令和4年 秋彼岸【臨時】泉輪

月の中に慈悲

 やっと秋の兆しを感じるようになりました。夏の極暑が厳しかった分、ふと感じる秋冷に心底の安堵を感じます。長男が勤める保育園でも、クラス製作にお月見を題材に作るなど、それぞれの生活に秋が織り込まれるようになりました。秋はまことに大歓迎な季節です。
 そしてその秋の月が、これまたきれいですね。夏の暑苦しさでは、月を愛でる気分にもなれない心理的なものもありますが、理化学的にみても実際に秋の月は美しいようです。秋は空気が比較的乾いていて、空気中の水蒸気量が少ないので、きれいに見える条件がそろっているとのことです。夏のように蒸し蒸ししていると、水蒸気が多いため大気がぼやけたりしますが、秋の乾いた空気により、くっきりとした月が見える現象になります。
 また、月の高さの関係もあります。実は月が見える高さは季節によって異なります。冬の月は高いところにあり、夏の月は割と低い位置にあります。月が低い位置にある場合、建物や生活の明かりなどに邪魔されて、きれいにみることができません。
 加えて、大気によって減光現象ということが起こり、それにより光が吸収され、低い月はどうしても暗くなってしまいます。
 ならば、冬の高い位置の月はどうでしょうか。確かに色々な影響は少なく、くっきりとした月にはなるのですが、「見る」という行為からすると、高い位置にある月は見上げる体勢が結構大変です。そもそも冬の寒い季節に、外で長時間月を眺めることじたいあまりしないので、こうしてみると、適度な高さにある春と秋の月が見やすいということになります。
 しかし春はよく「おぼろ月夜」といわれるように、空気中のちりや黄砂、花粉などが多い季節でもあるため、年間でいちばんきれいな月が見える季節は、秋という結論になるわけです。
 またお月様といえば、お月見だけでなく、ウサギの餅つきや、かぐや姫などの文学もありますが、実は仏教もお月様とは関わりが深いのです。その月と関わりある仏様が勢至菩薩です。
 皆様のお仏壇の多くの場合、阿弥陀様の両脇は、向かって右に、中国で浄土教を説かれた善導大師をお祀りし、向かって左に浄土宗をお開きになられた法然上人をお祀りされておられます。それに対してお寺の本堂のように法要を司る場では、中央のご本尊阿弥陀様の右側に「観音菩薩」、左側に「勢至菩薩」をお祀りいたします。その、阿弥陀様の右脇にいらっしゃる観音菩薩は太陽を意味する日輪の化身といわれ、向かって左の勢至菩薩が月天(がってん)の化身です。仏教では「月天(がってん)様」は、月の力により水の流れを司ると説かれているのです。
 実際に、月は地球の海の潮の満ち引きに関わっています。この満ち引きの働きにより、波があるおかげで海は腐らないとのことです。
 さらにその勢至菩薩は後に人間としてこの世に生まれ変わって、この世の人々をお救いになったとされています。その生まれ変わりとして誕生したのが我が浄土宗をお開きになられた法然上人とされています。そのため、法然上人の幼名は勢至丸といい、「智慧第一の法然坊」といわれ、生前から智慧の逸材として人々にあがめられていました。秋の月を夜空に見渡し、その魅力の傍に勢至菩薩に思いを馳せ、その生まれ変わりの法然上人がお開きになった浄土宗の根源「南無阿弥陀仏」の名号の有難さをお感じ下されば幸いです。

合掌
輝空照弘談

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