令和4年春彼岸【臨時】豆知識

お寺豆知識 涅槃会(ねはんえ)と涅槃図(ねはんず)

 仏教各宗派のお寺では毎年2月15日に涅槃会(ねはんえ)という法要のお勤めを致します。お釈迦さまが入滅された二月十五日に勤める追悼法要です。お釈迦さまのお誕生を祝う花まつり(灌仏会=かんぶつえ、)や、悟りを開かれたことを記念する成道会(じょうどうえ)と並んで、お釈迦さま仏教三大法要の一つに数えられます。

 「涅槃(ねはん)」とは悟りの境地に達し、一切の苦しみが無くなった状態を意味します。
お釈迦さまがこの世での命を終えたこと(入滅=死亡)により、身体的な苦から脱し、完全な「涅槃」に至ったとすることから、お釈迦さまの入滅を「涅槃」と称しています。
 涅槃会は、飛鳥時代に奈良の興福寺で始まったと言われています。また涅槃会では、その入滅の様子を図案化した涅槃図という掛け軸を飾ります。その掛け軸の絵図には様々なドラマが描かれており、特徴的な代表をご説明いたします。

≪その1・満月≫
 お釈迦さまの入滅の日は正確には分かってはおりませんが、満月の日であったという記述に基づき、中国の暦により2月15日と定め、十五夜の美しい満月が描かれております。

≪その2・右上の雲上の一行≫
 最も重要とされ大きく描かれているのは、お釈迦さまの生母・摩耶(マヤ)夫人です。天女たちに付き添われ、お釈迦さまの弟子の阿那律尊者(アヌルッダ)に先導してもらい、命尽きろうとする息子のもとへ向かっているところです。顔を覆い悲しむ姿は、いつの世も母親は子供を案じる姿に、不変の愛を感じます。

≪その3・8本の沙羅双樹≫
 お亡くなりになられたお釈迦さまを囲んでいるのは沙羅双樹という木です。左側の1本の木に、赤い布に包まれたものが描かれておりますが、お釈迦さまの托鉢の器です。
 この沙羅双樹のうち、右4本は白く枯れ、入滅の悲しみを、左4本は青々と葉を広げ、お釈迦さまの教えの不滅を表現しています。
 また、生と死の表裏一体性は逃れることのできない命の輪廻も表しております。更に別の見方として、8本の沙羅双樹はお釈迦さまが説かれた八正道の教えの象徴とも言われております。八正道とは、物事の道理を正しく見る「正見」、物事を正しく考る「正思」、うその無い正しい言葉「正語」、邪念のない正しい行い「正業」、規則正しい生活「正命」、正しい努力をする「正精進」、正しい信念・正しい目標をもつ「正念」、迷いを離れた安らかな境地・安定「正定」を意味します。
 これらは人間の八つの正しい生き方のことを表しております。

≪その4・弟子たちの嘆き≫
 宝台下中央で失神しているのか、寝ているのかと思われがちですが、実は嘆き悲しんでおり、この僧侶はお釈迦さまの側近の阿難尊者(アーナンダ)です。釈迦十大弟子のひとりであり出家後、釈尊の侍者として25年間の長きにわたり釈尊のそばでお仕えしたといわれております。
 また釈尊から最も多くの教えを聴き、加えてよく記憶していたことから、多聞第一と称されておりました。一説では絶世の美男子だったともいわれております。
 もう一人、「これから涅槃に入る」と釈尊に言われ、止めなかったことを激しく後悔していると言われているのが、お釈迦さまの足をさすっている姿で描かれ、すでに120歳であったという須跋陀羅(スバッダラ)です。お釈迦さまの45年にわたる布教教化活動の偉業を労らっています。

≪その5・動物たちも集合≫
 下の方には多くの動物が描かれ、中には象など当時日本では見ることができなかった動物や、想像上の生き物の姿もあります。
 この涅槃図に限らず、屏風や襖絵などに仏教画として動物が描かれていることが多々ございますが、実際に絵師はその動物を見たことがなく、口伝の口説明で聞いて描いたものもあるため、実際の姿とは、かなりかけ離れているものが多くあります。今回の涅槃図の動物たちは食物連鎖の理の中では、食うか食われるかと命のおきてを強いられ、普段は互いに争いあう動物関係でありますが、この時ばかりは揃ってお釈迦さまの入滅を悲しんでいるのです。

 ●上記のこの涅槃図の説明は、ほんの一部で、数限りないお話がまだたくさん隠されております。しかも、今も仏教家の中では、未だその謎を解き明かすべく研究がなされているのです。レオナルド・ダヴィンチの名作「最後の晩餐」と並び、絵画の謎を解き明かすことは、今でも人々の関心を集めているのでございます。

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