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年間行事


よくあるご質問

Q1 月命日と命日の違いは?
Q2 浄土宗にはいくつか種類があると聞きましたが、どういうことですか?
Q3 お寺には「蓮の花」がつきものですが、なぜ「蓮の花」なのですか?
Q4 最近のお便りの文末に「輝空」とありますがどなたの事ですか?
Q5 配布物に上報山 泉福寺とありますが、上報山とは何ですか?
Q6 仏壇はどの方向に置くのが良いですか?
Q7 本堂の阿弥陀様の他に、祀ってある仏様はなんと言うお名前ですか?
Q8 お参りの際に、お線香は何本使えば良いですか?
  Q9 浄土宗と浄土真宗の違いと、西本願寺派と東本願寺について
Q10 過日、友人に誘われて、占いに行きました。
そこで、水子供養をしていないので、災いが起こると言われま した。どうすればよいでしょうか
  Q11 日頃、仏壇には何をお供えしなければいけないでしょうか。
  Q12 私は母が亡くなり、急にお寺ごとに携わるようになりました。今思えば、母の生きているうちに、あれこれ聞いておけばよかったものの、右も左も分からず、恐らく、仏様にも、お寺さんにも、ご無礼をしているのではと思って気がかりです。何か、基本的な知識を得るにはどうすればよいのでしょうか。
Q13 和尚さんも鐘崎の生活が長くなられましたが、もう住職になって経験も積んだので、何でも出来るようになったでしょ?
  Q14 法事は「本堂」と「自宅」とどちらが供養になりますか?
  Q15 本堂の法事では、何か特別なものが必要ですか?
Q16 遠方にてお寺のことがあまり分からず、四十九日法要では、お餅を供えると聞きましたが、どうすればよいのでしょうか。 ?
最新の更新箇所です Q17 この頃になって、本堂にシャンデリアのような装飾が吊るされていますが、 あれは何ですか?
その他 素朴なご質問やご要望がございましたら、何なりとお問い合わせ下さい


月命日と命日の違いは?
月命日は、お亡くなりになられた月日の事をいい、一年に一度しかありません。また、御命日は、お亡くなりになられた日にちを指しますので、月に一度、年に十二回あります。

浄土宗にはいくつか種類があると聞きましたが、どういうことですか?
正確には「派(は)」と申しまして、浄土宗系はいくつかの派に分かれております。



お寺には「蓮の花」がつきものですが、なぜ「蓮の花」なのですか?
蓮の花は、汚れた泥水の中から芽を出し、その泥に汚(けが)される事なく美しい花をつける姿から、仏の生まれ変わりとされております。

最近のお便りの文末に「輝空」とありますがどなたの事ですか?
愚僧、私のことでございます。付け加えますと、御先祖様のお位 牌にも「空」の文字が付いております。これは、我が宗派「西山浄土宗の勤めに励み、心の修行をしました、という証です。私が仏門に入り、最初に阿弥陀様の前で、生涯お勤め致しますと誓った証に頂いた空号が「輝空」です。

配布物に上報山 泉福寺とありますが、上報山とは何ですか?
お寺の呼び名の正式には「山号・院号・寺号」と三つあります。
当山は上 報山(じょうほうざん)・龍圓院(りゅうえんいん)・泉福寺です。一般の お寺で○○院や、△△寺と呼び名が二つありますが、院号を正式名 称にするか、寺号が正式名称として残るかの違いです。
ちなみに、山号 は、商店などの屋号と同じようなものです。また、御戒名の院号居士・ 院号大姉の院号もこのお寺の院号から由来しております。

仏壇はどの方向に置くのが良いですか?
西方浄土の教えから、西を向いて拝む事を善しとし、西を背に お仏壇を置き、仏様が東を向く事が故事に法った形になります。しかし、現実の家庭環境や住宅事情から、 すべてそう出来ないので、むしろ形にこだわらず、心で西方浄土を描き、お念仏して頂ければ結構かと存じます。

本堂の阿弥陀様の他に、祀ってある仏様はなんと言うお名前ですか?
阿弥陀様に向かって左側が、「法然上人(ほうねんしょうにん)」阿弥陀様に向かって右側が、 「善導大師(ぜんどうだいし)」です。

