令和5年 盆【臨時】質問コーナー

=質問=
法事は、なぜするのですか?  法事をしないと罰が当たるのですか?

=回答=
 単刀直入に申します。仏様やご先祖様は決して罰をお与えになることはございません。
 そもそも、法事をする行為を追善供養(ついぜんくよう)と申します。追善供養とは、この世の人がお亡くなりになられた故人様やご先祖様の安穏を願い、ご供養することを意味します。故人様のために安穏を願う善行で、故人様がより良いお浄土の世界に行って頂けるように、この世の私たちがお念仏のお力をお借りして、功徳を注ぐことなのです。そして皆様のその善行は、いつしか自分自身、もしくは子や孫に巡り巡って還ってくると説かれております。つまり、追善供養はあの世の故人様と、この世の私たちとの間を行き来する善行(功徳)の回し向けなのでございます。
 ですから、ご法事をされないとなりますと、その善行の功徳が途絶えてしまうのですから、あの世からのお導きのご縁が薄くなり、仏様のお力にお頼りすることが、はばかられるのかもしれません。と申しましても、仏様やご先祖様はそっぽを向いて、何も話を聞いてくれないなんてことはないのです。ただし、自分が法事をしなかった、追善供養をしなかったことを自分自身が知っているのです。その法事をしなかったことを知っている自分の心が、ただただ重く感じるのです。その心の重さが、気の毒だと思えてなりません。
 確かに、仏様のそのお力は科学では証明できません。でも見えなくても、何も感じなくても誰もが信じているからこそ、あなたは仏様に手を合わせるのです。
 そしてご法事の度に、脈々と受け継がれていた自分の血脈は、途方もないご先祖様の出会いがあったからと感じてなりません。長い歴史が刻まれた私の体と心、そして同じく長い歴史と出会いで受け継がれてきた私共の西山浄土宗、その双方が体現する唯一のご法事の機会を逃すのは勿体ないことだと、私は思っております。どうぞ滅多にない法事という仏縁に感謝し、あなたの心に安らぎを得るためにも、「気の毒」をはらい「気の薬」を得るご法事を大切に、心を込めて営まれて下さい。

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