輝空のちょっと一言

一枚の報道写真がある。青い法衣を着た僧が季節外れの雪が舞う中、がれきの中で合掌している。
寒さからか、手と顔がピンク色に染まる。

東日本大震災で津波に加えて大規模火災に遭った岩手県山田町。
2011年4月4日、がれきに向かって拝む石雲禅寺副住職、小原宗鑑(35)を朝日新聞カメラマンが撮り、海外にも発信した。
その姿は、被災に圧倒されて無言で歩いた前日とは一変して力強い。

前夜に住職から電話で言われたように、右手に鈴を持って托鉢と同じように歩いた。
ただ、左手には鉢がない。
合掌するように胸の前で立てながら「舎利礼文」を唱えた。

釈迦の遺骨を礼拝する経文で、被災を免れた住民の住む家にはあえて行かず、ひたすらがれきだけを拝み続けた。
すべての命のため、と考えると、見逃していた被災も見えてきた。

飼い主と一緒に逃げられなかったのか、首輪をつけた犬が死んでいた。
死後の腐敗でふくらんだ牛の乳を、カラスがつつく・・・・・・。
一方、がれきを拝む小原に向け、片付けの手を止めて合掌している人たちもいた。

それから2週間かけ、隣の岩手県宮古市から宮城県石巻市まで三陸海岸の被災地を歩いた。
途中から石雲禅寺の尼僧らも合流した。

頼まれて遺体を拝むこともあった。
体育館に安置された遺体は腕だけや、こげた足だけなどで、どれもビニール袋に包まれていた。
すべての遺体を拝んで外に出ると、子供らがボールを蹴って歓声をあげていた。
壁一枚で隔たれた生と死の落差を考えた。
火葬が追いつかずに土葬された遺体も拝んだ。

被災地で学んだのは「何も出来ないこと」だった。
ボランティアや社会活動も大切な役割だが、僧侶としては、何も意味の無いことをあえてやるのも修行だと信じる。

石雲禅寺の玄関に腕のとれた観音様が飾られている。
石巻市のがれきの中から見つかった木像で、窮乏した被災の教訓「足るを知る」から「知足観音」と名付けた。
足元には別の報道パネルがある。

山田町の漁港で海に向かって合掌する小原の後ろ姿だった。
すべての命に謝る、と決めた翌朝で、伸びた背筋から心境がうかがえる。
「私の原点で、おごり高ぶらないよう、これを見て戒めにしています」
(山浦正敬)

上記文章は今年9月26日の朝日新聞掲載の記事でございます。私はこの記事を切り抜きその文章を、毎朝の本堂でのお勤めの際、読経後必ず読んでおります。
最後に綴った僧侶の言葉、「私の原点でおごり高ぶらないよう、これ(被災地のがれきの中から見つかった木像)を見て戒めにしています」とつづられています。

私事ですか、来年六十歳の還暦を迎えます。人生の一区切りになるその年を前に、自分の生き様、過去の過ち、数々の失敗を回顧しながら、それでも今生かされていることの意味を模索しております。

家庭を持ち3人の子宝に恵まれ、人並みのことは出来てきたのでしょうが、それでも己の欲や卑屈さが、誤った判断や行動をもたらせてしまったことは、今まで一度や二度ではございません。
しかし、その度に、家族が自分の支えとなり、見返りを求めない慈悲の愛をもって導きとり、苦難を共に乗り越え、今の自分へと育ててくれたものと思っております。
平成の最後の年が終わる今、私自身が還暦を迎えようとする今、子供たちが新たな世界に飛び立とうとする今、全てのご縁に感謝いたし、この一年を締めくくりたいと存じます。

    

輝空

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