<<豆知識>>
法然上人は、浄土宗を開いた高僧です。 また、善導大師は唐(中国)の僧侶で、阿弥陀仏と念仏を説かれていました。その善導大師の御文に導かれ、法然上人が、浄土宗をお開きになったのです。
本堂両脇(東側、浜側)に、二仏(法然上人像と善導大師像)が鎮座されており、お祀り致しておりますし、皆様の御自宅のお仏壇にも同じく、二仏が鎮座されております。 また、本堂では、この度、分かりやすく、木札をたてておりますので、御覧下さい。






お参りの際に、お線香は何本使えば良いですか?
他宗派では、本数や立て方、折り方、寝かせ方等、決まりのあるところもありますが、当山の西山浄土宗は、取り立てて決まりはありません。但し、地域性による考えにより、異なる事があるようです。お線香の形にとらわれず、お参りする行為そのものが大切かと存じます。

浄土宗と浄土真宗の違いと、西本願寺派と東本願寺について
浄土宗は、Q2の欄にも在ります通り、大きく二派、四流派に分かれます。そもそも、浄土宗は、「法然上人(ほうねんしょうにん)」が開かれましたが、法然上人には、多くのお弟子様が居られました。 そのお弟子様は法然上人没後、御遺体を京都・光明寺で火葬、埋葬いたしました。 そのお寺を総本山とし、布教致しましたのが、浄土宗西山派の総本山・光明寺です。

ちなみに、京都・光明寺は、法然上人が、最初に浄土宗の念仏の教えを開いた浄土門根源地です。 それに対し、法然上人が生前長く修行されたお寺を総本山にし、布教されましたのが、 現在の鎮西派(通称・知恩院派)の総本山・知恩院です。 また、お弟子のお一人に、「親鸞上人(しんらんしょうにん)」という方が居られました。 その方は、法然上人没後、法然上人の教えを根源にするも、更に民の目線に近い独自の教義を持ち、 浄土真宗を開きました。その教義は、儀式の形にとらわれないということでした。 当時の世相は、武家、武士、貴族社会で、多くの一般市民に親鸞の浄土真宗は、 多いに受け入れられました。

更に、全国で親鸞の血脈を持つものが、寺院を建立致しました。 その寺院の多くは、○○本願寺、と、本願寺名が付けられております。その市民群集の動きに危惧した、 他宗派や、朝廷幕府等は、浄土真宗の禁止やお寺の閉山を強いた歴史を持ちます。

浄土真宗の教義の特徴の一つに、現在では当たり前のようになっておりますが、 妻帯を持つことです。当時の仏教者は、当然生涯独身でした。 それゆえに浄土真宗の歴史は、弾圧もさることながら、一族の紛争の歴史とも言えます。

時は流れ、1591年に豊臣秀吉により、京都の安住の地を与えられ、 京都本願寺がようやくできました。しかし、1603年に兄弟で分裂し、 長男が浄土真宗・大谷派を立ち上げました。それが現在の東本願寺であり、 三男が継いだ今までの京都本願寺を、西本願寺と呼ぶようになりました。 その両本願寺は、浄土真宗の十派の中で最も大きな派であり、 親鸞の血脈を継ぐ流派です。逆に残りの八派は、親鸞の弟子が開いた流派になります。

過日、友人に誘われて、占いに行きました。そこで、水子供養をしていないので、災いが起こると言われま した。どうすればよいでしょうか
 御自身が占いの言葉に心がざわつくのは、今現在、難問に遭遇しているか、水子供養の事が気になって いらっしゃるのでしょう。
本来、「占い」「祈祷」や「予言」また、最近流行の「スピリチュアル」等の様々な情報がございます。 どれも、目には見えない世界や心の問題を定義され、宗教と掛け合わせて一括りにされがちです。 しかし、仏教とそれらはまず別物です。区別して考えてみましょう。

水子様であれ、観音様であれ、すべては、仏様です。仏様とは、人間には到底及ぶことのない、計り知れない お慈悲を以って、我々俗物の人間をお守り導いて下さいます。その仏様である、水子様が、バチを与える、人を おとしいれようとする、はたまた、災いをもたらす等、するはずはありません。仏様は、阿弥陀浄土で、人間の 持ち合わせるすべての煩悩を払い落とし、苦のない清らかな御霊となっておられます。ですから、災いが起こる なんて言葉じたい、いかにも俗的人間の言葉そのものです。御心配なさりませぬように。

