本山随身 長男弘円 徒然記

四月の恒例行事の入学シーズンでございます。我が家でも三男が中学入学を致し、さぞや忙しいかと思われるかもしれませんが、制服はお下がり、あれもお下がり、これもお下がり、何だかあまりに適当感が溢れていたので大丈夫かと案ずるものの、いまだ平穏に過ごしているので、三男に限っては大丈夫なのでしょう。

さて、三男が三男たるゆえに親が適当なこともさることながら、我が家では三男に目がいかないほどのもう一つ大きな出来事が勃発していたのでございます。それは、長男弘円の総本山光明寺への入山でございます。過日の越年12月号いずみに認めましたが、高校卒業し本山随身(住み込み修行)生活をしながら、学問にいそしむ生活を3月のシーズンに順調にスタートするものと思い描いておりました。そしてその前に春休みを利用し、自動車運転免許を取得し、運転免許証を携えて本山に向かう長男を涙ながらに見送ると、誰もが想像していたのでございます。

ところが、その長男が、あろうことか自動車運転試験場での最終本試験に、落ちて、落ちて、落ちまくるのです。それもそのはず、テキストの本は、折皺が全くできていない新品同様の原形を保ったままなのです。そう、長男は一切の勉強をせず、適当に山カンなのか、第六感なのか、何だか知らない自信で適当に試験に臨んでいたのです。さすがに頭にきた母親は烈火のごとくしばき上げ、本人もさすがに本を見て、勉強し始めましたが、時すでに遅し。免許証取得に至らぬまま本山入山を申し出ていた3月25日を迎えてしまったのです。本山の全職員の皆様に事情を話し、首の骨が折れるほど頭を下げて免許取得まで猶予を頂戴致し、一度荷物をときに向かった本山を後にし、連れ帰ったのでございます。

思い起こせば、そうなることは、八百万(やおよろず)の神仏が見定めていたのかもしれません。3月末と言えば、年度末を迎え、入進学、転勤転居で人が一番動く季節であります。それに加え、桜の花見の行楽シーズンと重なり、とにかく京都行の手配が困難な時期だったのです。それで早めの1月から動き、手配を始めていたのです。その際に担当者から、長男の手配は、京都本山までの片道の新幹線切符と、宿泊費という単発の単純合計金額となり、私どもの場合は、往復の新幹線にパック宿泊費という手ごろなパックものだったのです。その両方を比較した際、どういう訳かさほど金額の差はなく、そこで旅行者の方の勧めもあり、全員分を往復パックで申し込んだのです。当然そうなると、帰りは長男分の席が空席になり、その空席を目にするだけで家内なんかは、きっと涙するのではないかと想像し、自分も物悲しさ漂う面持ちになっていたのです。

ところがあろうことか、その空席になるはずの席に長男が堂々と座って一緒に帰ってきたものですから、もう家内の怒りは尋常ではなく、新幹線に搭乗者が居なければ、取っ組み合いになっていたのは避けられなかった事でしょう。その時の様子を思い返すだけで背筋が凍る思いでございます。

家内の逆鱗に触れた長男も、遅らばせながら、その後免許取得となり、これ以上緊迫した家庭環境を継続する精神に限界をきたしておりました私は、免許取得の翌日早朝に赤間駅より長男を本山へと向かわせたのでございます。見送りに涙はつきものですが、我が家に限り、本当にやれやれとため息交じりに、肩の荷を下ろした心境でございました。

かくして、遅れること四日過ぎではございましたが、本山入山致し、その後の四月三日の入学式も終え、無事に修行随身の生活となったのでございます。

皆様には、本当にご心配をおかけ致しました。本人に成り代わりお詫び申し上げます。

合掌

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