2026年 春彼岸【臨時】泉輪

計り知れない力

 春の陽気に誘われて人々の足取りが軽くなるこの頃です。厚いダウンコートを脱ぎ、肩身が軽くなった体は活動のエネルギーを充電し始めております。そんな季節の便りを運んでくれるのがこの春のお彼岸です。
 そんな季節の中、今日はヴィクトール・エミール・フランクルという、精神科医の話をしたいと思います。フランクルの若かりし時代は第二次世界大戦真っただ中で、ユダヤ人であるフランクルはナチス軍による迫害を受け始めた時代に生きていたのです。そこでフランクルは、家族全員でアメリカへの亡命を申請しましたが、結果、自分だけが申請許可が下り、両親は却下されたのでした。自分だけが亡命すれば、両親は容赦なく強制収容所へ送られ殺されてしまうことは明白で、フランクルが悩みに悩んだのは当然のことです。
 そんなある日、ユダヤ人の礼拝施設がナチス軍により破壊される事件がありました。落胆した父親はその破壊された現場から一つの石を持ち帰ったのでした。その石をよく見ると、偶然にも経典が刻まれており、その文面は「両親を敬えば道は開かれる」と書いてあったのでした。フランクルはその文字に自分の運命を任せ、亡命をあきらめたのです。そして時代の流れに流されるまま、自分を含む家族全員が強制収容所へと送られてしまったのでした。
 強制収容所へ着くと、すぐさまガス室に送られるか、強制労働へ行くか、その選択を一人のドイツ指揮官が線引きをしていました。指を右に振れば強制労働、左に振ればガス室送り、体力があるか、年齢が若いか、その指揮官の指、たった数センチの動きで人生が振り分けられていたのです。
 そしてフランクルの順番が来ると、その指揮官は指を左へと小さく振ったのです。それ故、フランクルはガス室行きを意味する左へと歩んで行かざるを得ず、そのまま左に歩いていきました。そして指揮官の背中で自分が隠れると、あろうことか右へと歩みを変えたのでした。後にフランクルは、自分がなぜそうしたのか、なんの考えを巡らせたのか、機転を利かせたのでもなく、ただ体が勝手にそっちに動いていったと回顧を残しています。そしてそれが第一段階の命の振り分けとなり、生きる方向へと進むことが出来たのでした。
 その後も不思議なことがいくつか起こるのです。フランクルは強制収容所に送られた際、自分の着ていた服に二つの物を秘かに縫い込んでいました。一つは執筆活動をし、長きにわたる調査データーと原稿、そしてもう一つは、フランクルは登山を趣味としており、彼が活動していた登山クラブのバッジでした。しかしナチス軍に洋服もろともすべて取り上げられ、代わりにガス室で殺されたユダヤ人の古い洋服があてがわれたのです。長年苦労して書きあげた原稿を取り上げられたことは、自分の今までの人生を完全に否定されたようなものであり、死をも覚悟するほど絶望の淵に立ったと記録されております。
 そんな心中のフランクルではありましたが、与えられた古い洋服のポケットに何気に手を入れてみると、なんと旧約聖書の「コヘレトの言葉」という経典の一説が一枚だけ引きちぎられ丸まって入り込んでいたのです。その経典を広げて読み返してみると、「どのような状況下でも人生に意味を見出す」という思想が綴られていたのです。フランクルは、これを自分が読むことが出来たことにも大きな意味を持つ定めと思い、過酷な強制収容所での生活の中、生きる決意をし、絶望の淵から立ち直ったのでした。
 とは申しても食料はまともになく、過酷な重労働を課せられ、ぎゅうぎゅうに押し込められた施設での生活は常に病気が蔓延しておりました。
 ある時はチフスが蔓延し、病気になった患者を隔離する措置が取られました。その隔離施設に付き添いとしてフランクルが任命されました。付き添いの道中だけでも強制労働から免れることに安堵し、フランクルは喜んでその命令を受けましたが、実際に付き添いで同行した人は別の人でした。
 一時の休息すら得られなかった為、落胆するフランクルは、後に驚愕な事実を知ることになるのです。病気隔離で移送された患者は、翌日全員焼死体で発見されたのです。隔離するというのは真っ赤な嘘で、実はただ焼き殺しただけだったのです。ここでもフランクルは、命が死に向かうのではなく、命が長らえる結果となったのです。
 自分の運命はだれが決めているのか、どのようにして選別されているのか、フランクルは生と死が背中合わせの過酷な環境下だからこそ、生きる意味を考えさせられるようになったのです。