ただし、御自身が仏様を御供養する気持ちだけはお忘れになりませぬようお願い致したいです。水子様は、 一般の仏様とは若干背景が違い、時として、年回などせず、お位牌を作らないケースもございます。(私にも、 家内が三度の流産をしておりますので、水子様供養を致しておりますが、お位牌や、年回等は致しておらず、 毎日の朝のお勤め(本堂読経)を致しております。)
また、水子様とのご縁は、特に女性にとっては、悲しみ、苦しみ様々な思いがあったことでしょう。 しかし、逆に水子様の短い命を以って教え、学ばされたことがあったはずです。そこに気づかされる事が、 水子様との本当のご縁の意味です。そして、感謝を以って御供養して下さい。
お位牌などの形や場所に とらわれず、いつでも手を合わせ、南無阿弥陀仏とお念仏することで、御自身も救われます。   

最後に、人生は、苦難なくして人生とはいえません。人間である以上、自身で乗り越えるために、 常に苦難というご縁は与えられるものなのです。

過日頃、仏壇には何をお供えしなければいけないでしょうか。必ずしないといけないもの、
してはいけないものはありますか。
お供え物はそもそも施しで、お布施なのです。仏様や御先祖様に守り導かれている日々の感謝を捧げて いるのです。ですから、一番大切なのは、感謝する心です。その心が、何か仏様にして上げられることはないか自分に問いかけ、その行為が、お供えするということに辿り着きます。

 『基本のお供え物』・・花、果物、菓子、ご飯、水、お茶

お花、果物・・本来、野に咲く花や果物を愛(め)で、
その季節の到来に感謝し、それらに出会えた喜びで、
お供え致します。

菓 子   ・・昔は、砂糖は薬とされ、高価な物でした。
無病息災の願いを込め、お供え致します。

ご 飯   ・・貴重なお米を収穫できた感謝と食す喜びに、我々が口にする前に、
炊き立てを供えます。
仏様にお供えするご飯は、御飯(おっぱん)と言います。仏飯(ぶっぱん)、
御仏飯(おぶっぱん)ともいいます。

では、だからと言って、毎日花摘みに明け暮れ、果物を収穫して回るわけもいかず、かといって、自家栽培もままならず、やはり買うのみであります。
それには、買いに行く足、時間、お金が掛かり、出来ない諸事情があれば、無作法なのかとなります。 いえいえ、行き着くところは、形ではなく心です。
たとえ、物がなくともあるが如く、気持ちを供えるが一番です。 仏壇を綺麗にし、お茶と水だけは出来るだけ毎日供え、感謝の念で、南無阿弥陀仏とお念仏致しましょう。 時に供える物に出会えば、感謝を以ってお供えしましょう。

あえて、供えてはいけない物と言えば、腐った物、匂いのきつい物は勿論の事、 人を傷つけるイメージに繋がる、トゲのある花は避けます。 しかし、ケースバイケースで、時として故人様の好きなお刺身を供えたり、御家族で育てた 薔薇の花を供えたり、家々での思いは様々で、故人様や仏様を思う心ですべて善とされます。

私は母が亡くなり、急にお寺ごとに携わるようになりました。今思えば、母の生きているうちに、あれこれ聞いておけばよかったものの、右も左も分からず、恐らく、仏様にも、お寺さんにも、ご無礼をしているのではと思って気がかりです。何か、基本的な知識を得るにはどうすればよいのでしょうか。
いつも、私はお話致しておりますが、形や知識ではなく、真の仏心が一番大切と思っております。 だから、今のあなたが仏様へご心配する心が、信心となるのです。
そして、お仏壇の前で、またはお寺に足を運んで、手を合わせて、南無阿弥陀仏とお念仏することが最も仏様が喜ばれることなのです。 また時に、ご親戚や知人から仏事のことを教えて頂く場合もおありでしょうが、地域やご家庭で、若干習慣が違いますので、混乱することが多々おありかと思います。そんな場合は、ご遠慮なくお寺までお電話下さい。

昨年より、泉福寺オリジナル新聞「いずみ」を創刊するようになり、些細な事柄でも、疑問質問がなされるようになりました。また、年間行事のご案内に、ちょっとしたエピソードや、情報を掲載致しておりますので、それらを積み重ねていきますと、かなりの仏事ごとの情報が収集できるかと思います。また、そうして頂けることが、「いずみ」の意義と考えております。

