この度の令和八年熊本地震により、お亡くなりになられた方々に、心よりお悔やみ申し上げますとともに、被災された皆様、ならびにそのご家族の皆様にも心よりお見舞い申し上げます。
被害に遭われた地域の方々のご無事をお祈り申し上げ、被災地の一日も早い復興、そして被災された皆様の生活が一日も早く平穏に復することを心よりお祈り申し上げます。
思う心
その音は突然鳴り出しました。家族の携帯が一斉に「地震です。直ちに安全な場所に避難してください!地震です。直ちに安全な場所に避難してください!」無機質な携帯から連続して知らせる声に追い立てられるような切迫感を感じたものの、ただ心のどこかで、どこの地域で地震が発生したのだろうか、と他人事のような感覚も持ちながら、本当に来るの?、と思った途端に、揺れに見舞われました。数十秒なのか、数分なのか時間の感覚が分からないまま、ひたすら揺れが治まるのを待ち続けました。そして本当に地震が来たんだと我に返った自分を覚えています。
東日本大震災に心痛み、前回の熊本地震に地震への備えを教訓にしたはずなのに、自分は、あっという間に喉元過ぎた危機感のない唐変木となっていたのです。
熊本の各地では、水道、電気のライフライン工事、鉄道、高速道路の交通整備、加えて人々に寄り添ったボランティア活動などが急ピッチで動き始めています。皆様お一人お一人の尽力に頭が下がるばかりです。
そんな苦難の中でも新しい命が誕生したとの報道がありました。電気が途絶え、水が遮断された環境でも医療に携わる医師、看護師、病院スタッフは懸命にお母さんと赤ちゃんの命を守り、新しい命をこの世へと送り出して下さったのです。その赤ちゃんは生まれた時の震災の重みと自分の命の奇跡を生涯、宝として思い続け、命の尊さを語り継いでくれることでしょう。
医療従事者は医療の技術を万全に用いて命を救う義務があることは理解していますが、時にこの震災のような自分の命が危険にさらされようとしていても、目の前の命と全力で戦う戦士のような気迫ある使命をも持ち合わせているのです。
その戦士感を紡ぐように、今まさにNHK朝ドラで看護医療のドラマが放映されています。まだ世の中に看護婦(看護師)という言葉もなく、職業として認知されていない時代のドラマです。そのドラマの中で救護員としての誇りと専門性を学び、看護の礎となる看護の本質的な価値をドラマ化したものです。
その役割に大いに働きかけてくれたのが、のちに日本赤十字社に改名する「博愛社」です。日本赤十字社の創立者(初代社長)は佐野常民という方です。佐野は大阪の「適塾」の緒方洪庵から医術を学び、「医は仁術なり」(身分に関係なく患者は平等に診るのだ)と教えられました。
その後、一八六七(慶応三)年、佐賀藩士としてパリ万博の派遣団に加わりパリに渡りました。その現地で見た赤十字の展示物の中で、「敵味方の区別なく、救う」という赤十字精神に佐野は感動しました。人道精神が世界共通である事を佐野が実感した瞬間でした。
「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、ただの人間である。人間同士、その尊い生命は救われなければならない」というこの言葉の深い意味を佐野は痛感し日本での活動を模索し始めたのです。
後に日本では、西南戦争が起こりました。明治政府軍と薩摩軍の激しい戦闘が繰り広げられ、両軍ともに多数の死傷者を出しました。この悲惨な状況に対し、佐野は、救護団体による戦争、紛争時の傷病兵の救護の必要性の急務を痛感し、ヨーロッパにある赤十字と同様の救護団体をやはり作らねばと翻弄します。
そして、博愛社設立活動を許可されるやいなや、博愛社の救護員を直ちに現地に急行させ、官薩両軍の傷病者の救護に当たりました。明治一九年に日本政府がジュネーブ条約に加入すると、博愛社は翌明治二十年に日本赤十字社と改称し、現在に至ります。当然、今回の熊本地震でも日本赤十字社は支援活動をされています。医療だけにとどまらず、支援物資の搬送や支援施設の運営、さまざまな取り組みを通して被災された方のお力になっているのです。
これは、尊い使命の赤十字社の活動ですが、被災現地に行くことはかなわなくても皆様にもできることがあります。最もシンプルなのが出来る範囲での義援金が有効な手段です。ただし、決して義援金だけが支援の全てではありません。被災されたその方に直接お会いすることは出来ませんが、手を合わせ、復興を祈ることはできます。祈りは見えない力でとりとめのない行為と思われるかもしれません。しかしその見えないものの中にこそ救いがあるのです。被災された方の救い、そして祈るあなたも救われるのです。
秋のお彼岸が参ります。その被災された方への携える心をもってご先祖様のお参りをされて下さい。そして生きていることの感謝をお感じ下さい。通ずる何かがあると思います。そして、その何かを探し続けてみて下さい。合掌