令和5年 秋彼岸【臨時】お寺豆知識

瞑想(めいそう)

 瞑想は、日常のざわついた心を静めるために、目を閉じて呼吸を整えることにより自分を見つめ直す行為をいいます。その起源は数千年前のインドにさかのぼり、悟りを開くための修行として行われていたようです。当然ながらお釈迦様も瞑想をして、悟りを得ようとしていたことはご承知のことと存じます。日本にも仏教が伝来したことで瞑想の行為が広がるようになりました。仏教では瞑想=座禅となるでしょう。
 我が宗派の西山浄土宗では座禅を致しません。座禅に趣をおいた宗派と致しましては、禅宗系が多いのではないでしょうか。禅では、「調身、調息、調心(姿勢が整えば呼吸が整い、呼吸が整えば心が整う)」とされ、人間の心が多層的な構造を持っていると考え、意識を深層段階へと到達させることを目的とした修行が確立したとのことです。
 今日では瞑想の捉え方も多岐に渡っており、心を静めて神仏に祈る宗教的な行為を指すだけではありません。目を閉じて呼吸を整える健康回復を目的とした行為など、目的によっても様々な捉え方や方法があるようです。
 人が生活している1日の活動を見てみますと、仕事や学校、家庭、地域など、四六時中頭を使って思考したり、身体を動かすなど、常に身心が緊張する状態が続きます。その緊張感を解きほぐす目的で、瞑想を取り入れる効能を推奨している方もおられます。瞑想により日中の思考し過ぎている頭を休ませ、ストレスを感じるような思考が減るとのことです。その状況を表すように、脳波にも変化が表れるとのことです。通常物事を考えたり、様々な感情が動いたりする日中には、脳内にベータ波という脳波が流れています。しかし、瞑想を行うと思考の数が減っていき、身心もリラックスしはじめるので、脳波もベータ波からアルファ波に変わる脳内の仕組みが整うようです。
 話が変わりますが、先日甲子園、夏の大会で優勝した神奈川の慶応高校の選手が、試合に行き詰まったり、流れが悪い時、マウンドに選手が集まり、全員で空を見上げることを常にしているとニュースで見ました。これも勝利という一点を見つめる心のストレスを、大空を見上げることで緊張を解きほぐしているのかと、私なりに理解させて頂きました。瞑想とまではいかなくても、無駄な力を抜き、肩を軽くするリラックスは瞑想に似ている要素を感じます。また、決勝で敗れた仙台育英高校の監督の「人生は敗者復活戦」という言葉の力にも感銘を受けました。悔しさのエネルギーの矛先を次のステージにプラスとして持っていく智慧を感じました。瞑想であれ言葉や考えの智慧であれ、どこにでも、いつの時でも、教えってあるのだなと、この夏に感じたものでございました。

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