余談ですが、こちらのご紹介の檀家様御一家は、葬儀前に、親族控え室で喪服の背広に着替えながら、喪主としての挨拶を何度も読み返し、緊張しておられました。また、ご次男は、お寺へのお布施を渡す際の小さな角盆を奥さんから渡されて、「これに必ずのせて、渡して下さいね。」と念をおされたものですから、それが気になって仕方がありませんでした。
しばらくすると、葬祭スタッフから記念撮影を致しますと呼ばれて、写真を撮ったはよいのですが、後日、出来上った写真は、大きな体のご長男は、小さな体のご次男の背広を着て、袖からワイシャツが覗き、ご次男はお兄様のものを着ているものだから、袖は袴のように長く、おまけに角盆をポケットにしまい込んで、胸元が不自然に膨らんでいる、という写真になりました。
このことを四十九日の法要の際にお話があり、親族で大笑いをされましたが、この笑い顔こそ、故人様への何よりのお供えであり、ご供養です。

故人様は安心されてお浄土へ旅立たれたと思いますし、残されたご遺族へのお慰めとなります。本当に有り難いお話を頂戴致しました。

和尚さんも鐘崎の生活が長くなられましたが、もう住職になって経験も積んだので、何でも出来るようになったでしょ?
今年でちょうど50歳になり、鐘崎に参りまして早いもので、23年が過ぎました。 おっしゃるとおり僧侶になってからの時間は、京都より鐘崎での生活の方が長くなりました。
それでも本山法要や大法要での法要所作(作法)は、まだまだ勉強しないといけないことは多くございます。

また、覚えているお経でも、これでもか、これでもかと考えさせられる奥深さがあり、一生修行と痛感し、毎日一生懸命にご供養させて頂いております。 ただ、所作や経典などは、すでに開祖法然上人や歴代高僧により確立されたものですので、基本の精神をいかに自分で探求するかにかかっております。

しかし、ただ一つ自分自身で考え、結果を残さないといけないことがございます。それは御戒名授与(御戒名付け)でございます。
故人様が初めて仏様になられ、御戒名をもってお浄土に旅立たれるにあたり、この愚僧が自らの手でたった数文字の中に、故人様の生き様や願い、思いを込め、それを仏様に託さねばなりません。もうすでに数百もの御戒名を授けさせて頂いておりますが、数をこなせばこなすほど、難しさを覚えます。

それは、自分もだいぶ年を重ね、人生の中で多くの経験をさせて頂き、昔は見えてこなかったことが見えるようになったり、感じられるようになった部分があるのではないかと思っております。
それ故、余計に故人様の願いやご家族への思いが重なり厚く込みあげてくる何かを一生懸命御戒名に表そうと致します。高野住職

この泉福寺の住職になり、私で25世(25代目)になりますが、脈々と受け継がれている「み教え」を私の代で乱すことのないように、歴代住職や未来の住職に恥じないように、命削る思いで、御戒名を授けさせて頂いております

歴代住職の思いの結集である御戒名を改めて見て下さるとまた違った思いで、ご先祖様のご供養が出来るのではないでしょうか。

法事は「本堂」と「自宅」とどちらが供養になりますか?
 彼岸どちらでもかまいません。本来は、自宅でお参りをし、納骨堂もしくはお墓にお参りするのが一般的です。

しかし、住居スペースが限られていたり、体力的に家での接待が不自由な方や、ご親戚の交通の便などを考慮し、鐘崎を出られた方の多くは本堂を利用されることが多いようです。

逆に鐘崎の方は自宅で法要を営まれる方が多いのも事実です。 どちらにせよ、供養したいと思う気持ちが大切で、どの場所、どの時間でも脈々と受け継がれている祖先からの「み霊」をねぎらい、あの世の安穏を願う心が最もご供養に繋がります。

本堂の法事では、何か特別なものが必要ですか?
本尊自宅の法要と変わりません。本堂のお供え物(一般的に、お花、果物、お菓子、故人様の好物など)をお供え頂きます。
お位牌は、卒塔婆をお供え致しますので、あえてお持ち頂かなくても結構です。 最近では、故人様の遺影のお写真をお持ち頂く檀家様が増えてまいりましたが、ご自由にご家族でお持ちより下さい。

