随身を終えて

 本山にて弘円が紀行文を書く機会を頂戴致し、僭越ではございますが掲載をさせて頂きます。また、併せて卒論の一部も掲載させて頂きます。もし良ければお読み下さい

 早いもので、四年間の随身生活を終えることとなりました。
 同期の仏教科の随身生の下山をちょっと、うらやむような気持ちで見送り、保育科の再入学を志したのが、もう二年前になるのです。仏教科の学生としての随身生活も大変でしたが、保育科での随身生活は想像以上に努力を要するもので、日々の課題レポート、実習、ピアノ、どれをとっても、何をしても、上手くいくものは、何一つありませんでした。
 しかし、有難いことに、保育科の仲間の励ましは、苦難を乗り越える助けとなり、大きな支えになりました。西山短期大学の先生方は、戸惑う自分に歩み寄って下さり、丁寧に最後までお付き合い頂き、ご指導して下さいました。皆様方お一人お一人のお力をお借りして、今日まで修行を続けさせて頂き、無事に仏教科に加え、この度、保育科も卒業することが出来ました。どなた様にも感謝しかありません。
 振り返りますと、自分は生まれた瞬間からお寺の跡取りとしての定めがあり、逆らうことなく法然上人のお弟子になる道を受け入れてきました。そんな中、僧侶以外の小さな夢が芽生え保育士になりたいと自覚したのでした。
 そして同時に、不安と悩みが生じました。僧侶の仏門をくぐったばかりで、何も到達していない身でありながら、保育の世界との二足のわらじは厚かましい程に無謀に思えたからです。
 しかし、保育科で学ぶ中、自分が知り得なかった色々な境遇の子供がいる事、子育てに多方面の様々な悩みを抱えている保護者がいることを知り、僧侶だから出来る保育があるのではないか、逆に保育を学んだ自分だから出来る宗教活動があるのではないかと、考え始めました。
 また、その課題に取り組むためにお寺の子として生まれ、保育士になる道を選ぶよう定められているのではないかとも考えました。確かに未熟者でまだ何も出来てはおりませんが、折角頂いた保育と仏教の学びを自分なりに模索して、これからも邁進していきたいと思います。
 そして最後になりますが、こんな能力の低い自分ですが、実習に行かせて頂いた保育園の園児は、「ヒロマル先生!」と、今でも自分のことを覚えていてくれていると知りました。その話に物凄く感激しましたが、その保育園には、何も恩返しは出来ていません。その代わり、その恩返しは、これから入社する保育園で、少しでも役に立つように精進することだと改めて決意した次第でございます。
 今までご指導頂いた多くの皆様の御心と実習先で出会った園児の笑顔を胸に、ここ総本山光明寺を下山致します。
 皆様、四年間も長きに亘り本当にお世話になりました。
 ありがとうございました。
髙野 弘円

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