2026年 花まつり【臨時】泉輪

仏心を探す

 桜の便りは特急列車のように過ぎ去っていき、初夏の装いも一瞬で、既に夏の気配を感じる今日この頃です。今年も猛暑が続くのかと、ため息が出るのは私だけではないことでしょう。
 さて、憂いた気持ちは一度横に置いておきまして、本日は皆様の心を奈良の地に運んでいきたいと思います。今回私は、予てよりご案内差し上げておりました通り、講讃導師として京都の本山光明寺に上がらせて頂きます。その後、恥ずかしながら、ご同行下さる皆様より祝宴を催して下さる運びとなっておりまして、奈良へと移動する予定となっております。そして奈良観光と行程は進む段取りとなっているのでございます。
 奈良といえば奈良の大仏様です。講讃導師団体参拝旅行と致しましても、その奈良の大仏様を外すわけにはまいりません。滅多に行かない奈良の大仏様にお会いして存分に堪能してきたいと思います。
 が、しかし、本日の「いずみ」の内容はその奈良の大仏様ではないのでございます。奈良市内から車で一時間ほど足を延ばすと「宇治の平等院」で有名な宇治市へと進むことができます。その宇治市には黄檗宗の大本山、萬福寺がございます。萬福寺は禅宗のお寺様で、日本における三大禅宗を上げるならば、臨済宗、曹洞宗、とこの黄檗宗(おうばくしゅう)となるのです。 各宗派の共通点と致しまして、座禅を重んじる修行を行うという特徴があります。 全ての人は「心の中に仏が宿っている」とい精神を重んじており、坐禅の修行によって自分の心に向き合い、仏心を再発見することを目指すとされているのです。
 萬福寺の開祖は、インゲン豆を中国から日本にもたらして下さった隠元(インゲン)和尚です。隠元和尚はインゲン豆だけでなく、レンコンなどの食材に、お経に欠かせない木魚、寺院建築様式を日本にもたらすなど、現在の日本仏教に色濃く多くの影響を与えた和尚様なのです。
 その萬福寺に興味深い仏様がございます。先ほど申しましたように、禅宗では「心の中に仏が宿っている」という精神を見つめる修行をするので、それを体現する仏様があるのです。それは羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)の仏像です。
 羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)は出家前のお釈迦様の実子と言われており、「密行第一」と称されました。
お釈迦様は十六歳で結婚されましたが、なかなか子宝に恵まれず、二十七歳になったとき妻のヤショーダラ姫との間にようやく授かったのが一人息子の羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)でした。お釈迦様が出家した後も、父であるお釈迦様の元で他のお弟子様と共に学び、修行を重ね、密教秘学の第一人者と称されるまでとなったのでした。
 萬福寺にあるその羅怙羅尊者像(らごらそんじゃぞう)は写真を見てお分かりの通り、自身の姿で禅宗の心得を体現するがごとく、自分の胸を両手で大きく切り開いて、体の中にあるお釈迦様の顔を見せているという仏像なのであります。
 確かに禅宗の宗派の根底の考えで「心の中に仏が宿っている」と説いておられますが、その思いは果たして禅宗だけの考えなのでしょうか。
 私ども家族は、お寺で生活をさせて頂いておりますが、お参りの方が愚僧の私を見つけますと、胸に手を合わせ合掌してお話して下さることが多くあります。またご法事の席で家内がお茶を出すときでさえ、合掌しながら「ありがとうございます」「恐れ入ります」とお声掛け下さいます。
 私は生き仏でもないですし、高僧でもない、ましてや家内は僧侶でもないのに、合掌して下さるのです。それを目にするたびに、人の心の仏心を見させて頂いた気持になるのです。おそらく合掌されている檀家様は無意識のうちに手を合わせ下さっているのでしょう。その無意識の自然な行為がまさにその人の仏心だと痛感させられ、私どもも合掌でその方に礼を致します。
 本堂の阿弥陀様も仏様、納骨堂のお釈迦様も仏様、納骨堂でお祀りさせて頂いているご先祖様も仏様、そして手を合わせる皆様も心に仏を宿す仏様のお弟子様なのです。黄檗宗という宗派の違う仏様だけでなく、皆様の仏心をも事或るごとに再認識させて頂いております。
 令和八年度も始まり、更に精進を重ねながらこの一年を過ごしていきたいと存じます。皆々様も自身の仏心を探し、その心にお気づかされ、軽やかにお過ごし下さることを切に願い、今回の「いずみ」とさせて頂きます。

合掌
輝空談

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