は、阿弥陀浄土で、人間の 持ち合わせるすべての煩悩を払い落とし、苦のない清らかな御霊となっておられます。ですから、災いが起こる なんて言葉じたい、いかにも俗的人間の言葉そのものです。御心配なさりませぬように。

ただし、御自身が仏様を御供養する気持ちだけはお忘れになりませぬようお願い致したいです。水子様は、 一般の仏様とは若干背景が違い、時として、年回などせず、お位牌を作らないケースもございます。(私にも、 家内が三度の流産をしておりますので、水子様供養を致しておりますが、お位牌や、年回等は致しておらず、 毎日の朝のお勤め(本堂読経)を致しております。)
また、水子様とのご縁は、特に女性にとっては、悲しみ、苦しみ様々な思いがあったことでしょう。 しかし、逆に水子様の短い命を以って教え、学ばされたことがあったはずです。そこに気づかされる事が、 水子様との本当のご縁の意味です。そして、感謝を以って御供養して下さい。
お位牌などの形や場所に とらわれず、いつでも手を合わせ、南無阿弥陀仏とお念仏することで、御自身も救われます。   

最後に、人生は、苦難なくして人生とはいえません。人間である以上、自身で乗り越えるために、 常に苦難というご縁は与えられるものなのです。
浄土宗と浄土真宗の違いと、西本願寺派と東本願寺について
浄土宗は、Q2の欄にも在ります通り、大きく二派、四流派に分かれます。そもそも、浄土宗は、「法然上人(ほうねんしょうにん)」が開かれましたが、法然上人には、多くのお弟子様が居られました。 そのお弟子様は法然上人没後、御遺体を京都・光明寺で火葬、埋葬いたしました。 そのお寺を総本山とし、布教致しましたのが、浄土宗西山派の総本山・光明寺です。

ちなみに、京都・光明寺は、法然上人が、最初に浄土宗の念仏の教えを開いた浄土門根源地です。 それに対し、法然上人が生前長く修行されたお寺を総本山にし、布教されましたのが、 現在の鎮西派(通称・知恩院派)の総本山・知恩院です。 また、お弟子のお一人に、「親鸞上人(しんらんしょうにん)」という方が居られました。 その方は、法然上人没後、法然上人の教えを根源にするも、更に民の目線に近い独自の教義を持ち、 浄土真宗を開きました。その教義は、儀式の形にとらわれないということでした。 当時の世相は、武家、武士、貴族社会で、多くの一般市民に親鸞の浄土真宗は、 多いに受け入れられました。

更に、全国で親鸞の血脈を持つものが、寺院を建立致しました。 その寺院の多くは、○○本願寺、と、本願寺名が付けられております。その市民群集の動きに危惧した、 他宗派や、朝廷幕府等は、浄土真宗の禁止やお寺の閉山を強いた歴史を持ちます。

浄土真宗の教義の特徴の一つに、現在では当たり前のようになっておりますが、 妻帯を持つことです。当時の仏教者は、当然生涯独身でした。 それゆえに浄土真宗の歴史は、弾圧もさることながら、一族の紛争の歴史とも言えます。

時は流れ、1591年に豊臣秀吉により、京都の安住の地を与えられ、 京都本願寺がようやくできました。しかし、1603年に兄弟で分裂し、 長男が浄土真宗・大谷派を立ち上げました。それが現在の東本願寺であり、 三男が継いだ今までの京都本願寺を、西本願寺と呼ぶようになりました。 その両本願寺は、浄土真宗の十派の中で最も大きな派であり、 親鸞の血脈を継ぐ流派です。逆に残りの八派は、親鸞の弟子が開いた流派になります。
お参りの際に、お線香は何本使えば良いですか?

 他宗派では、本数や立て方、折り方、寝かせ方等、決まりのあるところもありますが、当山の西山浄土宗は、取り立てて決まりはありません。但し、地域性による考えにより、異なる事があるようです。お線香の形にとらわれず、お参りする行為そのものが大切かと存じます。

本堂の阿弥陀様の他に、祀ってある仏様はなんと言うお名前ですか?
阿弥陀様に向かって左側が、「法然上人(ほうねんしょうにん)」阿弥陀様に向かって右側が、 「善導大師(ぜんどうだいし)」です。

<<豆知識>>
法然上人は、浄土宗を開いた高僧です。 また、善導大師は唐(中国)の僧侶で、阿弥陀仏と念仏を説かれていました。その善導大師の御文に導かれ、法然上人が、浄土宗をお開きになったのです。
本堂両脇(東側、浜側)に、二仏(法然上人像と善導大師像)が鎮座されており、お祀り致しておりますし、皆様の御自宅のお仏壇にも同じく、二仏が鎮座されております。 また、本堂では、この度、分かりやすく、木札をたてておりますので、御覧下さい。





仏壇はどの方向に置くのが良いですか?

 西方浄土の教えから、西を向いて拝む事を善しとし、西を背に お仏壇を置き、仏様が東を向く事が故事に法った形になります。しかし、現実の家庭環境や住宅事情から、 すべてそう出来ないので、むしろ形にこだわらず、心で西方浄土を描き、お念仏して頂ければ結構かと存じます。

配布物に上報山 泉福寺とありますが、上報山とは何ですか?
お寺の呼び名の正式には「山号・院号・寺号」と三つあります。
当山は上 報山(じょうほうざん)・龍圓院(りゅうえんいん)・泉福寺です。一般の お寺で○○院や、△△寺と呼び名が二つありますが、院号を正式名 称にするか、寺号が正式名称として残るかの違いです。
ちなみに、山号 は、商店などの屋号と同じようなものです。また、御戒名の院号居士・ 院号大姉の院号もこのお寺の院号から由来しております。
最近のお便りの文末に「輝空」とありますがどなたの事ですか?

 愚僧、私のことでございます。付け加えますと、御先祖様のお位 牌にも「空」の文字が付いております。これは、我が宗派「西山浄土宗の勤めに励み、心の修行をしました、という証です。私が仏門に入り、最初に阿弥陀様の前で、生涯お勤め致しますと誓った証に頂いた空号が「輝空」です。

浄土宗にはいくつか種類があると聞きましたが、どういうことですか?
正確には「派(は)」と申しまして、浄土宗系はいくつかの派に分かれております。



祥月命日と命日の違いは?

祥月命日は、お亡くなりになられた月日の事をいい、一年に一度しかありません。また、御命日は、お亡くなりになられた日にちを指しますので、月に一度、年に十二回あります。


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