昔は稚児だったおっさん化した泉福寺の面々

題して、あんなことがあったな・・・涙

長男弘円(25歳)
 初節句の際は、京都の祖父母、八幡の祖父母(現お寺の宣子ばあちゃん)が気合を入れて初節句の用意をしました。兜に、こいのぼり、のぼり旗、大いに祝ってもらい、記念写真も額に入れて飾られていました。長男あるあるの有様です。我が家の長男はこんな風にして持ち上げられて育てられたので、その分、不器用極まりなく、且つ、少し成長が変です。
 ある母の日に弘円は自分のお小遣いでプレゼントを用意していました。その初めての母の日のプレゼントは、何と「瓶ビール」でした。しかも、おそらくラッピングを頼んだつもりで「紙を付けてください」と店員さんに頼んだのでしょうが、持ち帰った品物には、紅白の「のし紙」が巻かれていました。
 それから数十年、勤務先保育園ではマスク着用を義務づけられていることを良いことに、マスクの下の髭はボウボウで、夕食では晩酌を覚えて、一人乾杯が毎晩のあり様です。
 完全なるおっさんです。あの頃のあどけなさが懐かしいものです。
 それと、ご報告があります。過日お話し致しました、七條(葬儀の衣装)の着用時間が15分まで短縮して出来るようになりました。1時間要していたものが15分で出来るようになった快挙を皆さん喜んでください。

三男萬斎(19歳)
 節句の用意は既に長男に用意されているため、萬斎のために用意したものは何一つありません。それどころか、何かのお祝いイベントをした記憶がありません。写真もほとんど残っていません。いや、そもそも撮っていないのです。常に以下同文です。
 洋服は必ず弘円、眞之介と書かれていて、その消えかかった文字の上に、太いマジックで萬斎と書き加え、靴下が片方無くなっても、似たような色の靴下を左右違いに履かせ、すべてにおいて適当でした。そのほったらかしが功を奏したのか、猿真似のように観察力だけは強く育ったようです。
 リボン結びも人の様子を見て覚え、自分一人でできるようになり、自転車も誰にも教えてもらうことなく勝手に乗っていました。それに反して、長男のリボン結びは1ヶ月練習し、自転車は2ヶ月の時間を要しました。
 ただし、悪知恵も優れていたのが三男です。本堂のお供え物を友人らと盗み食いし、怒鳴られたことも数々。本堂での読経の際は、見た目はきちんとしたお供え物ですが、実際は空箱だけが供えられていた状態も数知れずあったのでございます。もし、今日の和尚さん、なんかお経が丁寧やったね、と、お感じになられる檀家様が過去におられましたら、もしかしたら、萬斎たち悪そうがお供え物を食べ尽くしていたせいだったのかもしれません。こんな萬斎で申し訳ありません。

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