本堂のすべての法要が、いす形式に移行しておりますが、それでも、一度は焼香に立たねばならず、介添えが必要に思う方や、いささか心配されておられる方が居られましたら、前もってお申し付け下されば、まわし焼香と申しまして、香炉を皆様のお手元にお持ちすることも出来ます。

本堂は、皆様の仏心を見い出す事の出来る唯一の安らぎの場所です。どうぞ年回法要のみならず、いつでも心を自由に解き放つためにお参りして下さい。阿弥陀様が変わらぬ心でお待ち下さいます。

遠方にてお寺のことがあまり分からず、四十九日法要では、お餅を供えると聞きましたが、どうすればよいのでしょうか。
傘餅(四十九日餅)

    図A:傘餅(四十九日餅)
本来は、傘餅または、四十九日餅(図A)と申しまして、七つの餅を七段積み上げ、その上に傘が被っているというものです。五合を丸く平たい傘にし、もう五合は下の四十九個の小さい餅にし、故人が四十九日間最期の旅をされるお弁当と傘の役割を果たします。

法要終了後、大きな傘餅を図Bのように切り分け、図Cのように人型にして供えます。お帰りの際に参詣者皆様ですべてのお餅を分け持ち帰ります。

傘餅の切り方         図B:傘餅の切り方 切った傘餅の並べ方    図C:切った傘餅の並べ方(人型)

しかし、その後、各地方で風習としてさまざまな形で定着致しております。鐘崎の中だけでも、いくつかのパターンがあり、四十九個の丸餅に手型、足型の小判上の餅を加えるご家庭や、一升分の餅をつき、それ全部で人の形を現すご家庭や、手型、足型だけを備えるご家庭と様々です。

また、遠方よりご遺骨を納骨に見えられる檀家様ですと、略さざるを得ないケースもでて参ります。 しかし、形や有無でなく、仏様に施す心のゆとりと、故人様の四十九日法要の旅立ちの無事を願う心が最も大切です。



この頃になって、本堂にシャンデリアのような装飾が吊るされていますが、 あれは何ですか?

本堂の中央にございますものを、人天蓋(にんてんがい)と申します。それに似たものが、ご本尊(阿弥陀様)そばにございますが、それを仏天蓋(ぶってんがい)と申します。

天蓋とは見た目の通り「傘」天蓋のことです。仏教発祥地の古来インドの生活では、雨よけ日よけはもちろんのこと、その他、上から落ちてくるものから、僧侶の身を守るために傘が使われておりました。

現在でも、本山などの大法要などお坊さんがたくさん集まって行う法要では、お導師様(法要の主役のお坊さん)の頭上に、赤い大きな傘が差しかけられて行列致します。その傘がお寺内部のご本尊様(阿弥陀様)をお守りする意味の名残が天蓋として残っております。

 

本堂の中でも、住職がご本尊様を拝むところで一段高くなっているところを内陣(ないじん)、その手前を下陣(げじん)といって区別しています。たいていのお寺では、この内陣の天井に楕円形の傘が吊るしてあります。これが仏天蓋です。
ご本尊様をお守りする為の傘です。そして下陣に吊ってありますものが、人天蓋です。いずれも落ちて来るものから下のものを守るための意が起源意味ですが、実際には、建物の中ゆえ、物や風雨にさらされる心配はなく、本来の身を守る傘の意味から、人が災いや不運から守る仏様のお慈悲の象徴となっております。

また、内陣の仏天蓋両脇の柱のように細長いものを「幢幡 (どうばん) 」と申し、字のとおりこれは幡のことです、幡とは旗印の意で、ここにご本尊様がいらっしゃいますという印と同時に、智恵の幡のもと、あらゆる煩悩の魔の手を打ち破る、という象徴として掲げられています。それらほとんどが木製で金色をしておりますが、もとは布製できらびやかな飾りがありました。現在でも布製の幢幡をかけている寺院もあります。

更に何故、金色なのかは、金はこの世に存在する金属の中で変質しないで、いつまでもその輝きを持続する性質から、永遠に不滅で不変である「仏の教え」の象徴として金色を多用しているのです。

仏天蓋


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