 しかしまたもや苦難がフランクルに襲いかかります。とうとう、フランクル自身もチフスにかかってしまったのです。時は第二次世界大戦の末期に移り、ナチス軍が周辺諸国に包囲され、いよいよアメリカ軍が制圧しようとしている時期でもありました。そして順次、強制収容所がアメリカ軍により閉鎖に追い込まれ、ユダヤ人が解放され始めたのです。ナチス軍は慌てて証拠隠滅を図るため、ユダヤ人を都合のいい収容所へ輸送し、難を逃れようと工作し始めたのでした。
 ところがフランクルはチフスにかかっていたため、その病気にかかっていたユダヤ人は全員その収容所に置き去りにされてしまいました。さすがにフランクルもこの時ばかりは死を受け入れる覚悟をしたそうです。
 しかしまたもや結果は、フランクルのいる強制収容所にアメリカ軍がすぐさまやってきて、無事に解放されることとなるのです。逆に、連れて行かれたユダヤ人は別の収容所でガス室へと送られていたのです。
 過酷な強制収容所での生活の中で、何のために生きているのか、また生きることに意味はあるのかを、フランクルは毎日考えていたのは当然です。ある人たちは希望を抱いては何度も裏切られ落胆する日々の中で、生きる意味を見失い、自ら命を絶つ人や免疫力が弱まって病気に感染し、亡くなった人も多くいました。
 しかし一方で、フランクルのように極限状態でも未来への希望を失わずに生き抜いた人たちもいました。こうした経験から、フランクルは「人間の生命力とは、身体よりもその人の内面の心のありように左右される」と考えるに至ったのです。
 その後戦争が終わり平和な社会が誕生しました。ドイツ人もユダヤ人も他の諸国の人種の人も混在する平和な世の中が生まれたのです。
 そして、フランクルの隣には、かつて強制収容所で働き、多くのユダヤ人虐殺に手を貸していた人もいました。その人は自分の過ちを受け止めており呵責の念に苦しみ続けていました。それを知ったフランクルは、大好きな山に誘い、大きな山、青い空、果てしなく続く大地を前に、この大自然を目の当たりにしたら人間一人はただのちっぽけな者だと語り、そして何より、戦争さえなければ共に手を携えて生きていたはずだと伝えたのでした。そう笑顔で語るフランクルの胸には、かつて没収され奪われてしまった登山クラブの真新しいバッジが襟元に付いていたのです。
 彼は亡くなるまで、人生は見えないものに導かれ、自分の意志ではあがなえない道を与えられる、その意味を一生涯のテーマとして考えています。人種でも宗教でも経済力でもない何かが人間を大きく取り囲み、その力は計り知れず働いているということをフランクルの人生そのものが裏付けをしてくれています。
 そして、人間とは「苦悩する存在」(ホモ・パティエンス)であるともいっています。創造的な活動の機会が奪われた強制収容所では、人は「理不順ながらも苦悩を引き受けさせられる」ことによって、結果的ではありますが「人間であり続けられた究極の境地」を得たのでした。
 極限状態にあっても、人は助け合い、励まし合いました。自分も餓死寸前であるにもかかわらず病人にパンを分け与えたアンネフランクは有名ですが、自分のお金でユダヤ人のために薬を買った強制収容所のドイツ人所長もいたそうです。それを見てきたフランクルだからこそ、『何のために生きるのか』『どう生きるか』を問い直すことができたのです。そして、苦悩は人生を無意味にするのではなく、むしろ苦悩こそが人生を意味あるものにすると主張しています。人生にはさまざまな困難がありますが、それでも懸命に生きようとするところに人生の意味が存在するのです。
 一見すると豊かになり安心安全だと思えるこの日本ですが、この頃起こる災害や事件、事故の原因に、『何のために生きるのか』『どう生きるか』を考えずに生きてしまっているしわ寄せがきているように思えてなりません。
 このお彼岸の機会に一度立ち止まり、ご先祖様を前にして足元を見つめ直してもよいのではないでしょうか。今一度真剣に、『何のために生きるのか』『どう生きるか』を自問し、その中にこそ、ご先祖様との語らいから生まれる有り難いお彼岸があるのだと思います。

合掌
輝空談

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